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鈍器兄さん  作者: 星辰
3/3

3 モミジ、絶叫す

 太一郎がクレープのお代わりを買いに行くと、スープ屋はサービスでスープを入れてくれた。

 流石に一杯だけだったが、それでも太一郎はその厚意に深く頭を下げてからモミジの元へと戻って来た。


「以外に話さなくとも大丈夫なものですね」

「あっ。兄さん。フウフウして? さっき慌てて飲んだから、口の中、火傷しちゃった」

「はい。これは妹ちゃんの分です。杏ジャム」

「ありがとっ」


 モミジは兄がスープを冷ましているのを時々横目で見やりながら、ホットパンツの猫娘マーと狼戦士ギンヌンが戦いだすのを、今か今かと待ちわびていた。

 お玉を持った鼠女は慌てて逃げ、猫娘の取り巻きの一人の背中に逃げ込んで様子を伺い始めた。


「ハハッ。剣を抜いたね!! このアタシの、マーの縄張りで武器を出したね!!」

「だから何だと言うのだ? おおっと!! すまない。この俺に楯突くチンケな『雑じり者』風情に、剣なぞ必要ない、と言う意味だったかな?」

「ふざけんな、手前ッ!!」


 モミジは『雑じり者』という言葉が、ああいったマーのような半人半獣への最大級の侮辱になるのではないかと推測した。

 そして、ギンヌンはより獣に近い容姿に対して、プライドというか、誇りを持っているようにも思えた。

  

 怒りで顔を真っ赤にしたマーが片刃のナイフを二本取り出すと、逆手に構えてギンヌンに一歩近づいた。

 ギンヌンは剣の切っ先を正面に据え、正眼に構えた。

 

「おう、手前等。余計な手出しは無用。このマー様が負けるなんて露ほども思うんじゃねーぞ!!」

「おうさ!!」

「姐さん! 勿論だぜ!」


 マーの取り巻きの猫男たちは後ろに下がる。

 が、ギンヌンの兵士は剣を抜いたまま、マーを取り囲み始めた。


「おいおい!! 琥珀軍ってのは軍閥抜けの逃亡兵の集まりだったっけな!? ハハッ。道理で腰抜けばかりだっ。一対一の決闘すら覚束無いんならさッ。さっさと剣を鋤に持ち替えて引退しなッ!!」

「……アバズレが。作法なんて糞の役にも立たん。囲め、囲め、狼のように囲め……手心を加えず、任務を即座に……完遂せよ!!」


 ギンヌンの声は徐々に大きくなって行き、最後は割れんばかりの大音量となった。

 彼の指示を遂行すべく、狼兵達は切っ先を猫娘に向けて突撃した。


 その戦いに盛大に乗り遅れた犬耳の娘が、この時ようやく動いた。

 彼女が右手を天に掲げると、巻物のようなものが出現した。

 それを手にとって広げる犬娘。


「あっ!?」


 が、その動作でモタ付いてしまい、彼女は巻物を雪解けのぬかるみに取り落としてしまった。 


「アホか」


 ギンヌンはマーから目も逸らさずにため息を一つ付くと、「お前は見てるだけで良い」と犬娘に伝えた。

 犬娘は泣きそうな顔になりながら、巻物を袖で拭い始めた。

 

 マーは突貫してきた狼兵の喉や手首、顔面目掛けて容赦ない斬撃を繰り出した。

 彼女は踊るように、舞うように、猫科特有のしなやかさを最大限に使い、草原を駆け抜ける豹のような俊敏さで、敵を翻弄し続けた。

 狼兵達の攻撃は彼女の肌に触れる事さえ出来なかった。


 マーによって喉を裂かれ、皮一枚で繋がった手をぶら下げ、鼻を切り落とされ、狼達は次々と戦闘不能に陥っていった。

 が、配下を捨て駒にして、ギンヌンは彼女の一瞬の虚を突いて突貫した。


「チッ!?」


 マーは辛うじてその一撃を避けたが、ナイフの一本が弾け飛んだ。

 そして、そのナイフの向かった先は、モミジの方向だったのだ。


 その時、兄が神速の動きを見せた。

 彼は腰からメイスを抜くと、そのナイフを上空へと弾き飛ばし、降って来たナイフの切っ先をメイスの先端で捉える。

 そのまま器用にバランスを取ってナイフの切っ先をメイスの先端で弄びながら、クレープの残りを口に放り込んだ。


「おっ、と……と……」

「兄さん!! 凄ーい!!」

「へへへ。妹ちゃんは傷一つ付けてはならないのです」


 その様を見ていたギンヌンは我が目を疑った。

 あんな予測不可能な場所から飛んできたナイフを、的確に処理した男に愕然としたのだ。

 それは、マーも同様だったらしく、飛んでいったナイフの方角に首を向けたまま固まっていた。


「か、かっこいい……」

「は?」


 ギンヌンはマーの言葉を聞き逃した。

 と言うか、聞いていない事にしたかった。


 唐突に、マーの全身が湯気を立てて真っ赤になったかと思うと、尻尾がピーンッと直立してビビビビビッと震えた。

 そのまま、彼女はフラフラと兄、いや「鈍器兄さん」のほうまで歩み寄っていった。


「あ、あの……。お名前をお聞かせ頂けませんか?」

「?」

 

 残念ながら鈍器兄さんにはガングニアの言葉は一切分からなかった。

 モミジがブスっとし始めた。

 ギンヌン側の犬娘が目を輝かせて、鈍器兄さんを凝視した。

 モミジが犬娘を目で射殺した。

 犬娘は野次馬を盾にして隠れた。


「隙ありっ」


 ギンヌンはこれを好都合だと解釈し、マーの背後から剣を付きたてようとした。

 だがその攻撃は、鈍器兄さんが軽くいなした。

 全体重を乗せて繰り出したギンヌンの渾身の一撃は、鈍器兄さんのメイスに絡め取られ、路地に突き刺さったのだ。


「なっ!?」

「正々堂々と戦うならともかく、後ろからは駄目だと思いますよ?」


 残念ながらギンヌンには鈍器兄さんの言葉は分からなかったが、自身の一撃がまるで児戯のようにあしらわれた事に驚愕した。

 マーはというと、ギンヌンの攻撃を見ていなかった事で血の気が引き、一瞬正気を取り戻りかけたが、その後の鈍器兄さんの美技を見て、また上気した頬を更に真っ赤にしていた。


「アタ……いいぇ、私はマー=イイェンニスタ=ポーと言います!! ぜひ、お名前を!! と言いますか、ぜひ、私とけっ、けっ、結婚、し、してくだすゎぁい!!」

「?」

「は!? 何言ってんの!! 兄さんは私の物よ!!」


 いきなりのマーの告白にモミジは立ち上がると、彼女に渾身のビンタを炸裂させた。


「にゃひん!!」


 マーはそれを避けきれず目一杯食らった。

 しかしモミジの怒りは収まらず、ビンタは往復した。


「にゃひん!!」


 その手痛い仕打ちにマーは少しだけ正気に帰った。

 更に往復しようとするモミジの手首をガッと掴むと、顔を近づけて凄んで見せた。


「何様だ!! 誰がどんな恋愛しようが自由だろう!!」

「そうねっ。でも兄さんは私の物!! これだけは譲らないわッ」

「え? この人の妹? 本当に? あ、そうなんだ。……じゃあアタシが嫁に行きゃあアンタは義妹?」

「馬鹿じゃないの?」

「何だとっ!!」

「?」


 鈍器兄さんにはモミジの言っている事しか分からないので、殆ど理解しようが無かった。

 が、モミジとマーがいがみ合っているのは理解できたので、二人の間に割って入って宥め始めた。


「ほら、二人とも。喧嘩しない。折角の可愛い顔が台無しですよ?」

「……はぁい」

「にゃふん」


 マーは兄の言葉が分からなかったが意味は通じた。

 彼女は鈍器兄さんの頬に柔らかく手を添え、それから、「じゃあ、未来の旦那様の為に、一仕事終わらせて来るかなっ」とギンヌンに振り返った。

 ギンヌンは、「は?」と気の抜けた返事をし、剣に付いた泥を振り払って鞘に収めた。


「白けたぜ。何で俺が敵の愛の告白なんてものを見なきゃならんのだ」

「そ、そうか。悪かったよ」

「ほらよ」


 ギンヌンは金貨を指で弾いてマーに寄越した。

 血生臭い戦いが唐突に終わりを告げ、ギンヌン達は怒鳴り散らしながら大通りを抜けて行く。


 鼻を切り落とされた狼が、落ちていた鼻を掴むと切断面同士をグジグジと押し付けた。

 そのまま鼻は綺麗にくっつき、彼はクシャミを連発しながらも慌ててギンヌンに追いつくと、野次馬に怒声を浴びせながら威圧しだした。

 見ると、他の狼兵達の傷も再生し、殆ど傷らしい傷は見当たらなくなっていた。


 犬耳娘が腰から紙を取り出すと、スラスラと何かを書いて鈍器兄さんに手渡しに来た。

 彼女はモジモジしながら両手を頬に添え、ポッを顔を赤らめて、「後で読んでください」と言うなりギンヌンに追いつく為に走っていった。

 そして、盛大にぬかるみでコケて泥まみれになっていた。


「ふぇぇぇ」


 泣きべそをかきながら彼女は立ち去っていった。

 

「妹ちゃん。お手紙貰ったけど読めない文字なんです」

「どれどれ?」


 妹が手紙を読もうと兄の手元を覗き込むと、それは即興で作ったラブレターだった。


『ライシャと申します。先程の戦いで貴方様をもっと知りたくなりました。このお手紙を読まれましたら、ルーク通りエオ四番地ターラ、琥珀群第三詰所裏の女性寮まで来て下さい。歓迎します」

「う……」

「何て書いてあるのですか?」

「え、えっとね……。『ご迷惑をおかけして申し訳ありません』って書いてあるのよ……」

「そうなんですね。文字数の割りには……」


 鈍器兄さんは最後まで言いきる事ができなかった。

 何故ならモミジの不機嫌度がマッハで跳ね上がってきたからだ。


「あ、ありがと。妹ちゃん」

「いいえっ!! どーいたしましてッ!!」


 モミジは兄が追求してこなかった事で少しだけ溜飲を下げ、そのまま手紙をダウンのポケットにネジ込んだ。

  

「さて、体も温まったし、戦いも終わっちゃったし」

「うん。宿でも取ってゆっくりしましょうか?」

「そうね。この世界にお風呂ってあるのかしら? お風呂に入って夕食にして。明日から本格的に動きましょ!! 兄さん」

「そうですね」


 そこでマーがモミジに声を掛けた。

 彼女は取り巻きの猫男達を追い散らすと、まさしく猫撫で声で囁いた。


「なぁ、あんた達。ここに滞在するんだろ? じゃあさ、アタシのシマで宿とりなよぉ?」

「嫌よ!!」

「そう言うなって。安くしとくし、温泉も入りたい放題にしとくからさ? な? な? ここらじゃ温泉があるのはアタシのシマだけ。ヨソじゃタライ一杯の湯に高い金払う事になるんだぜぇ?」

「う……。タライ、か、あ。うーん」


 朝夕と長湯に浸かる習慣のある現代っ子モミジに、いきなりタライ一杯のお湯で我慢しろというのは酷である。

 この兄に一目惚れしたらしい猫娘に近くで宿を取る事は、「ひっじょ~うに危険なんだけども」と、彼女は考える。

 が、裏を返せばこの猫娘が兄妹に危害を加える事は無いだろうし、それに……。


「温泉、か、あ~」

「ね? ね? 肌にも良いし、ポッカポカのヌックヌックで毛布被ると気持ちいいぜー?」

「……わ、分かったわ。とりあえず貴女の所で宿を取るわ」

「よしきたっ!! と、所でそちらの方は、その、もしかして共通語が出来ない?」

「ええ。全く分からないわ」

「あ、あ~。チェー……」


 とは言え、マーに案内されて数ブロック先に進むと、彼女の言う宿に到着した。

 宿に入ると、受付の狐耳女性が嬉しそうに飛び出してきて、マーに声をかけた。


「これはこれはイイェンニスタ様。今日も温泉でございましょうか?」

「ああ。風呂はまた後で来る。それよか、この二人に部屋を。兄妹らしいから一部屋の二つベッドにしてやってくれ。温泉札は自由札、食事札はとりあえず九枚ずつ」

「畏まりました」


 マーは手早くセッティングすると鈍器兄さんにウィンクした。

 狐娘はイソイソと受付に戻って、蔦で編んだ籠に木札を入れ始めた。


「あなた、結構すごいのね?」

「まあな。アタシん所は小さいんだけど珊瑚連合ってギルドでな。アタシはそこの頭なんだぜ」

「へ~!! ギルド!! 私もギルド作りたいなぁ。モミジ組、なんちゃって」

「ギルド作るって……。簡単に言うけど大変なんだぜ?」

「そうなの?」

「ああ。まず設立時にルーンの欠片持ちが一人以上要る。それに供託金が莫大に要るんだぜ?」

「ルーン!? 私達、そのルーンってのを探しにきたのよ」

「おいおい。ルーンってのを、って言ってる時点で予備知識少ねえだろ?」

「えへへ」


 マーは呆れ顔でモミジを見た。

 それからこっそり鈍器兄さんの横顔を見てうっとりした。

 モミジが平手打ちの構えを見せた所でハッっとなって我に返った。


「けどよ、また来るからそん時に色々教えてやるよ」

「本当!! ありがとう」


 とはお互い言った物の、マーの狙いは明らかに鈍器兄さんだったし、モミジの狙いは兄を餌にしてマーから情報を引き出す事だったので、お互いの腹の内を見せぬままに、熾烈な駆け引きがスタートしたのだった。

 マーは鈍器兄さんの頬にキスをし、即座に飛来したモミジの平手を回避すると宿を素早く飛び出していった。

 

「まったく!! 油断も隙も無いんだから!」

「……」


 鈍器兄さんは困った顔をしていたが、こういった場合、不用意に発言してモミジが烈火の如く怒る、という図式が彼の頭の中で予測できていたので、発言は控えた。

 以前も、彼が同級生の女の子から、「良い香りがした」という話をした事があったのだが、それは妹の逆鱗に触れ、大変な目に会ったのだ。

 彼の名誉の為に、どのような、「大変な目」にあったのかは伏せさせて頂こう。


「またお風呂にまで突撃されてはたまりませんからね……」 

「兄さん? なにか言った?」

「いえ」


 鈍器兄さんは宿の受付に頭を下げた。

 受付は愛想良く会釈すると、籠を持ってきて彼に手渡した。


「こちらが温泉札。無制限札ですので、何時でも入浴して下さって結構です。ただし、備え付けのリネンを使う場合は、一枚につき、一シカかかります。石鹸などは番台か、ここの受付でご購入下さい。こちらは食事札です。お一人九枚ずつお渡しします。一枚につき、一食が無料となります。また、別途お酒や追加のお料理で食事札を使う事も出来ますし、普通にお支払いして下さっても構いません。お部屋には時々伺います。清掃や洗濯は所定の料金がかかり、その上で担当した者に心づけをお渡し頂けましたら喜びま……す」

 

 スラスラと説明する狐娘が最後の最後に言葉を紡ぐ事を忘れた。

 彼女は鈍器兄さんの顔を見つめ、時が止まったかのようだった。


「あっ。……すみません。お、お部屋にご案内します。落ち着きましたら今一度受付までお越し下さい。食堂やお風呂の場所をご案内しますので」

「……はい」


 モミジは声のトーンと落とし、その言葉に応えた。

 彼女は狐娘をギロッと睨むと、狐娘は一瞬たじろいたが、努めて笑顔を作り彼らを部屋まで案内した。

 部屋にモミジと鈍器兄さんだけになった瞬間、モミジが大爆発した。


「なによッ!! この状況はなに!? 兄さん、ちょっと説明して!!」


 彼女は床が抜けるのではないかと思われるほどに地団駄を踏み、両手をブンブン振って兄に八つ当たりした。

 そのまま兄の胸板にストレートを叩き込み、ふくらはぎにローキックを入れる。 


「ちょ!? ちょ!? 妹ちゃん!? 何? 何があったの?」

「兄さん!! そこに正座なさい!!」

「えっ!?」


 モミジのローキックが兄の膝裏を狙い始める。

 兄がしぶしぶ正座すると、モミジはふんぞり返って鼻息荒く説明を求めた。


「私の兄さんが何故、ここまで、女性に好かれ始めたのか、今、ここで、説明しなさい!!」

「えっと……」


 モミジは兄のパラメータが鈍器まみれである事しか覚えていなかった。

 そう、彼女は兄の<固有ボーナス:モテる>を逃していたのだ。

 いや、実際にはモミジの<バッドステータス:恋愛が拗れ易い>が作用した結果、兄のパラメータを見逃したのだが、それは彼女が知る由も無かった。


「分かりません」


 兄は自身のステータスを余り理解していなかった。

 彼は、「妹が楽しめればそれで良いや」とい一点だけでこのゲームに参加していたので、ステータスを読み解く予備知識が不足していたのだ。


「アーーーーーーーーーーーーーーーっ!! もうっ!! この状況は、何なのぉぉぉぉ!!」


 モミジの絶叫が室内で木霊した。

 兄はモミジの怒りを宥めるのに大変苦心した。

 

「ほらっ。妹ちゃん!! 今度行きたがってたアイスクリーム屋に行こう!! それからウィンドショッピングをして、映画を見て、夕食も外で食べて帰ろう!!」

「本当にィ? 全部兄さん持ちで?」

「勿論だよ!! 可愛い服も買って、靴と帽子も買おう!!」

「ううー!!」

「ほら。水族館にも行きたがってたよね!」

「うー!」


 兄は今を乗り切るために頭をフル回転させた。

 その甲斐あって、モミジは少し機嫌を直し始めた。


「……これって、もしかしても、もしかしなくてもデートじゃない。グフフフフフ……」


 モミジは厭らしい笑みを可愛らしく両手で作った拳で隠しながら、この状況を喜んだ。

 彼女は仕方なく、という体を装って兄を立ち上がらせ、キュっと抱きしめた。


「なら、よし! 約束守らなかったらローキック千回ね」

「う、うん」


 兄はホッとしたが、何か不穏な空気を感じなくも無かった。

 残念ながら、それが何であるかは今の彼には分からなかったが。


 モミジが機嫌を直した所で、二人で受付へと戻る。

 が、防犯面を考えて荷物は持ったままだ。

 一応部屋には鍵が掛けられるが、作りは粗雑で、金属の棒一本でもあればこじ開けられそうな代物だったからだ。


「あ、お荷物、お持ちになったんですね」

 

 台帳とにらめっこしていた受付の狐娘が、顔を上げて声を掛けてきた。

 モミジは困った顔で返答した。


「ええ。ここらって治安は良いのかしら? そのまま置いてても大丈夫?」

「はい。正直言いますと治安は良くないのです。ですが、イイェンニスタ様のお連れになったお客様から荷物を盗る不心得者は居ないと、オータンに誓って断言できます」

「そっか。じゃあ置いてこようか。あっ、先に案内済ませてしまおっか」

「助かります」


 狐娘は、「エリ」と名乗った。

 自身の名前を告げてから、台帳を広げ、自然な流れで二人に名前を聞く。


「私はモミジよ。兄はた……? た……? ええっと……。『鈍器兄さん』よ」

「モミジ様と、……鈍器兄さん様ですね」

「え、ええ」


 モミジは兄の名前を思い出せなかった。

 パラメータの反映は厳格で、半ば強制的な部分があるらしかった。


 狐娘ことエリは、兄の名前を書く時に違和感を覚えたが、その違和感が何かは分からなかった。

 普通に考えれば、「鈍器兄さん」なんて個人名ではない事ぐらい理解できるのだろうが、そのエリの思考すらも軌道修正されたのだ。

 

「では、モミジ様。鈍器兄さん様。ご案内致します」

「うん」


 エリが宿内を案内しながら、それとなく聞いてくる。

 その全てをモミジが回答する。


「お二人は、どちらからお越しになったのですか?」

「ニホン、という所よ。地図にも載ってない遠くから来たの」

「左様でございますか。こちらが食堂です。朝七プルーフから夜の九プルーフまで開いております。今日は良い鱒と鰊を仕入れたので是非」

「ありがと」

「所で、兄上様は寡黙な方でいらっしゃいますね」

「ええ。ここの言葉が全く分からないから、仕方ないわ」

「左様でございましか」


 エリは大きな狐尻尾を持っていた。

 その尻尾を大きく左右に振りながら案内していると、偶然その尾が兄の手に当たった。


「ひゃん!?」


 エリは顔を真っ赤にして飛び上がった。

 が、何事も無かったかのようにすまし顔で案内を続けた。


「うーんんんんんんっ。何、この状況」

「……ここが大浴場です。源泉は微かに硫黄を含有しているので肌に良く、女性に人気です。普通は一回十シカ頂くのですが、無制限札をお持ちですので、自由にお入りくださって構いません。入浴時間に制限はありません。夜半でもご利用いただけます。そちらの棚にリネンがあります。ご使用時にはあそこの番台で一シカお渡し下さい。石鹸や髪留め、椿油などはここでも買えますし、受付でも販売しております」  


 番台に居た兎耳の女性がピョコっと頭を下げた。

 彼女は木で作られた番台の中で長椅子に座っていたが、桶に石鹸などを入れて見せに来た。


「わたし、フルーレ。石鹸なんかを買ってくれれば、二割がわたしの懐に入るって寸法です。よろしくです」

「そうなんだ。後で買わせてもらうわ」

「ありがとです。後は護衛なんかも引き受けます」

「護衛?」

「はい。混浴なので、ギラギラした目のおっさんなんかが来た時には、わたしの弟が来て隔離します」

「なるほどね。って、混浴なの!?」

「はい」


 モミジは薄々感づいてはいたが、自分の耳から聞いて、「やっぱりか」と思った。

 なんたって、木板を敷いただけ、バスケットを積んだだけの脱衣所の先に、広大な百メートルプールのような温泉が広がっていたからだ。


「服脱ぐ時どうすれば……。ううー。あの番台の横が唯一の死角かぁ」

「いちお、わたしがリネンを広げて補助出来ますよ? そのリネンは使った事になりますが。へへっ」


 フルーレの言い方からすると、そのリネンの売り上げも彼女の懐に幾らか入るのだろう。

 が、モミジはその案を気に入ったようで、「その時は頼むわ」と笑顔を作った。


 そこに温泉の奥からザブザブと湯を掻き分けて、十名ほどの女性陣が姿を現した。

 浅黒い肌から真っ白な肌まで、獣耳の者も居れば純粋な人間も居るようだった。

 彼女らは均整の取れた裸身を惜しげもなく晒し、朗らかな顔で次々と脱衣所のリネンを手に取った。

 モミジは慌てて兄の眼を両手で覆った。


「良い湯だった!! マー殿には礼を言わんとなぁ」

「まったくだ!! 我ら流れの兵に温泉など贅沢の極みよなぁ」

「ああ。旅の疲れを癒したら、一働きせねばな」

「恩には恩で報わねば、我らストラードの名が廃るというものよ」

「真にそうよ!!」

「おっ!? 男が居るな。これは失礼!!」


 失礼、といいつつもマッパのまま、浅黒い肌の女性が兄に近寄った。

 妹はこれ以上近寄るな、というオーラを出したが気付いては貰えなかった。


「ほほう!! なかなかの体格。まだ日が浅いが戦いは知っていそうだな。どうだ、私の腹筋は!? 見事に六つに割れていて素晴らしいだろう!!」

「ちょっと、兄さんに近寄らないで!!」

「ははは。そういう訳か。だが、お前の細っこい指では全部は覆いきれんようだぞ?」

「えっ!?」


 モミジが兄を見やると、彼は顔を真っ赤にしながら慌てふためいた。


「ちょっと!! 兄さん!!」

「あ……。えっとですね……。そのですね?」

「言い訳すんなぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!!」


 モミジは振りかぶると兄に往復ビンタをかました。

 ノーガードの兄はなす術も無くそれを食らい続け、裸とビンタのダブルコンボで、彼は朦朧としてしまった。

 

「ははは。私はストラードの首領、エリス。マー殿の客分だ。ふざけて悪かったよ。じゃあ、またな」


 彼女は肩からリネンを掛けただけで、そのまま脱衣所を後にした。

 残りの女性達も同様に半裸のまま颯爽とエリスの後に続いた。


「モーーーーーーーーーーーーーーーっ!! もうっ!! この状況は、何なのぉぉぉぉ!!」

 

 モミジの悲鳴が脱衣場に木霊した。

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