トナカイのドーミシチュー
初日は入山申請書に記入し、大きい荷物を整理して終わった。
研究所の仮眠部屋をしばらくの住まいにしつつ、荷物の開梱に空き家探し。通常業務を覚えるなど慌ただしく動き、あっという間に数日経った。
霊峰は相変わらず雪をドレスのように着こなしていて、朝起きると息が白くて寒い。
研究所の1日は、巨大な暖炉に大量の薪を入れる所から始まる。
配管を通して施設全体を温めている間に、出勤した数名で雪かきをする。終わると茶の時間を設け、今日の勤務内容や業務連絡を伝達する。その後は各自動き、日が暮れれば終業となる。
ギミッシュは日没がおそろしいほど早い。
昼からすこし時間が過ぎたあたりで夕暮れが始まる。
暗くなり、皆が帰ったあとは研究所の門を締める。建物の出入り口も施錠し、巨大な暖炉の灰を掻き火の始末をする。
王都ではまだまだ業務時間だったため、手持ち無沙汰を感じながら仮眠部屋に戻った。
備え付けの小さな暖炉に火を入れ、机のランプに灯りをつける。
霊峰入山許可証やギミッシュの地図とともに、王都から持ってきた研究資料の束が、ぼんやりと影をつくった。
俺は王都ではザラームーン病を研究していた。
いちど罹患すれば確実に死に至る病。
特効薬は見つかっていない。
病状に対して一定の効果を出す薬草の組み合わせを探す事は、創薬師としてこれ以上ない課題だった。
難解な試験を突破して特級にあがれば宮廷勤務になる。
王宮図書館で秘蔵の資料が見れるし、もっともっと自由に研究できると期待していた。
けれど。
所属した宮廷研究所で元上司から課せられたのは、大量の薬品精製ノルマだった。
自分の研究ができるのは、精製が終わった夜明け前。
幾日もの徹夜。
まわらない頭。
元上司に同調し、ニヤニヤ笑いながら俺に仕事を積んでいく同僚たち。
孤立。
枯れていく感情。
機械的に手を動かすだけの激務。
そしてあの日。
偶然聞いてしまった、元上司の思惑―…。
「――だめだ!!」
声に出して回想を切断する。
頭をふり、室内を歩き回る。
つきまとう影が鬱陶しくてたまらず、コートを羽織り外に出た。
雪が静かに降り続けるなか、エルモライに教えてもらった酒場へと急ぐ。街の通りは夜に沈んでいたが、酒場の扉を開けた瞬間。
まぶしい光と楽しいざわめきがおしよせてきた。
知らない土地で、相変わらず俺は独りだ。
でも、あんなクソみたいな元職場より……ずっとマシだ…。
相席になると店員に言われて了承する。
案内された壁際の席には、小柄な人物が座っていた。白いコートに毛皮のフードをかぶり、うつむいている。
俺が向かい側に座ると、まだ何も注文を言っていないのにワインが来た。食前酒はすぐ来るタイプの店なのかとグラスに手をのばす。
と。
白くて細い指にぶつかった。
目線をあげる。
フードの人物と目が合う。
少女だ。
透き通った青い瞳。さらりと動く銀の髪。薄くひらいた桃色の唇。
「……わたしのワイン…」
「あ、」
手をパッと放す。
少女はグラスをすくい上げると、一気にワインを飲みほした。
グラスを置くと同時に白い手をサッとあげ、店員に注文する。
「……もう2杯。この人にも同じの。あとトナカイのドーミシチュー。黒パン半斤。チーズ盛り合わせ。蜂蜜のマジョンタ2個。チーズが先だとうれしい」
店員が頷き立ち去る。
俺のぶんも注文してくれた……のか?
見るとまた目が合った。
彼女は眉間にシワをよせて青い瞳を細める。
俺を上から下まで眺め、しばらく思案したように首をすこし傾けると、思い当たったように瞳がパチパチとまたたいた。
「……あなた…。メーヌリス?」
「!」
「シュヴァルティア公爵家の、メーヌリス・シュヴァルティア。違う?」
この少女、何者だ。
――いや、たとえ何者でも、今の俺は公爵家の人間ではない。
コートのボタンを外し、俺は胸元から特級メダルを取り出した。
「俺は特級創薬師だ。特級の身柄は国の預かりになる。だからもう、家門は無い。『ただの』メーヌリスだ。覚えておいてくれ」
「……夢、叶えたんだ…」
「えっ?」
少女はふんわりと笑った。
「わたし、1級創薬師のリーインロッカ・セリブロロス。ロッカでいい。……ギミッシュ研究所で働いてる。暇なら遊びに来て。いいところだよ」
ワインとチーズが届き、少女は乾杯とつぶやいてグラスとグラスを合わせた。
美味しそうに飲む彼女を見て、俺もワインを口に含む。
濃いぶどうの酸味が広がる。
………。
遊びに来てどころか、もう働いているんだが……。
今まで会った職員の中に、こんな子はいない。資格の等級だけでいうと、職員の中でこの子がいちばん高い。が、いかんせん情報が古すぎる。
もしかして、山に籠って降りて来ないという噂の所長か?
こんな少女が??
困惑しながらチーズをつまんでいると、店員が料理を運んできた。
少女にすすめられるまま、取り分けたトナカイのドーミシチューをほおばる。
肉は噛まずとも口の中でほぐれ、スパイスの効いたドーミソースが香る。野菜もほろほろに煮込まれ、舌のうえでとける。
「うまっ……」
思わずもれた感想に、少女はニンマリと笑った。
「これはね。ギミッシュのトナカイ料理の中では、かなり銀嶺の魔女がおいしいレベルだから。ただのメーヌリスに、とてもおすすめ」
少女、リーインロッカは、手のひらほどの四角いパイに手をのばす。
パリパリという音と共に、林檎と蜂蜜の香りがただよった。
「マジョンタは、そこそこのレベル」
銀嶺の魔女がおいしいレベルに『かなり』とか『そこそこ』とかの差があることを発見し、俺はなんだか笑い出したい気分になった。
そんなの、ただの個人の匙加減じゃないか。
リーインロッカは全部食べ終わると席を立ち、テーブルに代金を置いた。
俺が顔をあげると、少女はフードからはみ出た銀の髪をなでつけ
「……遊びに来て、絶対」
と呟いた。
俺はシチューを口に入れたまま頷く。
入山許可証はもうある。
明日は山登りだ。




