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紺青の廻り  作者: おおせ
本編
6/11

5、各々の思惑

 国の蔵書管理は一部貴族に課された務めの一つ。否寧ろ許されたと言うべきなのだが、知識を得るとはそれ即ち力を得ることだと、戦禍に在った当時気付く者はごく僅かであった。

 国の要となるその任を授ける人物を、だからこそ王族は出来得る限り吟味すべきであり、更に言えば彼等天上人は現在の人選を誤ったのではないかとロイは常々考えていた。未だ絶対君主の体から抜けきらないこの国ではあまりに危ういその言葉を、決して口にすることはないが、幾人かには言わずとも伝わっているのだろう。

 例えば今ロイの目の前でおどける恰幅の良い老人などには。

 

「おや。おやおやおや、これはどうしたことか。うちの優秀な職員は本日休暇を申し出て、今頃“あの姉上殿”と居るはずなのだが。いやはや幻を見て居るのか、この老いぼれもついにここまで落ちぶれてしまったのだなあ」

  

 白い髭を蓄えたこの男、どこからやってきたのか子爵位を持つ彼は十数年前に突如王国の北端に現れ、当時昆虫の食物庫と成り果てていた地方書庫を次々とぶち壊して回った。彼が埃塗れの書庫の跡地に次々と建てたのは民間解放書庫――所謂図書館だ。

 長年秘されていた知を多くの民に授けたエンディル子爵は、地方の学者や識者達にとって紛れもない英雄である。

多少ひねくれた男でも、だ。


「老いぼれなどとご謙遜を。今もこうして私用でこっそりと来た私をすぐに見付けて、素晴らしい速さで声を掛けに来てくださったじゃありませんか」


 察してくれ狸爺、とは内心で続ける。

 手元に視線を落としたロイの無礼さにこれまた笑みを深めるエンディルを、館内に居た多くがびくびくと見守る。一方で埃を叩き落とす掃除夫やすっかり常連の者達は二人を一瞥して苦笑すると、それぞれの時間を過ごす為に何も聞こえぬことにした。

 北部に点在する書庫の主と彼の教え子は今日も仲睦まじい。


「それで、お前はまたアンナ殿にあしらわれたのか」


 場所は変わって解放書庫の奥、エンディル子爵――この場ではエンディル館長と親しまれる――は手慣れた手付きで茶を注ぐ。彼に向かい合うのは見目も好く品行方正端然たる好青年、の皮を被った愛弟子だった。


「なんのことですか」


 厭味ったらしくも見える優雅な所作でカップを持ち上げたエンディルに素気なく言葉を返すが、残念ながら子爵は遠慮と言う言葉を日に二度ほどしか思い出せない男だ。


「隠すような間柄でもないだろう。ほらこれはお前に渡してくれと預かった茶葉だ。美味いぞ」


「こんなもの初めて見るんですが……確かに美味い。それ持ち帰りますが、構いませんね」


 エンディルが振った茶筒からは軽い音が響いた。どうやら半分以上は使用済みらしいが何時もの事だ。

 その容器が放物線を描いてロイの左手に収まると、投げた本人は何事も無かったかのように話し出す。これも何時もの事だ。


「つまらん。前はもっと可愛いげがあったぞ。『エンディル様ひどいっ僕が貰ったのに! アンナにあげる分がないよ!』と泣いてしまったりな。いやあ、可愛かったな。あっはっは」


「貴方のする事に一々文句を言っていたら顎が壊れてしまうとわかったんですよ。それで、何かご用ですか」


 眼鏡を押し込み、茶筒はしっかりと手元に置いたまま訊ねる。


「つれないな、まあ良い。私はね報われない教え子が心配で心配で仕方がないのだよ。それでお前もそろそろ身を固めたらどうかと思ってな。どうだ、これから少し付き合わないか?」


 たるんだ腹を擦りながら茶を飲む子爵をじっと不審げに見たロイは浅く礼をすると、例に漏れず甘過ぎる茶に顔をしかめるのだった。





  

 八人乗りの車体がきっかり八人乗せてる所など見たことがない。乗合馬車の中で押しつぶされるアンナは、運よく押しやられた窓際で流れる景色――ではなく、汗をかく客の顔を見回していた。アンナが窓枠に付いた腕の中には、これまた追いやられてきた子供が立って居る。車体が揺れる度に乗客同士の肩や腕がぶつかり、車内の雰囲気は一層険悪さを増していく。

 こんなことなら男装でもして屋上席に乗れば良かったと思うが、彼女の男装は露ほどにも格好がつかないのだ。腕の中の不安そうな気配を感じながら、アンナはもう一度車内に居るはずの親を探した。

 やがて一人二人と客が降りて、同じく疲れ切った数人とアンナ、それから先程の少年とその兄と思われる少し年上の少年が車内で息を吐いた。子供は兄弟連れだったらしい。


「すごい人だったね、大丈夫?」


「あ、お姉さん」


 二人に話しかければ、よれた襟を正されていた少年ははにかんで、もう一人は軽く頭を下げた。


「さっきはすいません。俺も動けなくって、こいつまだこんなんだし心配だったんです。ありがとうございました」


「いえいえ。それにしても二人だけなのね。私が一人で馬車に乗れたのなんてもっと大きくなってからよ」


 昨晩気まずいまま別れた男の幼い頃を呼び起こす兄弟はほんのり赤くなって照れる。その様子を微笑ましく眺めて居ると、他の乗客も話に加わってきた。


「なんだあんたら親子かと思ってたのに違うのか。坊主、えらいな」


「親子……」


「ああ、妹がちょうどあんたと同じくらいでな。その子供に、まあつまりは俺の姪っ子なんだが、今から会いに行くもんだからつい目がいっちまったよ」


 笑顔のまま固まるアンナを余所に会話は続く。


「おまえらはどこいくんだ? おつかいか?」


「僕の母さんは侯爵様のお屋敷で働いて居るんだよ!」


「ばかお前、そういうことをすぐに話すなって言われただろ!」


「へぇそれはすごいな。この先ってぇと、ラースベルト卿の別邸か。ありゃあ立派な貴族様じゃないか、自慢の母さんだな!」


 感心する客達に兄は大袈裟に首を振って否定した。


「でも、僕等は平民だから、母の仕事も下っ端の下っ端なんです」


 現に今も上等とは言えない乗合馬車の中だ、少年の言葉は事実なのだろうが、やっと座れて寛いだ大人達はまるで酔っ払いの様に口を閉じることを忘れて居る。


「ラースベルト卿と言えばアレだよなアレ。ほら、反乱軍を無血降伏させた」


「懐かしいな、まだ十年前か? もう大昔の話みたいだ」


「そうそう。あの後先々代の――」


「お姉ちゃん、大丈夫?」


 すっかりつまらない方向へそれた会話から外れてこちらを仰ぎ見る仕草は猫可愛がりしていた頃の弟によく似ていて、可愛らしくて抱き寄せてしまいたくなる。しかしアンナは同時に、自分は世間からしたらこの年頃の子供が居ても可笑しくないのだと、面白くもないのに笑えそうだった。


「ごめんね、ちょっとぼんやりしてた」


『自分の年齢を痛感して思考停止したの。寧ろそこに反応した自分にびっくりよ』などとまさか言えるわけもなく、小さな頭を撫でて誤魔化す。

ロイに言われればそこらに投げ捨てていた台詞も、なかなかに来るものがあるのだなとまた笑ってしまいそうだった。


「ふーん? あ、見てお姉ちゃん。あれが母さんの居るお屋敷だよ!」


 見えてきた屋敷は見事なものだった。こんな北端の辺境には不釣り合いな筈の“侯爵”邸は、無駄な装飾が取り払われていても尚美しく佇み、取り囲む街の家々もかつてより随分と洗練されて見える。

 そこに八年前の夜に逃げ出した館は跡形も無く、小さく震え出した指先だけがこの場所を示していた。 

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