訓練開始と八重の思惑
彼方が組織の男に襲われた翌日、彼方達が住む街の郊外、機関が管理している森の中を学校のジャージを着たの男が走っていた。
「ぜぇぜぇ……全然捕まらない。いったいどうすればいいんだよ」
ジャージの男、彼方は息絶え絶えになりながら目の前にいる人物をみる。
「もうギブアップですか?時間まであと少しですから頑張りましょ!」
彼方と同じく学校のジャージを着た美少女、八重がストップウォッチを片手に彼方を応援する。
二人は決して遊んでいるわけではなく、組織と出会った時に逃げたり、戦えるように訓練をしていた。
ルールは簡単で一定時間内森の中で片方が逃げ、もう片方が捕まえるというものなのである。
一見すると男性である彼方が有利であるように見えるが、実際の所、長い間機関のエージェントとして鍛えられた八重の方が体力、技術的にも圧倒的有利だった。
「うおぉお!!」
彼方は残りの体力を振り絞り、八重に特攻をかけるよう走り出す。
しかし、八重にはそれは通用せず軽くいなされ、回避する。すると、
ピピピッ!
設定されていたタイマーが時間が経過し、ストップウォッチの電子音が周囲に鳴り響いた。
「あら、時間ですね。今日はここまでにして起きましょうか。お疲れ様です」
八重は一切の疲れを見せずに彼方に笑顔で告げる。
「はぁはぁ、卯木って体力あるんだな。全然捕まらなかったぞ」
「私は小さい時から機関で訓練されましたし、一般人だった御空君と体力差が出来るのは仕方ありませんよ。でも御空君も最後の動き良かったですよ一瞬ヒヤッとしましたもん」
落ち込んでる彼方に八重はフォローを入れる。
実際の所、八重から見れば彼方の動きは無駄が多く見てられないものだった。
しかし、これから組織からの刺客が来た際には自力で何とかしてもらわなくてはならず、そのためにも体力の向上は必須であった。
しかし、今回のような結果になり彼方がやる気を無くしてしまい訓練を諦めるようでは危ないと判断し、八重は多少のお世辞も含めフォローしたのであった。
「お世辞はいいよ。俺もまだまだな所がたくさんあるから卯木からも言ってもらえると助かる」
「御空君……えぇ、今度から指摘していきますね!それじゃあ私、先に行ってシャワーを浴びてきますので御空君はゆっくりでいいので屋敷まで着てくださいね」
そういうと八重は走ってその場を去っていく。
「あれだけの時間走り回ってまだあんな元気あるのかよ……」
去っていった八重を見て彼方は呟くが返事はなく、仕方なく言われた通りにゆっくりと森の出口に向かい歩き始めた。
森を抜け屋敷に戻ると空が暗くなり、もう夕方になっている。
ふと視線を屋敷に向けると屋敷の前ではメイドの氷室が立っていた。
「おかえりなさいませ、彼方様。八重さまは女湯で入浴中です。彼方様も男湯の方の準備ができておりますので案内しますので付いてきてください」
案内されるまま彼方は男湯前までに連れていかれ、氷室が前もって用意していた男性用の替えの服とタオルを渡される。
「それでは入浴後、応接室にてお茶をいれてお待ちしております」
それだけを言うと氷室は去っていった。
置いていかれた彼方は諦めて、更衣室で服を脱ぎ男湯の中にはいる。
中はかなり大きく、男湯内だけでも学校の教室と同じくらいの大きさがあり、シャワーもいくつもあった。
中の広さに驚きながらも彼方は体を洗い、湯船に浸かる。
訓練で疲れきった彼方には少し熱めのお風呂はまるで天にも昇るような気持ちよさに感じられた。
「……たった三日でこんなことになるなんてな」
彼方は小さくため息を吐く。
フールと出会い、組織と機関との争いに巻き込まれ、逃げる為に訓練をすることになるとは三日前までの彼方には考えられないことだった。
他にも世界には異能が存在し、自分が異能力者になるという男子中学生なら誰しも憧れる夢だったがまさかそう通りになるとは思いもしていなく、クラスメートがエージェントなど彼方にとって予想外であった。
「それにしてもすごく速かったな……どれだけ鍛えてきたんだろう」
自分の追跡を軽くあしらい、まだまだ余裕だった八重のことを考える。
八重は誰の目から見ても華奢で可憐な美少女だ。
だがその容姿からは考えられないような持久力を持って男性である彼方を圧倒する
(鍛えてるにしても……そういえばなんで卯木は機関のエージェントをやっているんのだろう?なにか事情があるのか?)
ふと彼方に疑問が浮かぶ。
(いや、多分俺が踏み込んでいい問題じゃない。けど、いつか卯木が教えてくれるならその時に聞いてみよう)
しばらく湯に浸かり体を暖めた彼方は湯船から出て渡されたタオルで体を拭き、応接室に向かう。
応接室の中に入ると、氷室がお茶の準備をしている。
後ろには珈琲と紅茶を淹れる道具が台車の上に並べられていた。
「彼方様、お早いのですね。八重様はまだ来ていないのでこちらにどうぞ。紅茶と珈琲のどちらがいいですか?」
「あ、えっと。珈琲をブラックで」
「承知いたしました」
そういうと氷室は慣れた手つきで珈琲を淹れる。
「あの、氷室さんは卯木と同じ組織なんですよね?もしかして氷室さんも異能力の使い手なんですか?」
「いえ、私は機関から派遣されるサポーターの一般人です」
淹れる作業を止めることなく淡々と氷室は答える。
「サポーターは文字通り機関のエージェントが任務に当たる際に、家事や後始末を担当する者のことです。主には機関に属する無能力者で編成されており、私は以前から八重様と何度か組ませて頂き今回も相性が良いだろうとこの屋敷に派遣されました」
「な、なるほど。となると氷室さんは卯木と仲が良いんですね」
「そう思っていただけるならいいのですが」
氷室は彼方に淹れ終わった珈琲を渡す。
「大丈夫だと思いますよ。卯木は優しそうだしそれに「遅くなってすいません!あれ?なにかはなしてました?」
大きな音を立てて、八重が部屋に入ってくる。
「いえ、なんでもありません。八重様は紅茶にミルクでよろしかったでしょうか?」
「はい、いつもありがとうございます」
八重は彼方の対面に座り、氷室から淹れた紅茶を受けとると一口飲む。
「やっぱり氷室さんの淹れてくれた紅茶は美味しいです。御空くんも飲んでみてください……って珈琲ですか?」
「あぁ、いつも家で飲んでるんだ。俺も飲んでみるよ」
そう言い彼方は渡された珈琲を一口飲む。
「お、美味しい!」
「そう言ってもらえて嬉しいです。おかわりがあれば淹れますのでご用の際はお呼びください」
そう言い、氷室は台車を押して退室する。
それから彼方と八重はこれからのことを相談する。
学校ではどうするのか。
帰り道もどうするのか。
他にもたくさんのことを話しているうちに時間が経過し、日は沈み外は真っ暗になっている。
次の日は学校があるので氷室と八重の提案で彼方は氷室の運転で家まで送ってもらい帰宅することになった。
彼方を送ったその帰り道、氷室は八重に疑問をぶつけた。
「八重様、今回は珍しく育成に力を入れていますがどうしたのですか?」
「……普段の場合なら発信器を持たせるだけですが、御空君は普通じゃありません。複数の力を持つ力、探しても出てこない制作者の情報。組織に目を付けられた以上、機関で保護する必要があります。その為にも自衛、逃走出来るように鍛えるのに損はありません」
「なるほど、流石八重様です」
返ってくる言葉に余り驚きを持たず答える氷室。
氷室にはある程度の予測ができていたのだ。
普通ならあり得ない力を持つものをそのままにはできない。
まだ未熟なうちなら組織に拐われる可能性が高く暴走する可能性も高いからだ。
「そういえば隊長には連絡がつきましたか?」
「はい、隊長含め他の方々もあと二週間ほどかかるといっておりました」
「それまで私一人で対処しなくてはならないんですね……」
八重は眉間にシワを寄せる。
「私にも異能があれば良かったのですが……」
「いえ、大丈夫ですよ。心配かけてすいません……とりあえず今は御空を守ることが第一です。氷室さん、迷惑をかけてしまうと思いますがフォローの方をよろしくお願いします」
「言われずとも。それが私達の仕事ですから」
二人を乗せた車は館に向かい、夜の街を走っていった。