プロローグ
その日は小春日和というよりは初夏のようで、何とも言い難い暑さだった。それはきっと天気予報を見なかった自分のせいだろう。気温に対して厚手の服を着てしまっているからだ。
今は春休み。数日後には授業が始まる。今年で大学四年生になるが、入学当初のようにやる気が燃え立っているわけではない。就職活動だってしなければならないし、卒業に必要な単位の取得や卒業論文だって書かなければならない。正直に言ってやる気は出ない。やることが多すぎるんだ。気分も萎える。気晴らしにてテレビでも見てみようか?
ベッドから降りてテレビのスイッチを入れ床に座ってみる。今日もくだらない番組が流れている。いや、くだらなくはないな。いつもなら嬉々として見入る内容のはずだった。
「世界の不思議を暴く!テレビの前のあなたたちが証人です!」
よくあるオカルト系の番組。毎週世界の不思議な、といっても大体がこじつけにしか思えない場所をピックアップしてそれっぽい意見を複数映像化して流すだけの他愛もない娯楽番組だ。くだらないが家族で小馬鹿にしながら見るにはうってつけの番組だ、と俺は思う。中には本気で信じている人もいるんだろうが、それはそれで個人の楽しみ方だから何も言うことはないな。
「今日からは世界最大の謎、『十字海溝』の謎に迫る特集です。」
どうやらテレビ局の方は本気らしい。十字海溝というのは文字通り十字の海溝で、飛び飛びに円形を作るように並んだ島々が囲う海にそれはある。この世界の人にとっては知っていて当然ともいえる。むしろ知らない人のほうが珍しい、そんな場所だ。まあ、そろそろ番組の改編期だから最後に大きな特集、といったところだな。
「見てください、このきれいな十字型!」
悪いが今日は見る気になれない。だいたい自然の作り出したものに自分たちの常識が通じると思っているのが間違いだ。何よりもきれいな十字じゃない、明らかに海流で削られたみたいに見えるじゃないか。まあ、専門家じゃないないからよくわからないが。そういったところも含めて笑える番組なんだが、今は見ているほど心に余裕がない。
「そもそもこの海溝はですね、もともと上に島があり、何らかの現象によって島ごと消え去ったと言われています。」
誰に言われているのか知らないが、こういうのを考える人ってのは本当にすごいと思う。大人しく小説家にでもなってればいいのに。
さて、心に余裕がないのはここ最近不幸な出来事が続いたからだ。父親の失踪に幼馴染の自殺、親友の豹変と心が落ち着く余裕なんてない。
最近、といっても半年前だが父親がいなくなった。自慢じゃないが我が家は特に金銭的の問題も無く、浮気だとかそんなのもないし、家族のいさかいもない理想的な家族だった。それなのにいきなりいなくなった。母親は何か知っているようだったが絶対に教えてくれなかった。
思えば不思議な父親だった。というか電波的な人だった。「自分は魔法が使える」だの、「風を操れる」だの、「別の世界から来た」だのと言っては幼かった俺をワクワクさせてくれた。俺が大きくなるにつれてそういうことは言わなくなってはいたが、それは少し寂しかった。何よりも自由奔放な人で、それと合わせて何かと規格外な人で、道端で会った良家のお嬢様だった母親にいきなり「結婚してください」とか言い放つとんでもない人で……。本当かどうかは知らないが二人してそれを「史上最大のロマンチックな出来事」と言っては結婚記念日のたびに話してくれたが、もうその話も聞けないな……
「我々が極秘に入手した古い文献によると、かつてここにあった島は……」
少しうるさいと思った。テレビの電源を切ってからベッドに寝っ転がり考え事を続ける。
二週間前に幼馴染が自殺した。いや、自殺とは言えないかもしれない。警察の見解によると自殺ということだ。俺はそうとは思っていない。彼女から最後に届いたメール、それは『わたしたちはみられてる』というものだった。かなり焦っていたのだろうか、平仮名のまま変換されていなかった。
俺は、すぐにもう一人の幼馴染であり彼女の恋人でもあった『水間龍弥』に連絡をとった。二人して何度も携帯にメールや電話をしたが繋がることはなかった。彼女はあのメールを最後に消えた。見つかったのは川縁に落ちていた一足の靴だけだった。あまりにも不可解なことだが警察はそれでも自殺だと言い切った。
いや、不可解でもないか。あの時起こっていた大きな事件に比べればこっちの事件に力を注ぐことはできないと言った所だったのだろう。まったく興味のない事件と管轄が同じだっただけでこの扱いだ。これじゃあ世間の評価が下がるのも仕方がない。
話が逸れた気がするがそれ以来彼女に会うことはない。一体どこに行ってしまったのか、それを知る術は残念ながら俺にはなかった。
何よりも心配だったのが龍弥のことだ。幼馴染であっただけでなく、いちばん最愛の人を亡くしたのだから心の負担も相当なものだったと思う。それが原因だろうか、彼は変ってしまった。俺に対して相当ひどい暴言をぶつけてきた。正直今それでへこんでいる。お調子者だったけど頼りがいのある良い奴だったのに……。三人でいつも一緒にいた日には戻れないんだなと痛感させられた。
「暗いな……」
時刻は午後7時、窓の外はもう真っ暗だ。
「いつもの場所に行こう。」
いつもの場所、心地よい風が吹き抜ける公園の丘の上。俺のお気に入りの場所だ。何かしら考える事ができた時、そこで寝転がって星空を見上げると心が落ち着く。家のベッドの上でうだうだ悩むより格段に良い。そう思って外に出て足早に公園へ向かった。
「おっと、伝言くらい残してくるべきだったな。」
母親に何の連絡も無しに夜外出するのは気が引ける。きっと心配するだろう。メールで「いつもの公園に行って来る」とだけ送っておく。たったそれだけ?と思うかもしれないが、無駄に色々書き込むよりはシンプルな方が良いと俺は思う。
「まだ仕事中だったかな?」
メールはすぐには返って来なかったが、少し仕事が長引いているんだろう。ちゃんと送信はされているようだから、後は公園までの道のりを急ごう。
公園の丘の上。池の隣の大木の下。お気に入りの場所に寝転がって星空を見る。
俺と龍弥と彼女の三人でよくここに来た。星空を見上げて他愛のない話をしたり、暑いときには池で水遊びをして管理の人に怒られたり、寒いときには男二人で「根性だ!」と叫んでは体操服(半袖半ズボン)で過ごして風邪をひいたり……本当にいろんなことがあった。どんなに楽しい思い出を思い出しても、今のままではあの頃に戻れやしない。何とかして彼女の行方が知りたい。そうして彼女が戻ってくればきっと今までのように過ごせるだろう。
でも、たとえそうだとしても、どうやって?
そう、どうすればいいのかが全く分からないのだ。警察はお察しくださいだし、俺はまだ学生だ。何をすればいいのか?何をしていいのか?してはいけないことがあるのか?その全てが分からない。
気を紛らわせれば何かいい策が浮かぶかもしれないとこの場所に来たが、結局はただ星を眺めては思い出に耽りため息を漏らすだけ。
「やれやれ、ここにいてもしょうがないか……」
お気に入りの場所でも何も得ることが出来なかった。そのことがとても残念に思えたが、いつも同じ場所というのがいけないのかもしれない。明日からは違う場所にしてみようか、とかどうでもいい事を考えながら立ち上がった。
「…………なんだ?」
嫌な感じがした。そうだ、これは視線だ。誰かに見られている?
『わたしたちはみられてる』
不意に彼女の最後のメールが頭をよぎった。嫌な感じが増してきて、その正体を確かめようと周囲を見回した。
彼女が残したのは川縁の靴
そう思い出して、ふと思う。
「水の中にいるのか?」
オカルト的なものかもしれない。そう思うと恐怖と共に好奇心も湧いてくるから困る。どうせ何もありはしないと池を覗き込む。
「ほらな、何もな……い……っ!!」
水面に映っていたのは自分の姿だった。そうだったはずなのに、それはみるみるうちに姿を変えていった。
頭に赤い宝石の付いた髪飾りを着けた黒いツインテールの女の子の姿。その娘の真紅の瞳と目が合ったとき、不意に意識が途切れた。
「見つけた、『霧原勇人』!」
その娘は俺の名前を呼んでいた。