男草と女草
大いなるこの世界には「庭」と呼ばれる小世界が点在している。
庭師はその数多ある「庭」という小世界を跨ぎ仕事をすることも珍しくはない職業である。
今日もまた庭師は自らが属する小世界を飛び出し、依頼人の元へと向かう。
一見すると十代中盤の少年に思ゆる出で立ちをした少女は、依頼主の待つ貸し庭園へと行く道すがら、知己の凍らせ屋に声をかけられた。
「植木屋の庭師さん」
植木屋とは庭師の雇い主である師匠でもある男のことである。植木屋と凍らせ屋の庭は隣り合っているため、この二人は曰く「業務提携」とやらをしているそうなのだが、雇われ者である庭師はその詳細を把握していない。庭師はひとまず「お得意様」とだけ認識している。
庭師は鉄面皮を張り付けたままくるりと凍らせ屋へ頭を向けた。それを了承と認めたのか凍らせ屋は話を続ける。
「ちょいと来ておくれないかい。配達屋のトンマが間違って『男草』の隣に『女草』を置いちまってさあ」
そう言いながら凍らせ屋は庭先を指し示した。そこには堂々たる茎と蔓を持つ「男草」と、細い茎としなやかな蔓を持つ「女草」が互いにその巻きひげを複雑にからませ合い、がっちりと繋がり合ってしまっている。
「どうにもこうにも困ったもんでさあ」凍らせ屋は頭をかきながら困り顔を作っている。
庭師は男草と女草を一瞥すると凍らせ屋に視線をやった。
「『太夫花』はありますか?」
「ちょうど凍らせて欲しいって依頼が来てるから物はあるよ」
「お借りしてもよろしいでしょうか」
「傷がつかなきゃいいよ」
「わかりました」
庭師は凍らせ屋の庭に入り込むと太夫花の植木鉢を持ち上げる。そこには鮮やかに、行き過ぎれば毒々しいほどに赤い八重の花をつけた草が植わっている。葉はさながらベールのように広がり、花の見目を引き立てていた。
庭師は太夫花の鉢を絡み合う男草と女草のそばまで持ち寄ると、男草に近い位置へ太夫花を置く。しばらくすると男草の蔓がゆるりと女草から解けるように離れた。宙へと伸ばされた男草の蔓は今度は太夫花へと向かって行く。その様子に凍らせ屋は「おおっ」と感心したような声を上げる。
男草が太夫花の茎へ蔓を絡ませる前に庭師は男草の鉢を女草から離れた場所に置き、太夫花の鉢をしっかりと腕に抱えて二歩三歩後ずさった。
男草の蔓は太夫花を探すようにゆらゆらと揺れる。一方で先ほどまで男草と絡み合っていた女草も放り出された蔓を太夫花へと伸ばす。しかしその姿は男草とは趣を異にしていた。地面を叩くように動く女草の蔓からは怒りすら感じられる。
庭師はそのまま太夫花の鉢を元の場所に戻し、そのあいだに凍らせ屋は男草を女草から更に離れた場所へと移動させる。途中で「おっと」という凍らせ屋の声が聞こえた。どうやら女草の降り上げられた蔓に驚いたらしい。
どうこうしているうちに三つの鉢はそれぞれあるべき場所へ収められた。
「いやあどうもどうも。助かったよ」
「礼には及びません。師匠から頼まれていますから」
「まあまあ礼は素直に受け取っておくれや。――それはそうと仕事の途中だったかね?」
「依頼主の元へ向かうところですが、まだ時間はありますので」
それから二言三言交わし、庭師は凍らせ屋に別れを告げる。庭師は頭の中で行き先を反芻し、足を踏み出した。
そこは「貸し庭園」と呼ばれる庭であった。その名の通り庭を持たない者や、庭を持っているが別に小規模な庭を借りたい者が利用する施設である。
貸し庭園に降り立った庭師は庭園の主である貸し庭園屋に迎えられた。貸し庭園屋もまた凍らせ屋と同じく植木屋のお得意様に当たる。貸し庭園の利用者に植木屋を紹介することで手数料を貰っているらしいが、やはり庭師はあまり双方の関係をよく理解していなかった。
「お久しぶりです。植木屋の使いで参りました」
「よかった。お待ちしていたんですよ」
貸し庭園屋の言葉に凍らせ屋で少し時間を食いすぎたかと庭師は思ったが、時計を見ても予約の時間はまだ過ぎていない。とはいえ呼ばれたのであればすぐに向かうのが商売というものである。庭師は姑息に「すみません。こちらへ向かうのに時間がかかりまして」などと涼しい顔をして言い訳を口にする。
しかし貸し庭園屋は庭師が遅れたとは思っていなかったらしい。下がっている眉をさらに下げて――ついでに開いているのかいないのかわからない目の端も更に下げて――否定する。
「いえ、そういうわけではないのです。お客様のあいだでトラブルがありまして……今回の依頼はその件についてなのですが、お客様同士が少々熱くなりすぎていましてね……」
貸し庭園屋は胸ポケットからハンカチを取り出すと、額に浮かぶ汗を拭き取った。
庭師は貸し庭園屋に先導され貸し庭園の中を進む。その内に二人の男が言い争う声が聞こえて来た。
「あちらです」貸し庭園屋が庭師に囁く。
その場所には中年を過ぎ老年に差し掛かった男が二人、顔を赤くして互いに罵り合い、今にも掴みかからんばかりになっていた。周囲には他の区画の利用者だろうか、野次馬がちらほらと集まってはなにごとかと二人の男を見守っている。
「すいません、すいません」
貸し庭園屋が声を張り上げて二人の男に駆け寄る。すると男たちは同時に貸し庭園屋へ顔を向けたかと思うと、同時になにやら喋りはじめ、いったいなにを言っているのかさっぱりわからなかった。
「すいません、すいません」
貸し庭園屋がもう一度声を張り上げると男たちはぴたりとがなり立てるのをやめる。
「こちら庭師の方になります」
突然紹介された庭師は内心で「面倒なことになるぞ」と思いながらも慇懃に頭を下げた。
「それじゃあこの」
「じゃあ俺の」
二人の男はまた同時に口を開くや、ぎろりを互いを睨めつける。
「おい、俺の言葉にかぶせるんじゃない」
「かぶせているのはあんただろう。ちょっとは待てないのか」
「それはあんたも同じだろう。自分がなにをしゃべっているのかもわからないのか。だから――」
「そもそもあんたがあんなものを植えるから話がややこしくなって――」
再び口論に発展した二人の男を今度の貸し庭園屋は止めることなく庭師の方を見た。庭師は呆気にとられるばかりでまったく状況が把握できない。二人の男が争っていることまではだれの目にも明らかであるが、一体その原因はなんなのかがわからなかった。庭師が呼ばれているのだから植物に関することなのだろうと察せるくらいである。
「あの、いったいなにがどうなっているのかわからないのですが」
「そうですね。すいません、お話がまだでした」
そうして貸し庭園屋は今回の依頼の内容を、そして二人の男が言い争っている理由を話し始めた。
「お客様方の区画は隣り合っておりまして、そのちょうど境界を挟んだ左右に男草と女草を植えてしまったのです」
庭師は「ここでもか」とつい先ほど処理した案件を思い浮かべその偶然に内心でため息をついた。
男草は初心者にも育てやすい原始的な品種である。寒さや病気にも強く、それでいて初心者でも扱える程度には大きくなるのでいわゆる「植物の育て方」というような手引書には必ずと言っていいほど載っている代物だ。
一方、近年発見された女草も初心者から中級者向けの比較的育てやすい品種であり、こちらはほっそりとしたしなやかな茎と蔓の優美な姿に人気が集まっている。
この両品種には致命的な欠点があった。それが隣り合って植えると積極的に蔓を絡ませ合ってしまうというものである。複雑に、かつ強固に絡み合った両者の蔓を解くのは至難の業で、発見次第早急に蔓を切断し植え替えを行うのが最善――というのが学者屋の見解だ。
育てる側が故意に、あるいは無知によって隣り合わせにして植えずとも、原始的な品種である男草の種がどこからともなくやって来て気付いたら女草の隣に生えていた事例も枚挙に暇がない。
とにかくこの二つの品種を隣り合わせに植えるのは禁忌にも等しい行為であった。
しかしその禁忌はたやすく破られ、その結果が二人の男の終わりなき口論という結果をもたらしたのだ。
貸し庭園屋によると植えた時期はほぼ同じであるらしい。その上二人とも園芸に明るくない初心者であったから気付くのが遅れた次第である。
男草かあるいは女草を植えないよう禁止事項に盛り込んでおかなかった貸し庭園屋にも一定の落ち度があるので、こうして彼は庭師を呼んでどうにかその補填をしようとしている――というのが今回の依頼がなされた経緯である。
「そういうわけでですね、どうにかなりませんかね?」
「まずは実物を拝見したいのですが……」
「こちらです」
貸し庭園屋と庭師は延々と言い争う二人の男を尻目に、隣り合った二つの区画へと向かう。そこには庭師がつい先ほど見たのと寸分たがわぬ光景が広がっていた。先ほどと違う点はと言えば植木鉢と畑というくらいであるが、これが庭師の頭を悩ませる。
「どうにかなりませんかね?」
「太夫花を使えば蔓を解くことは出来ますが……。鉢ではなく直接地面に植わっているので難しいですね」
「無理ですか?」
「無理ではありませんが、難しいです。まず、太夫花を使えば男草と女草の蔓は解けますが、そのあとこの両品種ともに傷がついてしまう可能性が高いのです。女草が男草を攻撃する可能性が高いのです。そうすると男草には当然傷がつきますし、女草も表皮が柔らかいので硬い男草と接触すると傷がついてしまいます」
別々の植木鉢に生えているのであれば男草が太夫花に向かった直後に、女草の鉢から離してしまえば問題がない。しかし今回は同じ土に根を張っているのだ。両方の植物を傷つけずに離すのは中々の難物である。
「一応、離すことは出来るのですね?」
「はい」
「それでは一度お客様と相談してから決めたいと思います」
そう言う貸し庭園屋の後ろでは二人の男が飽きもせず互いを罵倒している。その内容はどちらが先に植えたのかという水掛け論であり、おまけに同じ言葉を何度も繰り返しているものだから野次馬も飽きたのか、最初に見たときよりも数が減っていた。
「すいません、すいません」
貸し庭園屋はそう言いながら二人の男のあいだに割り込む。するとおもちゃのように男たちはぴたりと口論をやめた。
「庭師の方によるとお客様方の男草と女草の蔓を解く方法はあるそうです」
「そうか、それじゃあ早速――」
「なんだ、それなら早くやってくれ」
「おい、俺の言葉にかぶせるなと何度言ったらわかるんだ!」
「あんたがちんたらしているのが悪いんだろう!」
「なんだと!」
「やるのか!」
まるで三下のように睨み合いを続ける男二人は、かろうじて取っ組み合いの喧嘩には発展しないぎりぎりの所でまた言い争いをはじめた。
貸し庭園屋は呆れた表情を隠そうともせず、淀んだ目で男二人を一瞥したあと、庭師の元へと戻って来る。
「それでは蔓を解かせる方向で……」
「いいんですか?」
「いいんです」
貸し庭園屋から言質を取った庭師は男草と女草を離す算段をつけ始める。
「なんでもいいので板か――なんならダンボールでもいいので一枚用意していただけますか?」
「すぐに用意させます。失礼ですがなににお使いに?」
「出来るだけ傷がつかないよう、男草と女草のあいだに仕切りを作ります。絡んでいる部分には穴を開けて通せば傷は最小限に抑えられますので」
「なるほど」
「それからスコップも用意してください。これだけ蔓が絡み合っていると恐らく根もかなり絡んでいると思いますので、こちらはもう切ってしまいます。――それでどちらかを移動させないといけないのですが……」
庭師の言葉を聞いた貸し庭園屋が一瞬動きを止めた。しかしすぐに「はい、わかりました」と感情の起伏の無い声で答えると再び客の元へと舞い戻る。商売人と言うのは大変なのだなと庭師は己の師を思い浮かべたが、一癖も二癖もある彼のことを考えるとそのねぎらいの気持ちは霧散した。
「ふざけるな!」
ひときわ大きな声が上がったかと思うと、急に辺りが騒々しくなる。いや、以前から周囲は――二人の男のせいで――騒がしかったのだが、今回は違った。倦厭気味に滞留していた空気は急に張り詰めたものになり、刺々しい雰囲気が辺りを満たしている。
貸し庭園屋の方を見ればなにやら焦った様子で男たちのあいだをわたわたと行き来していた。
「先に植えたのはこっちなんだ! 絶対に動かさないぞ!」
「なにをいっているんだあんたは! 先に植えたのは俺だと言ってるだろう!」
「もう耄碌したのか爺!」
「年はそう変わらんだろう! あんたもそう言って大層な頭をしているじゃあないか!」
どうやらどちらの植物を動かすかで揉めているらしい。必然と言えば必然ではあるが、互いの植物を傷つけないための最善の策のために譲り合うことすら出来ないのかと庭師は呆れ果てた。
両者とも老齢に差し掛かっているだろうに、年若い小娘の庭師に理解できることも理解できないのか。――否、頭では理解しているのだろう。しかし既に意地を張り尽くしたあとなのだ。二人とも完全に引っ込みがつかなくなっているのは明らかであった。
この行く末がどうなるのか庭師にはわからなかったが、ひしひしと嫌な予感だけは感じ取っていた。
はたして、その予感は見事的中した。
「こんなもの、こうしてやる!」
そう言うや男が傍らに置いてあった猫車からボトルを取り上げる。そのラベルには「枯草剤」の文字があった。貸し庭園屋も片方の男もそれに気付いたのか、辺りは更にやかましくなった。
男がボトルの蓋を開けるとそれを阻止しようともう一人の男が飛びかかる。「お客様!」貸し庭園屋の声が響き渡り、二人の男が揉み合う。庭師はただそれを傍観していた。庭師は己に与えられた仕事しかしない性質であるから、この結末には一切の興味を抱いていないのだ。
決着は訪れた。男の手から枯草剤のボトルが落ちると、それは中身の液体をこぼしながら男草の方へと転がって行ったのだ。幸いにもその道筋は通路であったので他の植物は被害に遭わなかった。
「ああっ」
ボトルを持っていた男の方が悲痛な声を上げる。庭師は今まで把握していなかったのだが、どうやらこの男が男草の主のようであった。強力な枯草剤を浴びた男草はしなしなと見る間に青々とした体を茶へと変えて行く。それと呼応するように男草の主はへなへなとその場に崩れ落ちた。
一方の女草の主は数瞬のあいだ呆気にとられていたが、すぐに事態を把握し勝ち誇った顔で男草の主を見下ろす。
「自業自得だな」
そう吐き捨てた直後、女草が倒れた。茎の根元からすっぱりと切れ、茶色い土の上にその体の大部分を横たえる。
「ああっ」
女草の主は先ほどの男草の主に似た痛ましい声を上げた。「いったい、どういうことなんだ?!」女草に駆け寄ってみるがそこには根元から切られた女草が地面に放り出されているばかりである。
庭師はというと、今しがた目の前で起こった出来事に目を丸くしていた。
「いったいなにがどうなったんですか?」
困惑の表情を浮かべる貸し庭園屋に庭師は口を開く。
「女草が自らの茎を切断しました」
「ええっ」
「なんだって?!」
女草の主は庭師の言葉を聞くや、やにわにその怒りの矛先を彼女へ向けた。
「そんな話、聞いたことがない!」
「今までに十例にも報告は満たないのですから当然だと思います。……女草が男草の後を追うというのは」
女草は発見されてからそれほど時間が経っていない。比例して、その生態にも未だ謎が多い。それでも生育法は近縁種と同じもので変わらないから、一般への普及率は生態の解明されている部分と反比例して高いのだ。そういうわけでその事例を庭師に食ってかかる男が知らないのも無理からぬことであった。
学会が発刊する専門誌に載せられた論文に書かれていた内容を思い出しながら、庭師は言葉を続ける。
「女草にはまるで感情があるかのような行動を取ることはよく報告されています。今回、男草と離そうとした時にどちらかを移動させなければならないのも、男草が太夫花に引き寄せられると女草が男草へ攻撃と取れるような動作を行うからです。そして男草が枯れたり取り除かれたりしたとき、ごく稀に女草が自らを傷つけてしまうことが報告されています」
「いかに女草の茎が細いとはいえ、それを自ら切断するなんてそんな……」
信じられない、といった風に貸し庭園屋は言う。庭師も雑誌を読んだときはそんなことがあるのだろうかと思ったが、目の前で実際に起こってしまったのだから信じざるを得ない。
「自らの茎を切断する事例も報告されていますが、それを阻止した事例もまた報告されています。しかし、一度その動作を行えば莫大なエネルギーを消費するのか、動作の阻止に成功しても女草は枯れてしまったそうです」
「じゃあ、俺の女草は……」
「恐らくは根が残っていても意味はないかと」
さながら死刑判決を聞いた被告人のような顔をして女草の主はうなだれた。
打ちひしがれる二人の大の男の様子を見て居心地の悪さを感じた庭師は、こう言葉を続けた。
「不幸な偶然が重なってしまったんです。私たちにはどうしようもないことなんですよ」
慰めにもなっていない言い訳めいた言葉に、二人の男は顔を合わせる。男たちは憑きものが落ちたかのような表情をして、互いをしげしげと見やったあと、同時に口を開いて謝罪の言葉を紡いだ。それを見て庭師はまた言い争いに発展しないかと冷や冷やしたが、今度はそうはならなかった。
どうやら男草と女草の死というものを目の当たりにして、幾分か頭が冷えたらしい。庭師の言葉で今回のことは「不幸な偶然」として流すことにしたようだ。
貸し庭園屋は安堵した様子で二人と何事かを話し合っているが、庭師にはもはや関係の無い話である。なによりも今回の仕事が失敗に終わったことで師匠にどう言い訳しようか、そのことで彼女の頭はいっぱいであった。
後日、案の定師匠から散々からかわれて不機嫌な庭師の元に貸し庭園屋から手紙が来た。
あの男草と女草の植わっていた境界で混雑種が芽を出したらしい。あの時は特に必要がなかったので確認はしていなかったが、どうやら女草は花を咲かせた後だったようだ。男草は花を咲かせる前であったので、女草が落としたもので間違いがないらしい。
落胆していた二人の主も喜んでいるのかと思いきや、貸し庭園屋の手紙によると区画の境界から芽を出したものだから、どちらが正当な所有者であるかで相当揉めているとのことだ。
庭師は貸し庭園屋からの手紙をレターケースに突っ込むと、師匠の植木の世話をするために庭へと出て行った。
(了)