怪話篇 第十四話 願石
1
「叔父さん、その話本当なの!」
「ああ。そいつの言ってた通りだったね。その石は、あらゆる願い事を、現実の物としたんだ」
「ふ、ふぅん」
「……っ……っ、……っはっは、ははははは。」
「!」
「はは、はははは。ごめん。冗談、冗談だよ、可奈ちゃん。本気でそんな都合の良いもんが在るとでも思ったのかい?」
「っもう、叔父さんったらぁ」
「でも公夫、願い事が叶ったっていうのは本当だろう」
「そりゃぁまあ、その通りだけど。そんなの偶然だよ。そう思うだろ、兄さんも」
「そうだな」
「僕が部長になれたのも、前の部長がカナダで事故に遇ったからだし、マンションだって親父の保健金の御陰じゃないか」
「ふむ」
「ねっ、ねえ、叔父さん。願い事ってあと一つ残っているんでしょう?」
「そうだけど。可奈ちゃん、何か欲しい物でもあるのかい?」
「あのねえ、その石にねえ……」
「?」
「あたしの願い事をいくつでも叶えてくれるようにって」
「ええっ! そりゃぁ、ちょっと都合が良過ぎるんじゃないかい」
「はっはっは、こりゃ傑作だ。公夫、やってみろよ」
「良いでしょう、叔父さん。どうせ信用してないんだし」
「うーん。しかしなあ、まあ良いか。でも、上手くいかなくっても、懇みっこなしだよ」
2
「ねえ、可奈ぁ。ココ判るぅ?」
「え? ああ、ココねぇ。あたしも判らないんだ」
「こんなんで、試験大丈夫なのかのかなぁ」
「夏子は全然平気そうねぇ」
「全く自信なし。単なる開き直りねっ」
「あーあ、試験パス出来ないかなあ」
「そうだねぇ。お願いだから、試験中止になって」
「無駄よ、無駄。少しでも単語覚えといた方が良いよお。あっ、ココ絶対出るって言ってたよ、ココ」
「どこどこ?」
「ココ」
「ふーん」
「やったぁ! 梶谷休みだぞぅ」
「おっ、なんと!」
「テストどうなるんだぁ?」
「問題は梶谷が持って帰ったんだと。故って試験はなし。証明終わり」
「いやったー!」
「ええっ。お願い……叶っちゃった」
「やったやった」
「くそう、俺昨日から寝てないんだぜー」
「はっはっは。正義は必ず勝つのだ」
「日頃の行いだね」
「やっほー」
「コラー! 静かにせんか! えー、皆ももう知っているように、梶谷先生が急病でお休みになられたので、五限目の英語の試験は中止だそうだ。そこでこの時間は自習」
「やったー」
「……ではなくて、次の六限目と併せて数学の演習をする。例題も問題も、勿論時間もたっぷりあるから、いっぱい楽しめるぞう。おまえらは、なんて幸せなんだ」
「えー!」
3
「よお、太田いるか?」
「ん? 今、いないみたいねえ。用なら、言っとくけど」
「えっ。いやあ、はは、大した事じゃあないんだけどさ。ちょっと、これを返そうと思ってね」
「あー! これあたしのノートじゃない。もう、いつの間に。ひっどーい」
「あっ、そうだった? 太田に言っといてよ。いやあ、助かった助かった。可奈ちゃん、字奇麗だから。本当、助かったよ」
「待て、横井。もう、太田君もそうだけど、勝手に人のノート持ってくな」
「いやあ、悪かった悪かった。今度、何かおごるから、ねっ。そう、怖い顔しないでよ。ほうら、美人がだいなしっ。じゃあね」
「こらぁ。何がじゃあねだ。おまえなんか、馬に蹴られちまえ」
「これこれ、女の子がそんな言葉を使うもんじゃないよ」
「あっ、太田君。これは、どおいう事なのかな」
「あれ、横井のやつぅ。もう、しょうがないなあ」
「また、勝手にあたしのノートを持ってたでしょう」
「いやあ、バレた?」
「バレたじゃない」
「あ、ははは。まあ、皆喜んでくれたんだし、そう目くじら立てなくてもね。そうそう、これお礼にって。おまえ字が奇麗だから」
「何よ。映画のチケット?」
「ははは、行きたいって言ってたやつ。今週で終わりだから、早めに行くように」
「太田君は?」
「オレ? オレは、部活があるから。取敢えず、2枚あるんだ。誰かと、行ってきなさい」
「そう。その変わり、この埋め合わせは……」
「はいはい、いつかします。じゃあな」
「じゃあなって、もう、逃げ足だけは早いんだ。でも、お願いってしてみるもんだね」
4
「おーい、可奈ぁ。一緒に帰ろうや」
「あれぇ、今朝は部活があるからって」
「ふむ、これじゃあね」
「何それ! 一体どうしたの?」
「ちょっと体育でね。大した事はないんだけどさ」
「大した事ないって、利き腕でしょう。部活どころか普段だって大変じゃない」
「まあそうだけどさ。そういう事だから、暫くは出なくていいって。養生して早う直せとな」
「本当に大丈夫なの?」
「本当だよ。でもまあ、三ヶ月くらいはかかるかなあ」
「ふっ、ふうん。ごめんねえ、あたしが無理言ったから」
「何で? 可奈の所為じゃないだろう。とにかく、当分の間は可奈の希望通り、一緒に帰れるけどね。そうだ、チケット持ってる? ついでだから、今日行っちゃおうよ。それとも、もう誰か誘っちゃった?」
「ううん。でも、今度の試合出られなくなっちゃったね」
「しゃあないでしょう、この手だしね」
「うん」
「可奈の所為じゃないんだから。そんなにしょげるなって。オレって、転んでもただじゃあ起きないタイプなんだ。右手の使えない分は、左手が鍛えられるからな。見てなって、夏の大会じゃ大活躍だぜ」
「うん。あたしもお願いするから」
「えっ、神様にかい? うん、よろしく頼みますよ。じゃあ、行こうか」
5
「可奈、可奈。ねえったらねえ、可奈」
「もう、蝉じゃないんだからカナカナ言わないでよ。それでなくても、苛々してんだからぁ」
「ごめん。でもさあ、可奈、恭子の奴が」
「もう、その話はうんざりよ。あいつの事なんか聞きたくない」
「そうじゃなくってさあ、恭子の奴さあ、入院しちゃったんだって」
「えっ。入院って、一体どうしたの」
「モウチョウらしいって話だよ。ねえ、モウチョウってどういう字だったっけ」
「盲腸ねえ、そうなの」
「はは、良い気味だねえ、可奈。あいつ、何かといっちゃあ太田君にべったりしてさあ。太田君も太田君だわ。もう少し可奈に気ぃ使っても良いと思うんだけどさ」
「その通りねえ。天罰よ、天罰」
「うん。そ、そうかもね……」
「どうしたの、可奈」
「本当、顔色悪いよ」
「えっ? うん、平気」
「そ、そうだ!ねえねえ、久し振りに『路々』によってこうよ。最近、試験だ何だって言ってて、行ってないじゃない」
「そうねえ。でも、他人の不幸を喜ぶなんて、あんまり趣味良くないと思わない?」
「ふん! あいつは別なの、別」
「そうそう。ねぇ、可奈も行くでしょう?」
「うん」
6
「そんなんじゃないよ。可奈、お前このごろ変だぞ。最近は、お前の喜びそうな事ばかり起こってるのに、全然嬉しそうじゃないのな。それどころか、苛々したりむっつりしたり。何かあったのか?」
「何でもないの! それより何で一人で恭子の御見舞いになんか行ったりしたのよ」
「だからそれは、お前や北沢を誘おうとしたけど、もう帰っちゃってたんだろう。それで、仕方がないから一人で行ったんじゃないか」
「そういう事じゃなくって、どうして恭子のお見舞いになんか……」
「ついでだったんだよ、ついで。オレだって、怪我してんだ。たまたま速水の入院してる病院が同じだから見舞いに行ったんじゃないか。どっかおかしいか?」
「…………」
「あっと、それとな、腕の方だけど、もう殆ど直ってるんだとさ。医者の方も、あんまり直りが早くで驚いてたよ。おまけにさあ、今度の大会にはレギュラーになれるかもしれないんだぜ」
「…………」
「そう不思議そうな顔すんなよなあ。これも偶然なんだけど、北沢が交通事故を起こしちゃってなあ、それで今1人空いたんだよ。でもまあ、人の不幸を喜ぶのはよくないよな。腕も直った事だし、実力でレギュラーになってみせるさ。可奈? どうしたんだ。どっか悪いのか?」
「何でもない。何でもないのよ!」
「可奈。どうしたってゆうんだ? 突然ヒス起こして。もう、しょうがないなあ。こうなったら、奥の手を出すか」
「何なの?」
「へっへー、見ろよこれ。前から欲しがってたろう。一昨日、横井と本屋行った時に見付けたんだ。そん時、棚から本が崩れてきてよう、横井のやつひどい目にあったけどなあ。みんな競馬関係の本なんだぜ。馬に蹴られてなんとやら、だ。あっ、そうそう、横井がなあ、この前は悪かったって。それで、……」
「もうよして!」
「おい、どうしたんだ。変だぞ、おまえ」
「そうよ、みんなあたしが悪いのよ。あたしがあんなお願いするから。だから、もうほっといて」
「もう、何が何だか判んねぇよ。いい加減にしろよなぁ。付き合いきれないよ」
「うるっさい。ちょっと1人にしといて!」
「そんな言い方はないだろう。この、ヒステリー。もう、知らんぞ! 勝手にしろ」
「ひっどーい。何が、ヒステリーよ。もう、太田君なんか、豆腐の角にでもぶつかって死んじゃえ!」
「えーい、訳の判らん事ばかり言いやがって。オレだってもう、知らんぞ。勝手にしろ」
「こっちだって、もう知らないから」
7
「嘘。太田……君」
「事故なんだから。諦めましょう」
「違う、事故なんかじゃないの。あ、あたしが、……あたしが、あんな事言ったから」
「何、また例の石の事。偶然なんだから。トラックに引かれた人は沢山いたの。あの時間は、買物に来る人達が沢山いたんだから。お豆腐屋の前なんか人だかりで、それで、太田君も動きが取れなくなって。ねぇ、判るでしょう」
「…………」
「何、何する気? そんな石にお願いしても、何にもならないでしょう。よしんば、その石がお願い叶えてくれても、死んだ人間を生き返らせる訳ないでしょう」
「でも、お姉ちゃん」
「もし、石の力が本物でも、無から有を生むなんて出来なかったでしょう。その石に出来る事といったら、せいぜいが邪魔な人に怪我させたりして、お願いが叶うように持ってくだけじゃない。だけど、太田君は、もう死んじゃったのよ。もう、どうしようもないの」
「そんな。でも、でも」
「ねっ、可奈の所為じゃないんだから」
「…………」
「可奈?」
「……お願い」
「えっ?」
「お願い。私なんか、どうなってもいいから! お願いだから、太田君を生き返らせてよ。お願いだから」
「可奈」
8
「そうですか、可奈がそんな事を。僕があの時、あんなにむきになったりしなければ、可奈だって、こんな事までして僕を……」
「それよりも、気分はどうかね。何も、どこもおかしくはないかね?」
「いえ、医師。少し、頭がフラフラするくらいで」
「ふむ。少し、横になっておいた方がいいだろう。用があったら、これを押して。すぐ看護婦が来てくれるからね」
「はい。どうも、すみません」
☆ ☆ ☆
「医師、どうなんでしょうか」
「お嬢さんの方は、もう」
「そんな」
「もう、私には、どうしようもありません。これ以上治療を続ける事は、かえって危険ですから。しかし、希望をすててはいけません。我々も、出来るだけの事はするつもりです」
「そ、そんな。そんなバカな事が……」
「滅多にない症状なんで……。よっぽど、ショックだったんでしょう。この手の人格転移は、他に例がありません。これ程完全に他人の人格を再現したものは。お気の毒ですが、今のお嬢さんは、完全に太田君なんですよ。信じられない事ですが、まるで、太田君が生き返ったみたいです」
eof.
初出:こむ 8号(1988年1月15日)