エスタリテ
「……ダメだよ」
ロッカが、片手で女の手首をつかむ。
「!? なんなのアンタ! てか、放しなさいよ!! このっ、くっ、」
女が腕を動かそうにも、ピクリともしない。
……そういえばエルモライが昔『彼女は武技も強いので……』などと言っていたような気がする。
ロッカのもう片方の手は俺の腕に置かれていたが、マナー通りにゆっくり俺の腕から離された。
そして両手で女の腕を掴んだかと思うと、次の瞬間。
女の身体が宙を舞った。
ズダンと床に叩きつけられる音。
叫び声。誰も動けない。
ロッカは女の手から壜をもぎ取り、俺に渡してきた。
目が合う。
青い瞳がまたたく。
俺は息を大きく吸って、胸を張った。
王太子のもとへと歩きはじめる。
後ろから、うめき声がする。
「メッ……! メーヌリスぅ! あたし悪くないわよねぇ? 知らなかったんだもんそうでしょう?! そう言ってよぉ……今までのこと謝るからぁ…! だから……だから…!!」
無視して跪く。
特効薬を献上すると殿下は受け取り、遠くを見上げた。
「ふ……、ふふっ。あの色はないね、残念だ」
こうして、夜会で王太子との婚約が発表される予定だった特級創薬師アファリシアは退場した。
誤解だ知らなかったなどと叫び続けながら黒服の従業員たちに引きずられる様子は、明日にでも恰好の話題として貴族たちに伝播するだろう。
特効薬を全部配り終わって一息ついていると、ロッカがエスタリテを持って来た。
宮廷でしか供されない白い星形の焼き菓子で、俺も2回しか食べたことがない。ただ、確実に銀嶺の魔女がおいしいレベルの代物だ。
ひとつを俺に渡すと、ロッカはもうひとつのエスタリテをじっと見つめた。
「……メーヌリス。聞いてもいい?」
「ん?」
「色ってなに。王太子が言ってた、あの『色』はないって」
「あぁ、ドレスの色の事だよ」
貴族たちはドレスの色に様々な含みを持たせる。
男女が対になる色のドレスを着ていると求婚中。
お互いがお互いの色を服に入れていると婚約中。
同系色で揃えていると結婚している、という意味になる。
王太子とあの女アファリシアは、お互いが対になる白色と赤色。更に今夜は婚約発表という事もあり、王太子の襟のフチ刺繍は赤色。あの女のドレスの裾刺繍が白色と、控えめに婚約の意味も入れてあった。
「……じゃあ、わたしとメーヌリスは?」
青と銀刺繍、黒と金刺繍。
昼の月、夜の星。
「それは……その、対に…なるけど……、これはユーラが用意したものだから。いや、俺としては……つまり、そういう…意味だけど……」
「メーヌリスって、けっこう弱いよね」
「? 急に話が変わったな」
「変わってない。中身のこと」
ロッカは自分が持っていたエスタリテを食べ、目を細めて喉を鳴らした。
首をすこし俺のほうに傾けて、微笑む。
「……死にそうな顔してた。最初は。でもシチューを食べたら目が丸くなって、次に小屋に来たときは、ビクビクしてた。お父さんの手紙読んだらキリっとして、実験が上手くいかない時はシュンとして、特効薬ができたときは、笑顔になった。初めて」
夜会の灯りが、銀の髪を照らし出す。
「必死に騎士さんを看病して、どんなわたしでも見つめてくれて、使命感に燃えてて。でもお兄さんにはちょっと甘えてて。怖い存在にも立ち向かった。ザラームーン病から救うために、夢を叶えて。メーヌリスはすごく頑張ったし、今は。すこし、ドキドキしてる。違う?」
俺は自分が持っているエスタリテを食べた。
口の中に、甘くとける。
「違わない。もしかして俺いま、風変わりな愛の告白を受けてるんじゃないかって……、そう思ってる」
こんな時でも音楽隊は、優雅なダンス音楽を流し続けている。
このままロッカの話が続くとすると俺の心がもたないため、彼女の前に行き、礼をしてから右手を差し出した。
「お美しいお嬢さま。踊っていただけますか?」
「……うん。いいよ」
宮廷の奥にある大鐘楼が鳴り、夜会の終わりを告げた。
――翌日。
ロッカだけ先にギミッシュへと帰った。
俺はあとから馬で向かうことにする。今回の件を受けて、馬は必要だと思ったからだ。
ただし、駿馬を探す前に様々な事後処理がある。
まず、ザラームーン病の流行を完全に抑えるため、宮廷研究所で足りないぶんの特効薬を精製した。備蓄用にも精製する。
そして先に承認されたあの薬の承認取り消し申請。これには、なぜ取り消しをするのかという研究書を提出しなければならないので、俺がやった。
研究所には第三者監査が入り、俺も聞き取り調査で色々と暴露した。腐りきった内部事情や職務怠慢が次々と発覚し、全員が各地の王領指定都市に飛ぶという。
そして先の承認薬が取り消されるのを待ち、国王との謁見が設けられた。
ザラームーン病の特効薬精製という功績をたたえて褒賞を、というのが表向きで、裏面は、夜会の件の口止め料。
そこで分かったのは、夜会で会ったあの『顔が広すぎる老人』の正体が、国王だったという事だ。
王太子の発症を悲しんだ国王がザラームーン病の薬を宮廷研究所に依頼したのが表向きで、裏面は、国王自身が罹患していたため薬を急がせたのだという。
裏がありすぎて、俺は為政者には向かないなとつくづく思った。
あと、魔女の話は、まったく広がらなかった。
夜会の老人……つまり国王が、トーリンタオ・セリブロロスを知っていたため、ロッカのことも『銀嶺の魔女』として知れ渡るかも知れないと危惧していた。
だが、ロッカは俺と対になる色の服を着ていた。
つまり、俺の意中の女性である事がバレバレで、名前や自出やらを積極的に聞く貴族はいなかったようだ。
逆に『霊峰セリブロガラーに住む1級創薬師』という肩書きのほうが大きかったようで、霊峰の特殊薬草を扱いたいという商人が数人、公爵家を訪ねて来た。
そのうちの1人と仲良くなり、彼を経由して駿馬を購入した。
そんなこんなで宮廷研究所の監査と異動が終わった。しばらくは、優秀な1級創薬師で体制をかためるらしい。
俺は事務局長に呼び出されてその事を聞かされ、よければギミッシュ赴任を取り消して、宮廷研究所の主任に栄転しないかと誘われた。
「有難いお話ですが、まだギミッシュで研究したい事が山ほどあるので」
そう首を横に振り、俺は王都を出発した。
ゆったり9日間かけて、かつての道程をたどる。
あの時は雪に埋もれていた草花も穏やかに成長し、暗い顔をしてガチガチと歯を慣らしていた俺は、暖かい風を頬に受けて上を向いている。
平野に出てからは晴れの日が続き、雲の影を追い越しながら細い道を進んだ。
遠くに見えていた薄青い山は近づくにつれて鮮やかな緑に染まり、どんどん高くなっていく。
霊峰の威圧感に目を細めると、山のふもとに小さく城壁が見えた。
銀の髪と青い目をした少女が住む、王領指定都市ギミッシュ。
はやる気持ちをおさえて、俺はグッと手綱を握る。
両足で腹を蹴ると馬はひと声いななき、街に向かって大きく駆け出した。




