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志郎の記憶の欠片 1-2

 美伶が戻ってきて三週間程経った。

 和郎は美琴は美伶に預けて、分校に通いだした。

 それでも和郎は道草もせずにまっすぐに帰宅した。

 俺と海成は適当に街を徘徊して帰宅するのが通常だった。

 この街の闇医者の卵である威火がたまにやってきて美伶の様子を見ていく。

 食後、居間で美伶が編み物をしている所に出くわした。

 タイミングが良いのか悪いのか他に誰もいなかった。

 それで、思っていた事を聞いてみた。

「……産むのか?」

 破顔して豪快に笑った。

「当然じゃない! ここまで来たらもう産むだけよ」

 愛おしそうに大きな腹を撫でた。

「死ぬ気なのか」

 きょとんとして視線をあげた美伶は、俺の言いたい事に気付いたのか、振り被って、俺の背中をバシッと叩いた。

 おい……妊婦の癖に手加減なしかよ……。

「死ぬ気になって産むつもりだけど。本当に死ぬつもりなんてないわよ。妊婦は誰だってそう思ってるわ。志郎。成長する姿を見守っていきたいわ。一緒に買い物にも行きたいし。映画も観たい。遊園地にも遊びに行きたいわね。それに女の子だったら一緒に料理もしたいわ」

「……男だったら?」

「男の子だったら、お嫁さんと一緒にお買い物する楽しみも出来るわね~。あ、でもこの子は女の子よ~。絶対そう。だって、この前夢見ちゃったのよ~」

 怒涛の台詞に返す言葉がない。

 美伶はそう言うと俺の手を取って、腹に導いた。

「志郎、貴方に光を与えるわ」

「は?」

 この女頭に花咲いてんのか?

 本気でそう思った。

 くすくすと楽しそうに笑う。

「ねぇ、志郎。もう少しだけ待っていてね」

「待ってると何か良い事あるのか?」

「あら。とっても素敵な事があるわよ。楽しみにしててね」

 そこへ美琴を風呂に入れてた和郎が戻ってきたから、これ幸いと自分の部屋に戻った。

 死ぬつもりはないと判った。

 ならばそれでいいのだろう。

 俺が何か言うべき事でもない。

 それから数日後、美伶の出産が始まった。

 出産って長いんだな。

 初めて知った。

 初産だから余計だろうと威火が言ってた。

 店を閉めて一郎さんは美琴の面倒を見、和郎はずっと美伶に付きっ切りだった。

 海成と俺は威火の指示に従って手伝った。

 美伶は泣き言も悲鳴もあげなかった。

 歯を食いしばって耐えていた。

 それを見ていた和郎がタイミングを見て小さなタオルを丸めて口に押し込んだ。

 和郎の両腕や手首には美伶の握りしめた手の跡が残っていた。

 それでも和郎はその位置から動こうとせず、文句は勿論嫌がる素振りも見せずにずっと美伶の傍にいた。

 漸く赤子が産声を上げたのは丁度窓から朝日が差し込んで来た時だった。

 それはどこか神秘的な光景だった。

 皺くちゃだらけの真っ赤な顔のサルが喉を潰すんじゃないかと思うような大きな声で泣いていた。

 どう見ても可愛くない。

 赤子ってのは、自己防衛の手段として愛らしい生き物のはずだったのに。

 まぁ、俺には関係ないからどうでもいいか。

 そう思っていた。

 一週間もすると、皺くちゃのサルだった癖に人ぽく見えはじめた。

 あぁ。何だ。こいつ人間だったんだな。

 本気でそう思った。

 美伶は少し体調を崩していたが、暫く様子見だと言って威火は出産前のようにたまに顔を見に来ていた。

 美伶はその子をひかりと名付けた。漢字は一文字。光。

 半年程平和だった。

 三人で寄り道もせずに帰宅した日だった。

 居間へばたばたと血相を変えて美伶がやってきた。

「ひかりが、いなくなっちゃった!」

「え?」

「は?」

 和郎と俺が意味も解らず美伶を見た。

「美琴と三人で屋上で日向ぼっこしてたの! 美琴がトイレに行きたいって言ったからちょっと目を離しちゃったの……戻ったら、ひかりがいなくなっちゃったのよ!!」

 悲鳴混じりで必死に説明する。

「赤ん坊が一人でどっか行くとかないだろ」

 海成が呟く。

 当然だな。

「屋上見てくる」

 俺がそう言うと、その場にいた全員でエレベーターに乗って屋上まで上がった。

 藤で編んだ大きな籠は持ち運び出来る簡易ベビーベットで初孫の誕生で一郎さんが用意したやつだ。

 やわらかなおくるみだけが残されて、本来いるべき存在がない。

 屋上から誘拐?

 ほんの数分だっただろうに。

 フェンス越しに外を眺めつつ、屋上を一周する。

 何だ?

 一周しても、気になる方向ってのがあった。

 引っ張られる感じだ。

「海成、周辺の聞き込み頼む。赤ん坊を連れたこの辺りで見ない者がいたかどうか。美伶は一応追われてるんだから外出るな。和郎、見張ってろ」

 エレベーターで全員一度居間へ降りる。

 居間から出て行こうとする俺の手首を美伶が掴んだ。

「志郎、志郎……見つけて、あの子は……」

 持っていたおくるみを受け取って、俺は美伶の手を振り解いた。

「海成」

「あぁ」

 海成と二人で外へ出た。

「めんどくせぇ女……」

 ぼそっと呟いた言葉は海成の耳に届いたらしい。

「女なんてあんなもんだろ?」

「身内じゃなきゃ関わりたくない」

「母親なんてあんなもんだ」

 お前の母親もあんなんだったのか? そう思った言葉を飲み込んだ。

 あんな母親がいたなら、海成が真澄家にいるわけがないのだ。

「お前はどこ行くんだ?」

「あぁ……何かな……引っ張られるような感じがするんだ。呼ばれてるような……信じるか? てか、信じるなよ!」

 自分で言っておいて、海成を睨む。

「ふぅん」

 意味あり気にニヤニヤ笑う。

「ま、行って来いよ」

「あぁ」

「何かありゃ連絡しろよ~」

 手を振ってさっさと人混みに紛れて行く海成の背中を見送った。

 カン? 虫の知らせ?

 そんなのは知らない。

 引き寄せられるように足が動く。

 泣いてるな。

 大泣きだ。

 ギャン泣きしてんな。

 あれは小さな怪獣だと思う。

 感じる方へ足早に向かう。

 早足から駆け足へ。駆け足から全速力へ。

 呼ばれている気がしてならない。

 単なる気のせいだろうけどな。

 向かう先は元国会議事堂と都庁方面だ。

 その先は新宿中央公園がある。

 公園危険区の一つだ。

 この辺りは震災の被害が大きな所で、未だに瓦礫の撤去はされていない。

 それを言ったら旧東京の瓦礫は95%撤去されていないのが現状だ。

 コンクリートの壁があちらこちらに点在し、道などないに等しい。

 ホテルがあったと思われる辺りまで来ると微かに声が聞こえた。

 怪獣の泣き声だ。

 はっきり言って、まだ子供でよかったと思う。

 大人だったら通り抜けれない瓦礫の隙間を抜ける事が出来る。

 段々声に近付いていた。

 崩れ落ちた元建物だったらしいコンクリートと剥がれたアスファルトが捲り上がって土の地面が見える。

 第二次関東大震災の震源地は旧東京だったらしいが、詳細は判ってないらしい。

 大きなコンクリートを迂回して、更にコンクリートの山をよじ登って見渡す。

 声の元を探す。

 これで、全く知らない赤子だったら笑えるけどな。

 でも絶対そんな事がないって言いきれる。

 そんな自分がどこかおかしいと思える。

 コンクリートの隙間に詰め込まれたようなものが見えた。

 近付くと凄まじい泣き声だ。

 誰かのコートらしき物に包まれ、そっと置かれたようにそこにいた。

 両手をぶんぶん振り回して、何もかも気に入らないと叫ぶかのように大きな涙を飛ばしている。

「……そう泣くな。喉が痛くなるぞ」 

 コートに包まれていた小さな体を抱き上げた。

 すると、身内だと認識したのか、泣きすぎてしゃっくりをあげながらも泣き声を止めた。

 全体重を預け、肩に頭を乗せてくる。

 すんなりと両腕に納まった存在は、どこか空洞だったものを埋め尽くすようにじんわりと染み入ってくる。

 抱き上げたのは今が初めてではないのに。

 いつもと何が異なるのか。

「あぁうぅ」

「あぁ。帰ろう」

 背中をぽんぽんとあやすように叩く。

「あれぇ、もうお迎えが来ちゃったの?」

 頭上から声が落ちてくる。

 見上げるとコンクリートの上に人影が見える。

 位置から逆光の為に姿がはっきり捉えられない。

「勝手に人のモノに手を出すな」

 眩しさもあって、目付きはかなり悪くなっているだろう。

「あら。君のモノだったんだ?」

「そうだ」

 たった今、そうなった。

 これは俺のモノだ。

 誰にも渡すつもりはない。

「そっか。ごめんよ? その子の父親も会いたいって言ってたからさぁ。ちょっと借りてきたんだけど。あんまり泣くからお腹空いてるのかと思ってミルク買いに行ったんだよねぇ」

「そりゃどうも。だが、あんたが気に入らないから大泣きだったんだろうよ」

 父親か。

 誰だか知らないが、そりゃいるだろうな。

 だからってやるつもりなんてないけど。

 美伶は未だに相手の名前も素性も明かさない。

 和郎でさえ聞き出せないでいた。

「成人したら一回会わせてやると伝えろ」

 服の下に隠した腰のナイフは護身用だ。

 両手が塞がっているからこの状態では抜けない。

 だが、引き渡すわけにはいかない。

 強気で押し切るしかない。

 相手の雰囲気が殺気立つ感じもなく、淡々としているからこその強気発言だが。

 さて、どう出る?

「うぅ~ん、そうか。まぁやっぱ本人が来た方がいいのは確かだよね。でもなぁ……その可愛い時期会えないのって何だか不憫だよ?」

「写真と動画を撮っておいてやる。成人まで楽しみにしていろ」

「えぇ……成人って何歳?」

「二十歳だ」

「うわぁ……長いねぇ。まけれない?」

「あぁ? 値切る訳ねぇだろ」

「むぅ。しょうがないかぁ。じゃぁ、一応伝えておくけど……待てるかどうか責任は持てないからね?」

「言っておくが、一回しか会わせる気ないからな? 成人まで待てないなら写真も動画もやらないと思え」

「うわぁ。君って結構鬼畜だねぇ。まぁ、いっか。それは当人の問題だしな。伝えるだけは伝えておくよ~。悪かったね。君のモノとは知らなかったからさ。このお詫びはいつか返すよ。またね~」

 名前も名乗らず、姿もはっきり捉えられなかったそいつは姿を消した。

 はっきり言って詫びとかどうでもいい。

 そのまま忘れて二度と顔を出すなと言いたいくらいだ。

「にゅぅぁ」

 ちびな怪獣が首に頭をぐりぐり押し付けてくる。

「お前もな。気安くふらふら誰にでもついて行くな」

「ゔぅぁあ」

 何か気に入らないのか呻いているが言葉にならなきゃ伝わらない。

 これがいつ話始めるか考えるとちょっと気が滅入る。

 分校の女どものようにかしましくなるかと思うと……。

 こいつの教育は俺がやろう。

 美伶が追われているならこいつだって似たようなものだろう。

 男として育てるか?

 アスファルトの壁をゆっくりと越え、そう言えば連絡入れてなかったなと思って、適当なとこに座って、ちびを膝に乗せて携帯をポケットから出した。

 和郎と海成に見つかった事と帰る事をメールする。

 ちびはご機嫌に両腕を上下に振っている。

「うぅぁ~うぅあぅぁ~なぅぁ~」

「さっきまで泣いてたくせにご機嫌だな、おい」

「だぁぅきゃぁぅ~」

 にこにこと笑う。

 まぁ、いっか。

「ぅら、帰るぞ」

 あぁ……こいつ……段々重くなってる気がする。

 子泣き爺かよっ!?

 ちょっと鍛えないといけない気がする。

 まだ6キロくらいしかないだろうに。

 抱えていると腕が重くしびれてくる。

 はっきり言って、今までだって美琴を抱えた事だってあるが、ここまで長時間はない。

 外出中に和郎がちょっと席を外す時とかに代わりに抱えて待つくらいだった。

 それも面倒になると海成に押し付けたりもしてた。

 もし、ここに海成や和郎がいたとしても。

 これを預ける気は起らないだろう。

 腕が痺れたってなんだって、自分が抱えて行く。

 太陽が傾きかけ、空が赤く染まる頃、家に辿りついた。

 ほっとした顔で美伶が出迎えた。

「お帰り……志郎、ありがとう!!」

 海成と和郎と美琴も居間で待っていた。

「なぁ、美伶。あんた、俺に光を与えるって言ったよな?」

 あの時は抽象的な人生を導き照らす光って意味だと思っていたが、まさか名前もそのままの人型だとは思ってもみなかった。

「えぇ」

 受け取ろうと手を伸ばしてきたのでそう聞くと、頷いた。

「んじゃ、コレは俺が貰う」

 和郎は目を見開き、海成はにやにやとこちらを見ている。

「えぇ。いいわよ」

 美伶は満足気ににっこり笑った。

「初潮を迎えるまで男のように育てる。ひかると呼ぶ事にする。異存は受け付けない」

「まぁ。女の子をこの街で育てていくのは大変だものね。安全の為にはその方がいいかも。でも、髪は短くしないでほしいなぁ。シャンプー大変だろうけど」

 今度こそ俺から我が子を取り戻して抱き上げ、振り返る。

「そうそう。おむつとかベビー用品志郎の部屋にも持って行きましょう~。志郎はおむつ替えちゃんと出来るかしら?」

「多少は」

「うんうん。んじゃぁ、丁度いいわ。海成も一緒に覚えなさいね」

「あ? 何で俺まで!?」

 ぎょっとして立ち上がる海成は思いっきり顔を歪ませる。

「あら。良い男は何でもこなせるものよ。これから暫くは二人でひかるのおむつ替えよろしくね?」

 別に良い男なんて目指してないから、俺はどうでもよかったが、アレの世話を人任せにするつもりはなかった。

 海成は男のプライドを刺激されたのか仕方なさそうに頷いた。

 こうやって母親ってやつは周りを良いように使っていくのか。



 美伶は、産後脆弱になった。

 ひかるが三歳の誕生日を迎えてすぐ、あっさりと風邪が原因でこの世を去った。

 美伶を失った我が家だったが、入れ替わるように一人住人が増えた。

 柳雪仁。俺より三つ年下。

 ひかるが袖先を掴んで離さなかったのが発端でもある。

 いつかそれも思い出す事もあるだろう

 その後もう二人程増えるのだが、それもそのうちだな。

 志郎の記憶の欠片 1 の話は終わります。

 次は別の視点になります。

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