飼いならすこと、能(あた)わぬもの
「ええい! 何度も言っておろうが! この庭はワシのものだっ! 売らぬものは売らぬ!」
「そこをなんとか!」
「この木に所蔵されている本はどれも後世に残すべき稀覯本なのですよ?!」
「うるさいぞ! どれだけ価値があるかは知らんがこんなものは世のためにはならん! 散れ散れ!」
眼前に広がる騒然とした人の塊を遠巻きにして庭師はぼうっと突っ立っていた。師匠からお使いを頼まれたはいいものの、あの人の団子の中へ突っ込んで行くほどのやる気は庭師という人間には備わっていないからだ。
「ああ、あなたは植木屋さんのところの人ではありませんか」
「あなたは蟹の身こそぎ屋さんの。お久しぶりですね。お仕事ですか」
知り合いに声をかけられて庭師は軽く会釈する。目じりの下がった顔が特徴的な、蟹の身こそぎ屋の丁稚は庭師の方へささっと近寄る。
「なにやら大変なことになっていますね」
「ええ。ワタシも旦那様に『蟹削ぎ百珍』なる本を探して来いと言いつかったのですが、この騒ぎでして」
「私も似たようなものです」
思わずそう返した庭師であったが、事実は少々異なる。彼女は単に金になりそうな、珍かな本を適当にちょろまかして来いと師匠から仰せつかっていた。
無論、盗人のような真似をするつもりなどさらさらない庭師である。適当に話して師匠が納得するような本を何冊か譲ってもらえれば――。そう思っていたのだが大いに当てが外れてしまい、こうして団子のようになっている人々の群れを遠目にしているばかりなのだ。
樹齢四千年を超える「図書の木」が根を張る庭の持ち主が亡くなったのはつい昨月のことである。その持ち主には運悪く伴侶や子供がいなかったため、戸籍を遡って最も近い縁者に庭の権利が移った。そこまではよくある話である。そこからがいけない。
新たな持ち主は「世界検閲協会」だとか「青少年のための健全な育成を妨げる表現を規制する会」だとか、とにもかくにも過剰な道徳観と倫理的観念に支配された人物だったのだ。つまるところ頽廃文学や官能小説などは全て害悪だと断じ、そこにいささかの価値も認めぬ御仁なのである。
そんな御仁が図書の木の蔵書を見て卒倒したのは言うまでもない。古典文学を漁れば猥褻な表現や殺人、はてはカニバリズムなどといった物語にぶつからぬ方が難しいというもので、この持ち主がこれらをただちに「青少年にふさわしくない」本だと判断したことは容易に想像がつく。
そしてこの図書の木の一切合財を燃やすと公示した――樹齢数千年ともなるといちいちこういった宣言をしなければならないのだ――のがつい先日。これには他の庭の持ち主や学者屋たちが大いに困った。
図書の木がこう呼ばれるのは図書館のような機能を前の持ち主が提供していたからである。そして樹齢四千年を超える図書の木は、芽を出した時から一冊一冊集められた歴史的に大変に価値のある史料が多数収蔵されている。
図書の木の庭には学者屋が研究や論文のためにひっきりなしに訪れていたし、絶版となった本を求めてやって来る人間も枚挙に暇がない。蔵書の中には今や文豪と呼ばれる作家の同人誌や、貴重な初版本もある。この図書の木は研究分野のみならず文学界や出版界においても非常に重要な存在であった。
「欲しい本があれば『図書の木』に行け」とはよく言われる言葉だ。それほどまでに古今東西、大抵の本は図書の木に収蔵されているということだ。
それが燃やされるとあっては、先に人間の方が火のついたような騒ぎになるのは必然であった。
金を積んででも本を譲って欲しいという人間が図書の木の庭に押しかけて朝な夕なに大騒ぎ――というのが現在の状況である。
しかしここまで騒ぎになってしまうと、及び腰になるか意固地になってしまうかの二択になるのが人間というもの。今の図書の木の持ち主は後者であった。
人々が騒げば騒ぐほど態度を硬化させていっている。加えて図書の木に収蔵されているようないかがわしい本を流出させるのは許せないという、正義感もより強くなってしまっているようだ。
これは本当にちょろまかすしかないかもしれない。庭師がよからぬことを考えている間にも人の塊はいよいよ破裂せんばかりに膨らんでいる。
「ええい! ちょこまかと鬱陶しい! こんなものは百害あって一利なし!」
一団から持ち主が飛び出して来たかと思うや、ポリタンクの蓋を外してじゃぶじゃぶと中身をぶちまけ始めた。
「ガソリンだ!」
誰かが叫ぶと人の群れはクモの子を散らしたように逃げ出す。灯油でも危ないというのに、火の回りの早いガソリンなどかかればたまったものではない。
次に持ち主がなにをするかはその場にいる皆がわかっていた。わかっていたが、ガソリンの海に突っ込んで行くなど危険過ぎてどうすることも出来ない。
口々に「早まらないで!」や「危ないですよ!」などと声を掛けるが、興奮状態の持ち主の耳にはいくぶんもそのような言葉は入らぬようである。
「焚書だ! 不純物は燃やさねばならん!」
そう言うや銀色に輝くジッポライターをガソリンの溜まりへ落とす。たちどころに火の手が上がって舐めるように図書の木へとその腕を伸ばす。ついでに持ち主にも伸ばす。
火だるまになって転がって来た持ち主に、周囲の人間が羽織っていた服を脱いでばたばたと消火に当たる。焼いたのは持ち主の毛とスーツの上下くらいで大したことにはならなかった。深刻なのは図書の木の方である。
「ああ……」
「そんな」
「図書の木が……」
絶望のにじんだ声があちこちから上がる。書物を収蔵する特性から水気の多くない図書の木に回る火は早い。次いで所蔵された書物が燃料となって炎は多いに勢いを増して木を飲み込む。
庭師も思わず「あー……」と声を漏らしてしまった。図書の木を惜しむ気持ちと同時に、師匠にどやされる己の未来を思うと暗澹たる気分になる。
「ああっ、こんなことになるなんて! これなら早くに持ち出しておけばよかった!」
蟹の身こそぎ屋の丁稚が地団駄を踏む勢いで悔しがる。そこまで惜しく思うわけではない庭師はぼんやりと火に呑まれゆく図書の木を眺めていて――ふと気付いた。
「花が」
「え?」
「花が咲いていますよ」
紅蓮の炎の手先がまだ届かぬ樹上でにわかに白い花がその花弁を開かせる。ついでそれが閉じたかと思えば実となり、これを認めたところで一度に綿のようなものが吹き出した。それは火のゆらめきによって混ぜ返されるぬるい空気に乗り、冠毛で風を捉えて瞬く間に拡散して行く。
「種ですね」
その一つが庭師の腕にひっかかる。タンポポなどに見られる、いわゆる先端に綿毛をつけた種であった。タンポポよりもずっと大きな種はそう遠くまで飛べないようであったが、それでも燃え行く親木から逃れるには十分な飛距離を稼げる程度には身軽なようだ。
「これが……図書の木の種」
「ええ。生命活動が脅かされるのを感知して種を飛ばしたのでしょう。といってもこれほどまでに早い経過を見せる種は稀ですが……」
「ということは図書の木はまた生えるのでしょうか」
「でしょうね。もとは最初の持ち主が持ち込んだ種らしいですから……きっと今よりもたくさんの図書の木が芽吹くでしょう」
図書の木が燃えるぱちぱちという音など意に介さぬように、種たちは冠毛を舞わせて優雅に地上へと降り注いで行く。それは降雪にも似た幻想的な風景であった。
後日。庭師の予言通りにあの庭は図書の木が乱立し、さながら森の様相を呈しているとの噂が耳に入った。更には若い図書の木は消失してしまった蔵書の数々を順調に再現して収蔵しているらしく、学者屋たちは大喜びしているらしい。
持ち主は当然喜んでいない。それは庭師の師匠を訪ね植木屋にやって来た時の様子からも伝わって来た。応対したのは店主たる師匠であったので庭師は委細は存じていないが、どうやら庭師に図書の木を撤去して欲しいらしかった。
だが師匠の出した見積もりを見て庭を売りに出してしまった方がいいと判断したらしい。近々図書の木の庭がオークションに出されるとの公示からもそれは明らかであった。
「師匠ならあの方が払えるぎりぎりの見積もりを出すかと思ったんですけれどね。それか稀覯本のいくつかと交換するとか」
「ああ? まあいつもだったらそうしてたけどな。あの庭を買いたいって他の持ち主から相談を受けててさ。上手くそいつの手に渡ったら本をいくつかタダで貰える手はずになっているんだよ」
そんなことだろうと思ったと庭師はハサミを磨きながら思った。
師匠が目論見通り稀覯本を手に入れられるのかどうか、それはだれも知らぬ未来の話。
(了)




