2 原田兄妹、異世界へと足を踏み入れる 下
太一郎は自身のアバター名を『鈍器兄さん』と付けてしまっていた。
椛は愕然としながらも、「名前の変更って……無理?」とモニタの向こう側に居る女神達に向かって聞いたが、彼女達は彼女達で、青ざめた表情のまま硬直していた。
「ねえ、アンタ達。聞いてる?」
『……』
女神達がジリジリと後じさりする。
と、唐突にスクルドが素早くターンすると、真っ先にスタートを切った。
『うっ、裏切り者ぉぉ!!』
『そんなこと言ったってぇぇぇぇ!!』
ウルズが叫ぶが、スクルドは捨て台詞を残し、脱兎の如く走り去った。
そこに熊のような大男が乱入して来て、ウルズの頭を鷲掴みにすると、彼女の頭を軸にして、まるでヘリコプターのローターのように彼女の体を回転させ始めた。
ウルズの可愛らしいティアラは見るも無残な状態で弾け飛び、モニタの端に『ドスッ』という音と共に突き刺さった。
『あ・あ・あ・あ……』
奇怪なエンジン音を響かせながら、プロペラになったウルズは天然の武器と化した。
その大男は次いでヴェルダンディに狙いを定め手を伸ばしたが、彼女は恐怖の余りその場にへたり込んでしまい、大男の手は豪快にスカッた。
『おおっと、と……』
踏鞴を踏む大男。
ヴェルダンディはその隙を突いて、四つん這いになり、泣きながらゴソゴソとモニタを抜け出して来たかと思うと、太一郎と楓の居る居間に逃げ込んできた。
『またんかぁ!! こん、くそダラァ!!』
「ヒィィ!?」
ヴェルダンディは太一郎の背中に逃げ込んだ。
大男はモニタまで来るとゴチン!! ゴチン!! と頭突きを食らわしてくる。
が、どうもこちらには来れないらしく、諦めて方向転換すると、狙いを定め、まるで槍投げのようにウルズをブン投げた。
『ゲフゥ!!』
遥か彼方で、スクルドがくの字に折れ曲がって吹き飛んだのが見えた。
ウルズは最早気絶していたのか、正真正銘の槍としての職務を全うした。
「!!!!?」
カタカタと歯を鳴らしながら、ヴェルダンディが声鳴き悲鳴を上げた。
余りの出来事に椛も太一郎も絶句したまま、事の成り行きを見守る他はなかった。
「ああっ。神様仏様ッ……」
女神が神仏に祈るというのもおかしな話ではあるが、ヴェルダンディは膝を折って手を合わせて祈りだした所で、椛がハッっと我に返った。
「ちょっと!! あれは何なの? どういう事!?」
「あ、あの方はトール様です!! 烈火の雷神トール様ッ」
どうやらその巨漢は女神らとはまた別の神であるらしかった。
身長は三メートルはあるだろうか。
北欧系の顔立ちで、彫りが深く、赤ら顔。
耳の付け根から顔の輪郭に沿って、大して手入れもされていない顎鬚を蓄え、これまた伸び放題の口ひげと合流し、顔の下半分はさながらジャングルであった。
ダークブロンドのちぢれ毛を乱雑に鉄兜へと押し込め、鉄輪と板金で作られた古風なヴァイキング鎧を身に纏っていた。
彼は白目を剥いているウルズとスクルドの頭を鷲掴みにして、ノシノシとモニタ前までやって来る。
女神達は乱雑に扱われ、折角の純白の衣装は見るも無残な状態へと模様替えした。
スクルドの耳に辛うじて引っ掛かっていたティアラが落ちた。
それを彼は意図せず踏み砕いてしまった。
「そのトールって神が何であんた達に怒ってる訳?」
「あ、あの、ですね……」
モニタ越しに大男が手でヴェルダンディを制止した。
ヴェルダンディは目を瞑り、今度は十字を切って口を噤んでしまった。
椛は密かに、「次は誰に祈るつもりかしら?」と思った。
『俺様が、説明しようと思うのだが、良いか? そこの男女よ』
幾分溜飲を下げたらしい大男……トールは、ドスンと床に座り込んで胡坐をかいた。
彼は両膝にウルズとスクルドの頭を乗せると、彼女らの首筋に柔らかく手を置いた。
よく見ると、ウルズは気絶から回復しており、薄目を開けて事の成り行きを見守っているらしかったが、首に添えられたゴツイ手に反逆する度胸は無さそうだった。
彼女はキュっと口をすぼめると、生唾を飲み込み、それから死んだ振りをした。
「熊に死んだ振りって、やっぱり有効なんだね」
太一郎が納得した様子でそう呟いた。
ウルズはモニタ越しに彼にガンを付けたが、太一郎は見ていなかった。
「構わないわ。ええっと、トール神?」
『トールで構わん。では、遠慮なく説明に入らせて貰おう』
トールは流れるように語り始める。
『お前達が見た世界ガングニアは、我らが頭領であるオータンが、自らの槍ガングニルを砕いて作った世界である。その世界を模倣して作成した電脳世界が、このタイタンクロウ・オンラインである事は説明を受けたか?』
「ええ。オータンが作った、という下りは知らなかったけど、ガングニアを基にしてゲームを作ったのは聞いたわ」
『うむ。では問題ないだろう。続けよう』
彼が会話の合間を縫って歯を打ち鳴らすと、彼の手に大ジョッキサイズのマグカップが忽然と姿を表した。
それの中身を彼はぐびぐびと飲むと、『ああ。少し酒で喉を湿らせて貰う』とのたまった。
『で、だ。我々神々が何故ゲームなぞを作成するのか? という点だ』
「ええ」
話が長くなりそうだと感じた椛は、兄に自分の分のアイスも頼んだ。
ようやくアイスにありつけると悟った太一郎は、イソイソと台所へと向かった。
『事の発端は昨年の暮れに合同で行った忘年会だ』
「ぼ、忘年会!?」
神々も忘年会をするのか、と椛は疑問に思ったが、そこは核心では無いので踏み込まなかった。
太一郎は棒アイスを二つ両手で持ってくると、フレーバーをまずは椛に選ばせる。
椛はいつも苺味と決まっていたが、それでも毎回選ばせてくれる兄が好きだった。
『うむ。そこではオリンポスの神々と八百万の神々、それに我らアスガルドの神々の三系統の神々が集ったのだが、どうもギリシア系の神々の顔色が芳しくない。どうも彼らへの供物が少なすぎて彼らは困窮している様子だったのだ』
「ええ。事実、ギリシアは今負債を抱えて大変そうだものね。神々への供物なんて忘れ去られてそう」
『理解が早くて助かる、見目麗しき乙女よ。そこで、我らは日を改め、クラウドファウンディングで、「ギリシアの神々に支援を!!」と資金提供を呼びかけたが、悪戯だと思われてそのページは運営によって削除されてしまった』
「ク、クラウドファウンディング……」
『そこで、資金を募るのは諦めて、実際に商売をして稼ぎ、その売り上げでオリンポスを復興させようと試みたのだ』
「それが、<タイタンクロウ・オンライン>って訳?」
『そうだ。雛形はオータンの世界を模倣し、細かなゲームデザインやウェブサイトは外注した。運用は八百万の神々から大黒に寿老人、それに布袋が来て下さったし、彼らが所属する<七福神>からの恒常的な支援も取り付けた。特に大黒殿は、今後GMの一人としてゲームの管理をしてくださる予定だ』
北欧の神々と日本の神々がチームを組んで、ゲームの売り上げでギリシアの神々を救う。
こんな途方も無い話をされて椛は眩暈がしたが、太一郎は、「神様も大変だなぁ」と思いながら、食べ終えたアイスの棒をいみじくガシガシとしがんでいた。
「七福神が運営……。大黒天がゲームマスター……。なんか頭がクラクラしてきたわ。兄さん、ちょっとほっぺたを抓って?」
太一郎が椛の頬を軽く抓ると、彼女は顔を顰めながら、「やっぱり痛いね。夢じゃないわ」と呟いてから、トールに話の続きを促した。
トールは頷くと、次のジョッキを空中から捻り出してから話を続けた。
『ぷはっ。……って訳で、あのオンラインゲームは神々が運営している。で、オータンの考えで、時々、基になったガングニアへも人々を招待しよう、という話になった』
「それは何で?」
『ガングニアは今現在、低迷期にある。そこで刺激を与えて次のステップに進めたいんだ』
トールが言うのは、武器であるガングニルを砕いて作られた世界ガングニアは、創世記から争いが絶えない世界であったのだと言う。
そこでオータンは一計を案じ、争いに意味を持たせる為に、<ルーン>と呼ばれる魔法の根幹を砕き、それを世界に撒いてから宣言した。
【全てのルーンを集めた者に、望む物を、どんなモノでも与えよう。不老不死。巨万の富。あるいは世界の支配権であろうとも】
その結果、人々はルーンを巡って戦うようになった。
が、どうしてもルーンを集めきるものは現れなかった。
『そうして数世紀が過ぎ、「実はルーンは集らない。自分達は幻想を追いかけさせられているんではないか?」と人々は疑心暗鬼に陥り始めたのだ』
「そこで、刺激を与えたいと?」
『そうだ。で、選別にはこのゲームを使う事となった。が、そこからがいかん。ヴェルダンディが選別のルールをベラベラと喋った上に、スクルドが確率を操作しやがった!! 大黒天に緊急アラートが入った。で、俺様が呼ばれた』
そこでトールはワナワナと震えだし、膝に抱えていた二人の女神の頭を鷲掴みにした。
『ひぐっ』
『あびぃやぁぁぁ!! ちょっと待って!! ちょっと待ってよ、トール様! その論法だと、悪いのはベルとスーだけでは?』
『ひ、酷いっ。ウーちゃん、私たちを売る気ね!! あんまりだぁぁぁぁぁ!!』
『おだまりっ!! 私は関係なかったのよ!!』
ウルズはヴェルダンディとスクルドに全ての罪を擦り付け、自身の保身の為に全力投球した。
だが、トールの返答は残酷なものだった。
『ああぁぁん? 何なまっちろい事いってんだ!? 連帯責任だろうがッ。大体、一人だけ逃げようって性根は好かん!!』
ギリギリギリ……。
ウルドは頭を掴まれたまま持ち上げられてしまった。
そして、そのまま彼女はフッと掻き消えた。
『ちょっとお前はヘル婆の所で揉まれて来い』
スクルドはそのままの姿勢で漏らした。
流石にそれはトールにとっても想定外だったのか、「やりすぎたか。すまん。お前はヴァルハラの自宅に飛ばしてやるよ」とスクルドの肩に手を置く。
彼女もまた消えていったが、少し気まずい沈黙が続いた。
いつの間にかヴェルダンディは気絶していた。
太一郎は居間の襖を開けると、毛布を敷いてヴェルダンディを寝かせる。
「ちょっと、兄さん!! 私以外の女の人に優しくしないでよ!!」
「ごめんごめん」
椛が怒り、それを太一郎が宥める、という構図が繰り返される事数分。
ようやく椛の怒りが解けた頃に、トールが話しかけてくる。
『何処まで話したか?』
「あなたがここに呼ばれた所までよ」
『ああ、そうだ、俺様がここに呼ばれた所までだったな。で、だ。確率操作をせずにスキルを得てガングニアに来たならば、お主らにもルーンを集める資格を与えられていたのだが……。一種の不正であるのでその資格は与えられん。実に残念だ』
「別にルーンなんて欲しくないし、不老不死とか要らないわ。私は兄さんとその異世界を楽しんでみたいだけ」
『……そうか。なら構わんか。ただ、滞在期限だけは定めさせて貰おう。そうだな。一年。今からきっかり一年でガングニアへの転移権は失効する。これで構わんか?』
「ええ。十分よ。所で、確率操作が不正なのは分かったけど、ヴェルダンディが選別のルールを話した事は不正になる?」
『うーん。微妙なラインなんだが、神力を行使してないからグレー、かな。一応不正ではない、という扱いだ』
そのトールの言葉に、椛は内心喜んだ。
自身はルーン集めへの参加資格を失っているが、太一郎はその資格を失っていない事を喜んだのだ。
「ルーン全部集ったら、兄さんと結婚する世界を作ってもらっちゃおっかなぁ~」
グフフフフ……、とずる賢い笑みを浮かべながら椛は兄に擦り寄った。
兄は意図が分からず、彼女の頭を優しく撫でた。
妹は、「これはこれで」と目を輝かせた。
『あいつらアホだから、誘導されたらまた別の誰かに話しちまいそうだし、ちょっと配置換えするか……』
「あ、あの。トール?」
『なんだ?』
「実は、兄は確率操作してないんです。だから、兄はルーン集めにも参加できたりしますか?」
『む? ……確かに、その様だな。では、お主の兄「鈍器兄さん」にはルーン集めに参加する資格を与える』
トールは太一郎の事を、「鈍器兄さん」と呼んだ。
椛は忘れていた事実を思い出して頭を抱えてブンブン振り回し、その事実を忘れようと努力した。
『では、三馬鹿は放っておいて、今から俺様がお前達をガングニアまで送り届けてやろう』
椛は狼狽した。
まだ準備も何もしていないし、そもそも兄妹で一年も失踪したら大事だ、と。
だが、椛がアワアワしだしたのを見て、トールは笑ってこう告げた。
『向こうに着いたらログイン・ボーナスが貰えるし、初期アイテムも持った状態でスタートする。ウィークリー・ボーナスで何処にでも転移できるポータル・チケットが配布されるから、それでこの部屋を指定して時々帰れば良いだろう』
「そ、そこはゲームなんだ?」
『うむ。お前達はVRMMO<タイタンクロウ・オンライン>の全てを継承したままだ。加えて言うなら、向こう過ごす一週間こっちでの十時間くらいだ。逆に、こっちで過ごす一週間は向こうでの十時間となるのだ。上手く時間を把握すれば、余計な誤解を招く事も無いだろう』
椛はそんなご都合主義がまかり通るのか、とは思ったが、思考を切り替えて、「単純に週末遊びに出かける感覚で行ける!? ラッキーじゃない」とニコニコし始めた。
太一郎は妹が嬉しそうにするのが一番なので、それをニコニコしながら見つめていた。
『ただ、持ち込みと持ち帰りは禁止させて貰おう。こっちに戻った時はその衣服に戻り、向こうに行った際には現金や購入した物品が戻る』
「分かったわ。でも、あそこ寒いから、外着に着替えてダウン持ってきて良い?」
『それは構わん』
椛と太一郎は、それぞれダウンジャケットを羽織ると、居間へと戻ってきた。
それを見たトールは、鷹揚に頷く。
『では、目を瞑れ。俺はヴェルダンディと違って乱暴な転移方法しか知らんが、少し酔う程度だろう』
「分かったわ」
「ええっと。トールさん。色々教えてくれてありがとうございました。妹と楽しんできます」
『うむ』
トールが歯を打ち鳴らすと、彼の手に銀色のハンマーが出現した。
彼がそれを水平に振るうと、兄妹はあのブラキオサウルスの頭が見えた樹林の麓へと転移した。
なお、ヴェルダンディは気絶から快復したは良いが、そのまま寝始めたのか、スースーと寝息を立て始めていた。
◇◆
兄妹があの針葉樹林の麓へと降り立つと、息をつく暇も無くアナウンスが流れた。
【ログイン・ボーナス!! 一日目:初期装備と所持金を配布。プレイヤー:モミジ様の初期所持金は固有ボーナスにより増額されます】
【ログイン・ボーナス!! 一日目:初期装備と所持金を配布。プレイヤー:鈍器兄さん様は鈍器熟練(英雄級)をお持ちでございますので、ブロンズメイス+1が初期装備に追加されます】
ドサッ、という音と共に彼らの目の前に皮で作られた茶色いバックパックが二つ落ちてきた。
少し間があってから、メイスと呼ばれる金属製の鈍器が降って来て、薄く雪が積もった地面に突き刺さった。
当たり前のように、兄が両方のバックパックを肩に掛ける。
兄は鈍器を腰のベルトに挿してみたが、いまいちバランスが悪く、時々位置を調整していた。
「さあ、兄さん。冒険の始まりよ。ルーンを集めて幸せを手に入れましょ!!」
「うん」
モミジが森を背に遠くを見ると、雪が斑に残る平原のその先に、微かに街の外壁らしき物が見えた。
彼女がそこ目指し、雪を踏みしめながら歩きだすと、兄も静かに付き従った。
大き目の太陽が中天にあり、それとは別の、ごく小さな太陽が西の地平線に沈んで行こうとしていた。
雪は止んでいたが、吹きすさぶ風は強く、モミジが機転を利かせていなければ、その寒空の中、兄妹で震える事になっていたかも知れない。
だが、暖かなダウンジャケットを着込んだ兄妹は寒さに震える事も無く、歩みを進める。
モミジの頬は寒さではなく興奮の為、紅潮していた。
「んふっふっ~。兄さんと一緒にゲーム!! どころか、一緒に異世界で冒険なんて、ああっ!! ふふっ。ふふふふっ」
彼女は手が悴むのもお構い無しに、兄と手を繋ぐと、その合わせた手をブンブンと振って、ご機嫌で飛び跳ねた。
時々モミジは、全体重を掛けて兄の支えでブランコを披露すると、そのまま反動を付けて彼に抱きついて甘えた。
そうやって、二人でご機嫌のまま街の外壁まで来た。
「森を背にして外壁を作ったんなら、ぐるッと廻って向こうに行けば入り口があるのかな?」
「かも知れませんね。行って見ますか」
「うんっ」
モミジの考え通り、半周ほど廻った所で門があり、中に入る事が出来たが、以外に街は大きいのか、随分と時間が掛かってしまった。
西の小さな太陽は完全に沈み、代わりに東から小さな太陽が昇り始めていた。
「ん~。つっかれたぁ!! 兄さん、何か食べながら休憩しましょ!! きゅうけいぃぃぃ!!」
「はい」
兄がぐずり出した妹の手を引きながら門を潜ると、内側には幅二十メートルはあるだろう大通りが、はるか奥まで続いていた。
大通りの左右には木造建築の建物が軒を連ね、ある一定の区画毎に大通りと直角に交差するように、路地が設けられていた。
通りに面した建物の前では、露天や屋台が立ち並び、果物や暖かいスープ、衣服用の布、狩りで仕留めた兎などを販売していた。
人通りは多く、混雑していた。
兄妹のようなごく普通の人間はいるには居たが少なく、代わりに猫の耳に尻尾のある種族や、茶色い毛並みの狼人間、鼠に似た小柄な亜人間などが大半を占めていた。
早速モミジは狼人間のスープ売り屋台に飛びついて、カップに二杯注いで貰う。
「嬢ちゃん、ここは始めてかい? ここらじゃ前払いが当たり前なんだぜ」
「あっ。兄さん、お金を!!」
兄は自分の鞄を開けて、ゴソゴソと青銅貨を数枚取り出して妹に渡した。
妹は、木製の値札を見て、青銅貨に刻印してある数字を確認して、「ひー、ふー、みー、よー」と数えてからスープ売りに渡した。
「凄いね、妹ちゃん。俺にはスープ屋さんの言葉は分からなかったし、その木に書いてある文字も分からないよ」
「あ。私はスキル<言語理解><文字理解>を持ってるからだと思うよ」
「そうでしたか。俺も話せたら良かったのに……」
と、兄は残念そうだったが、スープの屋台が販売している薄いナンのようなパンを指差し、「二つ下さい」と言いながらVサインを作った。
言葉こそ分からなかっが、それで事足りたようで、スープ屋はニカッっと笑って、缶に入った二種類あるペーストを交互に指差しした。
兄がスンスンと鼻を利かせると、一方は甘いジャムで、もう一方はひき肉か何かで作られているらしかった。
兄はひき肉を指差すと、スープ屋は金属のヘラで、それをナンにペタペタと塗ってから、それをクルクルと巻いて兄に渡した。
「クレープなんですね」
「あ、私は杏ジャムで!!」
「杏なんですか。妹ちゃんは日本語で喋ってるけどスープ屋さんには伝わってる……。凄く不思議」
「スキルって凄いんだね。あ、お金、お金」
二人でモグモグやっていると、ちょうど近くに設置してある長椅子が空いたので移動した。
仲良く腰掛けていると、大通りのほうで威勢の良い啖呵が聞こえてきた。
「テメエらッ!! ここは珊瑚連合のシマだ!! ここでの揉め事はご法度だと何度言ったら分かるんだ!!」
「五月蝿えっ。ガタガタ言ってると手前の尻尾引きちぎってその猫の耳に突っ込んでやるぞ!」
「黙れっ。このマーを侮辱した罪は重ぇぞ、犬っころがぁ」
見ると、この寒いのに薄手の布を胸元にサラシの様に巻き、ホットパンツを履いただけの猫耳女性が、皮鎧を着た狼人間に吼えまくっていた。
猫耳の外見はちょっと猫っぽい人、といった感じだったが、猫耳に大量のピアスを付け、ご丁寧に鼻の側面と下唇にも銀環を付けていた。
狼は鎧以外に腰に長剣を佩いていたが、野太い声とその態度から恐らくは男性なのだろうと推測された。
「姐さん!! 何があったんですかい!!」
バタバタと、猫耳をつけた男共が六名ほど駆けつけてきた。
反対方向からは狼顔の集団がのっそりと現れた。
「おうおう。見せもんじゃねえんだぞ!! どけどけ!」
武装した狼集団が野次馬を恫喝しながら移動してくると、皮鎧の狼の左右に陣取った。
ほぼ男性で構成されていたが、一人だけ犬耳の女性が居た。
この女性だけは人型の容姿に犬耳・犬尻尾と他の狼達とは一線を画していたが、寸鉄も帯びず、どちらかというと、オドオドしながら事の成り行きを見守っていた。
「兄さん。まるで任侠映画みたいね」
「うん。クレープ美味しかった」
「お代わりしてこよっか?」
「うん」
兄がイソイソとお代わりを注文しに行く間に、猫VS狼に進展があった。
コック帽を被り、エプロンを身に着けた鼠人間が、お玉をぶん回しながら狼人間に食って掛かったのだ。
「アチシの店で食い逃げたぁ、よくもまあ!!」
キンキン声でがなり立てる鼠人間は、容姿からは分かりにくかったが、女性である様子だ。
どうも猫側の人間が増えた事で勢い付いたらしい。
その彼女の声を五月蝿そうに聞いていた狼人間は嫌そうに呟いた。
「食い逃げじゃねえよ。不味かったから支払わない。そう言ってんだ」
「それを世間様じゃ、『食い逃げ』っていうんですよ!!」
「五月蝿えなぁ。おい。面倒だから帰るぞ。野郎ども」
『おうさッ』
それを聞いていた猫耳女が両手を広げると、狼達を挑発した。
「やれやれ。琥珀軍のギンヌン様ともあろうお方が、場末の酒場で代金踏み倒してトンズラたぁ、威勢の良い事で!!」
「なんだとぉ!!」
その挑発に乗った狼達は抜剣した。