キキミイモスープ
「あの女なら……やりかねない。俺はあの時、ずっとボロボロで、実験結果も、書き付けたあと見直す暇もなくて……」
ギミッシュに来て癒されたはずの心が、あっという間に冷えていく。
「棚に突っ込んだまま放置してた。写しを取る事は簡単だと思う」
椅子に座りなおす。
「ただ、王都での研究は、結論からいえば特効薬は出来ずに終わったんだ。あれをそのまま発展させて特効薬が完成するとは思えない」
「……でも、小さな効果は出てた。違う?」
今度はロッカが立ち上がる。
「最初のとき、メーヌリスは言ってた。あと一息だって。……なら、小さな創薬の効果を、信じさせればいい。回復したって」
「そんなの詐欺じゃないか! なんでそんな事をー…」
「メーヌリスを傀儡にして、公爵家を乗っ取れなかったから。今度は公爵さまにも王さまにも、売れるよ。たくさんの、ウソの恩」
今度こそ深く、室内が静まり返った。
まさかとは思うがあの女、自らザラームーン病を王宮に持ち込んだのか?
発症した貴族は夜会に出席している……、あの女の実家は酒蔵を経営している……、酒を王宮に入れる際に、発症した人間を出入りさせていたとしたら――。
頭を振る。
悪い想像より、目の前にはもっと深刻な問題がある。
それは、特効薬がこの壜ひとつだけ。つまり『1人ぶんしか出来上がっていない』ということだ。
騎士にそれを伝えると、激しいうなり声をあげて咳き込み始めた。
父上よりも先に自分がそれを使ってしまったことへの自責を語る。
出立後に発症したが使命感を優先した結果がこれかと、彼は拳をにぎりしめ、自身の太ももに何度も叩きつけた。
罹患した貴族の人数を聞く。
騎士も詳細な人数はわからないとした上で、最初の発症はおよそ30名だと言った。
更にその周囲の人間100名以上に感染が拡大したと。
話から推測するに、現在ではおそらくその倍、下手をすると倍々にまで増えているだろう。
今から精製を始めても到底間に合わない人数だ。
深刻すぎて頭を抱えていると、ロッカが俺の服を引っ張った。
「……メーヌリス。来て。大事な話があるから」
騎士に安静にするよう伝えて迎賓室を出る。
ロッカは無言のまま精製室に入って行った。俺もそれに続く。
誰もいない精製室には朝日がさしこみ、ガラス器具が虹色に反射している。
ロッカは振り返り、俺たちは向かい合うかたちになった。だが、彼女は何も言わず、時間が過ぎていく。
うつむいていたロッカが、ぽつりと、特効薬精製のアテがあると呟いた。
「……でも、わたし。嫌われたくない、メーヌリスに…」
「? 急に話が変わったな」
「変わってない。大事なこと」
ロッカは顔をあげ、俺の目をじっと見つめた。
澄んだ青い目の中に、俺の顔が映っている。
初めて酒場で会ったとき。
山の小屋で言葉を交わしたとき。
特効薬の精製に成功したとき。
いつも真っすぐに見つめてくれた。
この瞳に救われた――、いや、瞳だけじゃない。救われただけじゃない。かけてくれた言葉。笑み。創薬への想い。彼女の、全部が。
「俺は。どんなロッカでも嫌いにならない。むしろ、特効薬のアテがあるなんてすごいじゃないか。父上を助けられるし、嬉しいよ」
「……ほんと?」
「本当」
「……じゃあ、雪解け水持ってきて。たくさん。皆に声かけて」
「???」
言われるがまま精製室を出て、職員たちに声をかける。
皆と協力しながら、大量の雪解け水の革袋と大量の空き壜を精製室に運び込んだ。
ロッカは自分の前に銀の円盤を設置し、席に座る。
円盤は低くくぼんでいて、底面の左下にスジが入り、その先端には集約口がついている。
「……私が合図したら、特効薬を舌に一滴たらして。あとこの集約口で、壜に特効薬を入れていくから」
俺の手に特効薬の壜とガラス棒を持たせると、ロッカは何を思ったのか雪解け水を飲みはじめた。
革袋がしぼんでいく。
途中で息を大きく吸い、また飲んでいく。
2袋飲ぶん飲み終えたところで、ロッカは俺に向けて舌をベロリと出した。
ガラス棒を伝わせて特効薬を1滴たらす。
しばらくするとロッカの目に涙があふれ、彼女がうつむいたとたん、大粒の涙が円盤に落ちはじめた。
しかも止まらない。
滝のようにパタパタと落ち続ける。
ある程度円盤に溜まったところで、俺は気づいた。
この涙……、特効薬と同じ色をしている。
彼女は慣れた手つきで泣いたまま円盤を傾け、集約口から壜に涙を注いだ。出来上がった壜を俺に渡してきたため、あわてて受け取り蓋をする。
10個ほど壜ができた所で涙が止まった。
ロッカは再度雪解け水を飲みはじめ、ある程度飲むとまた舌をベロリと出した。
特効薬をたらす。涙があふれ、円盤に溜まる。壜に入れる。雪解け水を飲む、1滴たらす、特効薬を壜に入れる……。
何度も何度もくり返し、終わったのは深夜だった。
すっかりしぼんでしまった革袋の山と、ものすごい数の特効薬の壜。
腫れぼったいまぶたをしたロッカと、ようやくこの不可思議な現象について考察する余裕ができた俺。
たったそれだけが、世界に取り残されたように、月明かりに照らされている。
この地に根付き、慣用句にまでなっている言葉。
願うだけで植物を育て、創薬し、魔法を使うという伝説の種族。
セリブロガラーの薬草だけに異常に詳しいこと。食べるのが好きで、ニンマリしながらいつも美味しい料理を教えてくれること。通りを歩けば住民たちが、薬の感謝を述べながら髪に口付けていくこと。
『……でも、わたし。嫌われたくない、メーヌリスに…』
うっすら気づいていたそれらが、静かな夜に、精製されていく。
俺は。
彼女の前に跪いた。
ゆっくりと。
銀の髪に触れる。
先端を梳き、ひとふさ持ち上げ、そっと。
口をつけた。
「俺の感謝を受け取ってくれ。――銀嶺の魔女・リーインロッカ・セリブロロス」
「……銀嶺の魔女は、死んだおばあちゃんのことだよ。少なくとも、わたしにとっては今も」
ロッカは疲労感がにじむような息を吐き、お腹が空いたとこぼした。
俺は彼女を自室に通し、備え付けられているちいさな暖炉に火をつけた。鉄瓶をセットする。
沸いたお湯とキキミイモの粉とトロミ葉をカップに注ぎかき混ぜると、簡単なスープができあがった。
買い置きしていたマジョンタも渡しておく。
と、ふと思いついて言った。
「銀嶺の魔女がおいしいレベルではないだろうけど、食べてくれ。ベッドも使っていい。俺は外に出て騎士殿の経過観察をするから」
ロッカはスープをコクリと飲み、それから、ふんわりと笑った。
「……おいしいよ、メーヌリス」




