わるもの
一見すると単なる石の塊に見える楕円形の玉を見下ろし庭師は腕を組む。これは学者屋から預けられた種……らしい。種であるらしいのだがどこからどう見ても石である。もっと詳しく言えば化石となった種といったところだろうか。
「本当に発芽するのですか?」
「します。これは『生きている化石』と目される種なのです」
そう学者屋は熱弁したのだが、庭師の目には「生きている化石」というより単なる「化石」に映る。そもそも「生きている化石」というのは比喩的な表現であって本当に化石が生きているというものではないだろう。
その辺りを突っ込みたかった庭師であったが、藪蛇になってはたまらないとその鉄面皮に言葉を押し込める。
そうして半ば強引に庭師は学者屋からこの「生きている化石」という名の、どう見ても「化石」にしか見えない暫定種を預かる羽目になったのであった。
さて無理に押し付けられたものと言えども一応は仕事のうちである。庭師は勤勉にもあれやこれやと種を見て回るのだが、やはり単なる石ころにしか見えない。ひとたび地面に落してしまえば発見は困難だろう。そう考えひとまずは水に浸した綿を敷いたシャーレに種を置くことにした。
触ってみたときの感触も石そのもので、硬くてごつごつとしている。植物の種も確かに硬いが、あれは硬いなりにその皮下に柔らかな部分があるとわかるものだ。しかしこの物体は芯まで硬いような触り心地である。
試しに指で叩いてみるが、石を叩いた時のような音が返って来るばかり。ますますこれは植物の種なのかと疑いの念を抱いてしまう。
だが学者屋がちょっとした茶目っ気を出して庭師を担ぐとは考えにくかった。師匠ならばまだしも、学者屋というのは言うことが多少トンチンカンでも大変気真面目な人種なのである。まあ中には学者屋の名に悖る虚栄心の塊のような輩もいるが、そういうのは大抵が学者屋としての名を消される運命にある。
問題なのは学者屋が大真面目に話してくれたことが、正しいことと実現可能であることは別と言う点である。
この石ころが仮に植物であったとして、発芽するのか否かは庭師にもわからない。庭師は確かに植物の扱いにおいては長けているが、超能力者ではないのだ。
これまでにこの石にしか見えないものを相手に格闘すること二週間。庭師はそろそろこの不毛ともいえる作業をやめたくなってきていた。
太陽光の下に置いたり、暗がりで紫外線を当てたり、水につけてみたり、その他色々試した方法は数知れず。それでも種はうんともすんとも言わず、どこからどうみても石のままなのだ。神経が太いと自他ともに認める庭師でもそろそろ嫌になるというものである。
「学者屋に頼まれたやつ、まだやってんのか?」
そこに師匠が顔を出す。いつもうろんさを湛えている双眸は、狐のように弧を描いている。顔にありありと浮かぶあからさまな感情に庭師は一瞥するだけでまた種に視線を戻す。
ちなみにこの石については無論師匠にも相談はした。しかしその回答はにべもないもので、売れるかわからないものに時間を割くのは無駄というものであった。商売人としてそれは正しいのだろう。植木屋である師匠は植物を愛しているわけではないのだ。金になる植物が一等好きで、だから植木屋なんてことしているのである。
一方の庭師はそれなりに植物のことは好きである。のびのびと根を枝を葉を伸ばし、花を咲かせて実をつける。その姿を見るのが好きだった。かといって過剰に植物を保護する精神など持ち合わせていないし、自分の何もかもを投げ払ってでも植物を守りたいなどと崇高な信念もない。単なる植物好きである。
そういうわけであるから師匠の考えが嫌というわけではない。しかし少しくらいは手伝ってくれてもいいだろうと口を尖らせたくなるのは、人として当り前の感情の発露だろう。
おまけに近頃の師匠の中では妙な遊びが流行っている。
「X線の結果がどうとか言ってたけど、こんなに皮が硬くっちゃあ発芽するのは無理だろ。そんなことしてないで遊ぼうぜ」
師匠の言う「遊び」とはちょっとした男女的な戯れである。
女性性をあまり感じさせない少年装の庭師の肩に腕を回して、顔を近づけてきたりするのだ。十代中盤頃の、まだ体の出来ていない庭師は当然の如く師匠よりも小さいし非力である。それが覆るのは特注製のハサミを持っているときだけだ。このときは師匠にだって庭師を止められない。
それはさておき師匠に対してハサミを持ち出すなど常識に則って考えれば出来ないわけで、庭師は結局師匠にされるがまま――させるがままにしている。世間ではこれをセクハラと言うのだろうが、庭師は師匠の中のブームが過ぎさえすれば納まることを知っているので、特段騒ぎ立てることもしなかった。
たとえセクハラがどうのこうのと言ったとしてもなにも変わらないことを知っている。ここには師匠と庭師しかいないのだから。それは諦念というよりは、単にいずれ過ぎ去る嵐を前に無駄な格闘をしたくないという、庭師の怠惰な気持ちから来るものである。
「仕事中なので、遊びません」
「今はでかい仕事もないんだから」
「そういう怠惰な考え方はよくないと思うのですが」
怠け心ゆえに師匠の態度をスルーしている己を棚に上げ、庭師はそんなことを言う。師匠はと言えば腕の中に庭師を収めてそのつむじに顎を載せている。本人も「男女的な遊び」と称しているが、どちらかというと親と子か、飼い主とペットのそれである。
こうなってしまった時の師匠は非常にしつこい。庭師はこの生きているのかいないのかもわからない種の観察を諦め、師匠を連れて店のカウンターに向かった。それから庭師が師匠に構い倒されたのは言うまでもない。
変化が訪れたのはそんな戯れを繰り返して三日ほど経ってからのことである。
「あれ?」
いつものようにシャーレに置いた種を見た庭師は、種の強靭な皮が割れていることに気づいた。どうにも発芽――出ているのは根だが――したようである。しかし一体どういった要因で発芽に至ったのかはさっぱりだ。仕方なしに中間報告も兼ねて庭師は学者屋に手紙を送る。その手紙を書いている間にも師匠がふざけた小芝居を披露していた。
折り返しの手紙が来るころには、白っぽい根が人差し指の第一関節ほどの長さになり、同じ割れ目から今頭をもたげんとする芽が見えるようになっていた。
手紙の内容は庭師に対する感謝と、引き続き観察を続けて欲しいというものだった。それに加えて手紙よりも数倍大きく分厚い資料が添付されている。中身はこの化石のような種が発見された経緯と、発掘が進むにつれてわかったことなどが書かれていた。
この種はとある遺跡と化した庭で発見されたものらしい。王墓と思しき場所の副葬品であると推測された。更に発掘を進めて壁画を覆い隠していた土を丁寧に除けば、この副葬品の謂れについてもおぼろげながらわかってきたらしい。
石のような皮を持つ種は昔の言葉で「愛」を意味する名をつけられているとのこと。なぜ「愛」という名なのかは知れないが、壁画には向かい合った男女が芽の出た石を持つものが描かれていると言う。その写真も分厚い資料に添付されていた。
極度に戯画化された、かろうじて人間の男女と判断できる絵が、いかにも硬そうな黒い石を持っている。そしてその黒い石からは茎と枝葉が天に向かって伸び、その頭上では太陽が輝いていた。植物のモチーフは生命や生命力を意味することが多い。恐らくは夫婦制度や子供の誕生、子孫の繁栄を描いたものだろうというのが学者の見解である。
「結局なんで芽が出たのかはわからないんじゃないか」
後ろから資料を覗いていた師匠がそうこぼす。一方の庭師はと言えば、師匠とは違ってこの手紙を受けて閃きが下りて来たようである。
「この絵はきっと、そのままの意味に捉えていいのだと思います」
「そのまま? そのままってことは、この黒い丸は石みたいな種で、男女が持つと発芽するのか?」
「いえ、あの種を男女で持ったことはありません。ですからその条件は間違っているでしょう。しかし学者屋の考察を含めて考えれば、この種の発芽の条件に男女が絡んでいるのは間違いないと思いますが……」
そこで言葉を切った庭師は最後まで言うか悩んだ。悩んで結局言わないことにした。
「おい、どこに行くんだ」
「出張です。あの種の生長を促進させに行きます」
「わけがわからないぞ」
「後で説明しますから」
庭師はさっさと店の奥に引っ込むと、ダンボールで小さな箱を作り、発泡スチロールをカッターナイフで成形して種の入ったシャーレをはめ込む。シャーレの蓋はせずに押し込み、しっかりと固定されているのを確認すると小さなダンボール箱に詰める。そしてそれを紙袋に入れると庭師はカウンターを通り過ぎて庭を出て行ってしまった。
あっという間の出来事に師匠は珍しく呆気にとられる。次いで面白くないといった風に唇を尖らせ、カウンターで台帳を意味もなくパタパタと扇ぐのであった。
「つまりですね、あの種は男女的な接触をなんらかの方法で感知して芽を出す植物だったんですよ」
鉢に苗を植えながら庭師はそう説明する。
「男女の愛の深さを象徴するとか、壁画は巌のような皮を破る愛や、それによって生まれる生命を意味しているとか、学者屋はそんなことを言っていました」
その答えに自力で辿りついた庭師は、あれからいわゆるデートスポットを巡った。ひたすら巡った。恋人たちがいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃする中で、怪しげな紙袋を下げて何箇所も回った。特段恋人の空気が苦手でもない庭師ですら、胸焼けがするほどに何箇所も回った。
そうして植木屋に帰る頃には、あの石のような皮が破れ、その割れ目から見事に葉を芽吹かせていたのである。
庭師の努力の甲斐あって学者屋は大喜びし、礼としてその遺跡の庭から見つかった珍しい種をいくつか融通して貰えることになった。
それはそれとして。
「重いです。師匠」
庭師は背中にのしかかる師匠を冷たく一瞥する。しかし師匠は唇をとがらせたまま、のっぺりと庭師に覆い被さったままだ。
「俺になにも言わずにいくなんてひどいじゃないの」
「師匠はいつもひどいです」
「一人で楽しんだんだ」
「まあ一人でしたね」
「ずるいぞ」
「そうですか」
こんな調子で不毛な会話を続けていると、師匠はますます機嫌を損ねてしまう。それでも臍を曲げる程度のものだから、まあ可愛らしい方であると言える。
石のような皮を失った植物を鉢に植え終えると、庭師は師匠の方へと顔を向ける。
「それじゃあ今度は二人で行きますか?」
庭師がそう言えば、師匠の顔は花が咲いたようになるのであった。
(了)




