騎士草
「ただいま帰りまし……た」
庭師は配達からの帰宅の声を師匠にかけたところで客人がいることに気付き黙礼した。客人は恰幅の良い中年の紳士で強張った顔で植木屋である師匠と庭師を交互に見やる。
「私の弟子です」
それに気付いたのか師匠は庭師を紹介し、庭師はもう一度会釈した。すると安堵したのか呆れたのかは知れないが紳士は疲れた様子で息を吐く。
そんな紳士の様子など意に介した様子もなく師匠は庭師に向かって手招きする。面倒事を押しつけられる予感にはっきり言って師匠の元へは寄りたくなかった庭師であったが、客人がいる手前、そんなことは出来もしない。庭師は渋々――しかしそんな様子は毛の先ほども感じさせず――師匠の元へと歩み寄る。
「ちょうどよかった。仕事を任せようと思って」
「はあ……なんでしょうか」
「こちらのお客様のご息女様の件でね。――ああ、大丈夫ですよ。うちの弟子は庭師をしておりまして、この顔を見てください。とても口の堅い人間ですから」
そう言って師匠は客の前だと言うのに愛想笑いの一つもしない弟子を手で示す。庭師は余計なお世話だと思いつつも鉄面皮を崩すこともなく曖昧に首肯する。
紳士は奇妙に飛び出た目を師匠と庭師のあいだで行き来させたあと、またしてもなんとも汲み取り辛いため息をつくのであった。
「――娘のことなのだが」
「はい」
「近頃、植木にうつつを抜かしておるのだ」
「はい」
「それもそちらで買わせて頂いた鉢に……」
言葉を続けながら紳士は右の拳を握りしめぶるぶると震わせる。不穏な様子に後ろへ下がりたくなった庭師であったが、対照的に師匠は飄々とした態度を崩さず紳士の話を相好を崩して聞いている。相も変わらず接客に向かぬ御仁だと庭師は現実逃避的に考えた。
「それはなんという鉢でございましょうか。――あ、売上台帳を確認いたしましょうか」
「『騎士草』だよ『騎士草』。今から三ヶ月前に一鉢お買い上げ頂きました」
師匠は机の上に広げていた台帳を指で叩く。フォローをしてくれるのはありがたいのだが少し黙っていてはくれないだろうかと庭師は思った。本当に客商売を続けていられるのが不思議である。それはひとえに師匠の接客に向かぬ態度を帳消しにできるほどの需要があるからに他ならないのだが……。
「娘の警護にと思って買ったのだ」
「『うつつを抜かしている』……とは具体的にどういった言動を指しているのでございましょうか」
「その、恋をしている……というかだな……」
紳士はそれを考えるだけで腸が煮えくりかえるといった様子である。握られた拳どころか肩まで震えは及んでいた。
「とにかく!」と紳士は声を張り上げる。
「そちらで買った鉢なんだ、あの忌々しい草をなんとかしてくれ!」
庭師は師匠へ視線をやる。師匠はうろんげな目で紳士を一瞥すると、視線だけで「やれ」と答える。こう言われてしまっては庭師に断るすべはない。所詮はどこへとも行けぬ雇われ者の身なのだ。
「わかりました。それでは詳しい状況をお聞きしても? その、いつから“そういった状態”になったのだとか、お嬢様がなんとおっしゃられているのかをお聞きしたいのですが」
「ああ、わかった……」
紳士はまたふーっと息を吐き出す。それで幾分か落ち着きを取り戻したようである。
他方の師匠はと言えば接客に飽きたのか、庭師の後ろであくびをはじめる始末であった。関わる気が無いのならもうどこぞへなりとも行ってくれと庭師は心の中で念じるのであったが、無論師匠にはそんなことなど届かない。仮に師匠が人の心を読めたとしても庭師の言葉に従うとは到底思えないのだが。
「……いつからかは正確にはわからんのだ。特に私は方々の庭を回って商いをしているものでね。家のことは家内に任せきりにしておったのだがその家内も五年前に亡くなった。それからは家令が家のことを取り仕切っておる。それで娘もそろそろ年頃になったからと警護のために『騎士草』をそちらで購入したのが三ヶ月前の話だ」
「お嬢様は騎士草に恋をしていらっしゃるとおっしゃられましたが、具体的にはどういった状態になっているのですか?」
「ああ……四六時中鉢と一緒にいてどこへ行くにも持って行くのだ。とはいえ中々大きな鉢であるから連れていける範囲は決まっているのだが、娘はそれに合わせて外出もしなくなってな。元から家庭教師をつけてはいたのだがそれでもよそ様の庭へ遊びに行くことはあったのだ。それがまったくなくなって、朝から晩まで騎士草を眺めておる」
「それは中々に深刻でございますね」
紳士から聞き取りをしながら庭師は頭の中で事の始末の算段をつけ始める。
紳士の言う通り騎士草の鉢はかなりの大ぶりで、当然ながらそこに植えられる騎士草もなかなかに背丈のある植物である。「草」とはつくものの樹木と言っても差し支えの無い太い幹が特徴で、頭上に向かって伸びる枝は数は少ないもののいずれも幅がある。剣のような刃は専用のハサミを使わなければ剪定もままならないほど頑丈だ。そんな様子が筋骨隆々とした騎士を思わせるので「騎士草」と言う。
そしてもう一つこの騎士草には大きな特徴があった。それはある手順でマーキングを行うとそのマーキングをした対象に危険が迫ったとき、その恐るべき頑丈な枝葉を持ってして対象を守るという生態を持つ点である。
この特長は自然と備わったものではなく、学者屋の品種改良によって人為的に作られたものだ。マーキングをした対象に迫る危機をどうやって感知しているのかは不明ではある――つまりこの種自体は突然変異による偶然の産物なのだ――が、近年の研究によれば対象の声音パターンを学習しある一定の波長に反応しているのではないかという結果が出ている。いずれにせよ謎の多い品種だが、これでもこの客の紳士のような一定の需要があるから研究は進んでいる方なのである。
「お嬢様と騎士草の鉢は引き離せそうにありませんか?」
「だからこうしてここに来ておる」
「失礼いたしました。それでは騎士草は取り除きたい、というご意向で合っていますでしょうか」
「そうだ。今すぐにでも! 取り除いて頂きたい!」
「かしこまりました。でしたらこれからすぐにでもそちらへお伺いすることが出来ますが、よろしいでしょうか?」
「すぐに出来るのか?」
紳士の先程の言葉はどうも心情を現したものであって、本気で今すぐ庭師がなんとか出来るなどとは露ほどにも思っていなかったようだ。
紳士の問いに庭師は自信を持って「はい」と答える。実際にそう出来るのだから、わざわざ先延ばしにする理由はなかった。
紳士の庭を訪れた庭師はさっそく娘へ紹介される。
「こちら、植木屋のお弟子の庭師さんだ」
「はじめまして」
紳士の娘はビスクドールのような美しい白磁の肌に金色の巻き毛を持つ可憐な少女であった。しかしそれは外面だけを見た時の話。
「ふーん……そう。それで?」
娘は庭師へ挨拶を返すこともなければ、ソファから立ち上がるそぶりすら見せず、傍らに置いた騎士草を飽きることなく眺めている。
これはかなりの重症だと庭師は思った。良家の息女にしては礼のなっていない娘の態度はきっと騎士草のせいなのだろう。庭師はそう思い込むことにした。
紳士は当然ながら「挨拶くらいしなさい」と娘を叱責しているが、暖簾に腕押し。娘はうっとりとした目で騎士草を見つめている。改めて思う。重症だ、と。
「お嬢様、此度は騎士草のメンテナンスをさせて頂きたく存じます」
「必要ないわよ。騎士様は調子は悪くないって言っているわ」
「そう言わずにだな……せっかく庭師殿もわざわざ来てくださっているのだから……」
「お父様になにがわかるの?!」
途端、娘はヒステリックに叫び出す。
「わたしのことなんてなにも知らないくせに! 大きな口を叩かないでっ」
そう言うや騎士草の鉢にひしと抱きついてしまった。
典型的な思春期の少女の行動にも庭師は動じず鉄面皮を持って娘と騎士草を見下ろす。
しかし紳士は目に入れても痛くない娘の暴言におろおろとするばかりである。店にいたときの、先ほどまでの堂々とした態度はどこかへ行ってしまったようだが、年頃の娘に対する父親というのは案外こんなものなのかもしれない。若輩者の庭師にはさっぱりわからないが。
そうこうしている内に親子喧嘩とも言えない、娘の一方的な面罵が始まってしまい場はますます混乱の渦へと巻き込まれてしまう。さてどうしようかと庭師が思案している時に事件は起こった。
風を切る勢いの良い音がしたかと思えば、騎士草の鋭利な枝葉が紳士に向かって伸ばされたのだ。それにいち早く反応したのは庭師である。特注のハサミを取り出すや一閃。しゃきん、という小気味良い音とともに騎士草の尖った葉の先が絨毯へ落ちた。
「うわっ?!」
それらが終わってすぐに紳士が驚きの声を上げる。同時に事態を把握した娘が悲鳴を上げた。しかしそれは騎士草が傷けられたことに対しての声だった。
「ひどい! なんてことをするの?! この野蛮人! 騎士様はわたしを守ろうとしただけなのに!」
酷い言い草だと思いながら庭師は胸の内ポケットに手を伸ばす。そしてそこから取り出したものを騎士草に向かって投げつけた。
「作法に従い決闘を申し込みます」
それは白い絹の手袋だった。このために庭師がここに来る途中でわざわざ買いに行ったものである。呆気にとられる娘と紳士を置いて、庭師は磨き上げられたハサミの切っ先を騎士草に向ける。外部からの接触があったことに反応したのか、騎士草も傷の付いていない葉先をゆっくりと庭師に向けた。
「見届け人はそこのお二方です。いざ」
そう言うや庭師は騎士草の懐に潜り込もうと一歩踏み込む。それに恐ろしい速度で騎士草が反応し、堅牢なる葉を持ってして庭師を叩きつけんと枝をしならせる。
しかしそれはフェイク。庭師は体を退いて一歩後ずさるや鮮やかなハサミ捌きで騎士草の葉を切り裂いた。金属のこすれあう軽快な音と共に瞬きのあいだに騎士草は葉から枝まで切り刻まれる。
「なにをするの!」
娘が声を上げて庭師を制止しようとするが、無論庭師はそんな言葉に耳を傾ける用はない。一方の騎士草は哀れっぽい娘の声を受けてその動きをより攻撃的なものに変化させた。
先ほどよりも、より俊敏になった動きに庭師は後れを取る。白いカッターシャツの袖が切り裂かれるが、鋭利な葉は庭師の肌までもを傷つけることは叶わなかった。
騎士草の容赦の無い攻撃に庭師も手の動きを速める。騎士草の攻撃一つ一つを確実にいなし、隙を見ては葉を、枝を切り刻んで行く。しゃきん、しゃきん、というハサミの音が響くごとに騎士草は武器を失くして行く。父娘はただその様子を眺めているしかなかった。
「勝負、ありましたね」
そうして騎士草のすべての枝葉を切り刻み、庭師は自らの勝利を宣言した。
「……おお、素晴らしい!」
先に我に帰ったのは紳士の方だった。娘の方はと言えば呆然とした様子で庭師を見ている。
「このままでは他の方にも害が及ぶであろうと判断して“剪定”致しました。代わりの品は後ほど納入させて頂きます。もちろん代金を取るようなことはありませんので……」
「いや、それには及ばんよ。もう騎士草に頼ることはせん。……今回のことで私も色々と思うところがあってね」
そう言って紳士は娘の方へと視線をやる。
「そうですか。それではこの騎士草はこちらで処分することもできますが」
「ああ、頼むよ」
「わかりました。責任を持ってこちらで処分させて頂きたいと思います」
庭師はまた娘になにか言われるのではないかと危惧していたが、予想に反して庭師が騎士草を持ち上げても声すら出さなかった。
かける言葉も特に思いつかなかったので、庭師は騎士草を抱えたまま紳士や屋敷の者たちに感謝されながら見送られ植木屋へと帰還した。
後日。
「わたし、あなたを好きになったの! とても強い人なのね……素敵! それにわたしを思って危険なこともしてくれるなんて!」
「私は女ですが」
「えっ? ウソッ。……幻滅したわ」
ということがあったが庭師にとっては些細な出来事である。
父親である紳士は頭の痛そうな顔をしていたが、ご自分の教育の結果と思って受け入れるなり矯正するなりして頂きたい――というのが庭師の素直な気持ちであった。
一連のやり取りを見ていた師匠が、庭師の後ろで腹を抱えて笑っていたのは言うまでもない。
(了)




