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訪問者の概略的自己推察

確かに、その鏡の中に映る像が持つ髪は未だ銀色に染まってはいなかった。



外の状況を確認しよう、と立ち上がり玄関の方に歩を進めた、その途中で横切る、・・・筈だった鏡。そこに映る像を視界の端で捉え、その違和感につい立ち停まった。

それは確かに私であった。分かってはいるが少し身動きを取る。…やはりその像は私と全く同じ形をとった。

ふと、意識を像から現実へと移し、自らの肩にかかっているその髪を一束、視界に入るように持っていく。

少しの光を受け、静かに、だがはっきりと自己を主張しているかのような見覚えのあるブロンドだった。


おかしい。私は、確か、…ずいぶん前に、この色をやがて白金へと、水銀色へと、無意識に変えていった筈なのだが。しかしもう一度確認してもそれは銀ではなく金であった。いつごろからこの嘗ての金が銀に変わっていったかなど、正確には覚えているはずもないが、確かに、…若かった。

今思い起こせばこの髪色と過ごした時は若く生気に満ちていた。太陽の光線を反射して、他の視線をものともせず、一途果敢に、ひたすらに、研究に明け暮れたものだ。


ふと鏡の像をもう一度視界に入れる。認識したそれは、思い描いていたよりも、ずっと、…若かった。

何故だか髪色に意識を途端奪われてしまい、全体像の把握をついぞ忘れてしまっていたが、その像は、目に入れた瞬間そうと分かるほどに過去の、・・・そうだ、過去のものであった。

二十代あたりか。確かこれは、・・・

決断を出すのにうまく決定打が見つからず逡巡するも、とりあえずこの身が若いということは確かであった。もう十九だろうと二十二だろうと関係は無い。一体どうして時期を逆流してしまったのか、私は何かとんでもない薬でも服用してしまったのか、錬金術の成功をみたが怒りに触れ記憶でも消され外国へ飛ばされでもしてしまったのか、とにかく今は分からない。考えようが答えが出ない。そもそも考え出せばとことん悩み閉じ籠る性質は私の生まれつきだ。他の人間がいる今、そして、一応に、ここが何処であるかという問いを出すために先を急いでいる今、ここで思考はやめておこう。


それにしても、・・・懐かしい、気がした。久しぶりに鏡に映る自らの像。

その髪色が物語っている。どうりで、

…道理で身体が軽いわけだ。ついこの前、私は机の前で重くその体を抱え沈んでいたはずだ。昏く閉ざし沈んでいた筈だ…。

心なしか思考も幾分晴れやかに、軽い、ように思える。言われればそうだ。まるであの時の、私が私を創成し続けていた頃の。あのころの・・・


途端、まぎれもなく以前接していただろう筈の数式が頭に雪崩れ込んできて思わず鏡から目を逸らした。目だけではない、咄嗟に頭を抱え意識ごと逸らしていた。上方からの多量な数式。以前私を捕らえたもの。いや自ら図って憑りつかれたもの。

それが何故だか今とたん、恐ろしく反射的に避ける対象となってしまっていた。何故であろう?以前の記憶を、私は拒否したいのかもしれない。何らかの理由に因って…、だがそれに関する具象が困難である。

…そうこう考えているうちに、その数式は去って行った。鏡に恐る恐る目を向けても、もう上方からの禍々しき公式、数列はもう束になって襲い掛かってくることはなかった。


はて、冷静になり思う。

その数式、とはいったいなんであったか。

何を表す公式だったか。


……いくら思い描いても、それが元のように形を成すことはなかった。

…「元のように」?


ここで私は初めて、以前の記憶が雪崩のようにこの瞬間から次々に時の経過の風を受け、消え始めてしまっていることに気付いた。


嗚呼なんだったであろう?私は何か以前、とても重要なことを成し遂げた…、気づいた、発見した、つもりであったのに?

しかもそれは、ほんの数刻前…、そうだな、この鏡の前に立ち止まった瞬間あたりにはさも当たり前かのように、自らの住所のように思い出せていた、――正確には思い出さずとも当然いつも頭にあったことだったのに。この消滅の単位は小さく小さく、本当に細かい時間に確実に、なだらかでありもう仮に一秒前に頭にあったことも今の私には思い出せないらしい。振り返れば真っ白だ。


そう、これ以上なく細かい、と言えば…流、………なんで、あったろうか・・。


それは私の以前の、研究テーマだったかに思える。私は静かに両手の平に目をおとした。

・・・そうだ、私は混乱しているのだ、あまりに多くの事が起こったから、あまりに環境が変わったから、私は追いつけていないのだ、…、

そうだ、落ち着こう。私は一旦雪崩れ込んできた思考を停止して、また先を急いだ。

まずは、この突然に飛ばされた場所が、何処であるのかはっきりと目で確かめねばなるまい。そう決めつけて一旦思考を区切る。










================


結局、まじまじと外を確認することは、直観的にやめてしまった。外へ出た途端浴びた空気の流れが、得も知れぬ抵抗を持って私の周りを固めてしまうような、そんな忌避すべき重みで周りの大気が渦巻いているような感覚がしたから。まるで、…私の体は此処では異端なものだと、拒否されているようだ。

だからせめて二階の、あの部屋の窓から外を見下ろせないか、と彼女に訊き、また階段を上った。また鏡の前を通り、またもや立ち止まってしまったが、今度はむしろ鏡の中のその若い像が私であることに快ささえ感じえた。確認するように肩を回す。思う以上に軽かった。その感覚的予想の裏切りは、驚きつつも心地よいくらいだった。

こうしているうちに彼女が窓の方へ歩を進めていたことに気付き、私はその後ろ姿の方へと歩んだ。





今こうして思い返しても、よく分からない。ただ、窓から見える光景は、不思議と私の心を落ち着かせるというだけだ。隣にいる彼女は、林檎の木の話をどことなくした。

何故であろう、その口調も懐かしい感じがした。つい、私の実家も多くの緑があったなどと穏やかに呼応してしまった。

この窓にかかった特別な細工も、やけに高品質なガラス窓も、私の疑問を次々に上塗りするばかりではあったが、外からの風が、心なしか軽く感じるブロンドの髪を通り過ぎてゆく。そんなゆっくりとした時の流れは、危機管理もほどほどに私の心をこの空間へと少しずつ気づかぬうちに馴染ませてゆく。


この短時間になされた、…にほん、への空間移動は、もしかすると私に課せられたなんらかの啓示なのかもしれない。

身体が軽くなったせいか、精神も若々しくなったのか、私は哲学者ながらに根拠も感じられない楽観的で向こう見ず、如何にもその場の気分次第、まったく気まぐれによる推定を下した。


ふと彼女の机上の時計を見れば、もう11時を回ったところだった。



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