第二話 新人 練習
第一話に引き続き、3人のぽわぽわした会話が続きます。今回も明るく、楽しく、朗らかに読んでくださるとうれしいです。
「おはよーございます」
全切電子操縦事務所に勤め始めて一週間、大分慣れてきた。
「流木さんおはようございます。今日はピンクのネイルなんですね、素敵です」
「ぉ……ざす」
今日もお馴染み、ほわほわした援太さんと、返してくれるだけありがたい全切さん。さて、今回の現場は、
「あっ、今日は一日書類整理の日です!頑張りましょうね」
え?!今日は現場行かないの?
「は、は、はい!」声裏返った。
「まずは、領収書をまとめて頂いて、それをこちらの表に入力してもらって、できたら印刷して、それを緑のファイルのこのページを参照しながら……」
卒倒するかと思った。電子操縦士って事務仕事もするのかよ。電子機器とは違った意味で戦わなければならないのか。こちらの様子を察するように援太さんが気を使ってくれた。
「すみませんね、事務員雇える余裕がないので」
「ん」
全切さんに関しては謝っているのか?とはいえ仕方がない。デスクに腰を下ろし、パソコンと睨めっこを始めた。口を動かしたいのをこらえて手を動かす。カタカタ、カタカタ……
「うっ、」
「大丈夫ですか流木さん!泡吹いてますよ、顔も真っ青です!」
こ、このセルに関数を入力して…領収書と、と、あふぁ、あぁ―頭にひよこが回っている。頭がぱ、パンクしてしまう。
“ドン!”
全切さんがデスクを叩き立ち上がった。その瞬間に目が覚めた。心臓が鉄槌で打たれるように跳ねた。全切さん、いや、社長の地雷を踏んでしまったのだろうか。冷や汗が流れる。
「ちょっとーー」
その声だけで背筋が跳ねた。萎縮のあまり全身が固まる。謝るしかない、そう思ってぎゅっと目をつぶった。
「……昼、ラーメン。来る?」
私は見逃さなかった。全切さんの声は低く、表情は変わらない。けれど耳の先がほんのり赤い。張り詰めていた糸が、ふっと緩むように安堵と驚きが同時に広がった。
「別に嫌なら……」
私は思わず笑みをこぼした。
「是非ご一緒させてください!」
「じゃあ、行く」
短く言い残し、足早に部屋を出ていった。冷たいようでいて、照れ隠しの必死さが伝わってくる。
「ラーメン屋ってどこのあたりなんですか?」
「あっち……」
何気ない会話が続くようで続かない。ここに援太さんがいればもっと明るい雰囲気になるのに、
「僕は契約書の整理が終わってからお昼にしますので、お二人で食べてきてください」
なんて言っていたし。もう一回全切さんに話しかけてみるか。
「ここ」全切さんが喋った!?
「いらっしゃいませ」
のれんをめくって足を踏み入れると、鼻いっぱいに醤油と油の香りが広がる。厨房の湯気がふわりと顔に触れて、胸の奥のこわばりが少しだけ溶けた。全切さんが食券機で淡々とメニューを選ぶと、目線だけ動かして
「何にする?」
「全切さんのおすすめで!」弾ける笑顔で答えた。返答はないけど。
「味玉醤油ラーメン、ほうれん草トッピング二つ入ります!」
「お待たせしました」
醤油の香りをまとった湯気が顔にまとう。艶やかな味玉と色どり豊かなほうれん草が食欲をそそる。
「いっただっきまーす」
「ん」
しばらく食べ進めると、珍しく全切さんの方から口を開いた。
「仕事……慣れた?」
「えっ、あっ、も、もちろんです!」
唐突の質問で戸惑ってしまった。
「明るい現場で楽しいし、美味しいお昼ごはんも食べられるし、難しい事務処理も優しく?教えてくれるし、ハッピーです!」
「……よかった」
目線はそらされたが、私は全切さんの頬が赤くなったのを見逃さなかった。
「ただ、私―」
「ん?」
ラーメン屋の空気の温度が少し下がった。
「もっと強くなりたいんです。この前、喋る異形のウイルスと戦った後からずっと思っていました。」
全切さんの目線が戻ってきた。
「私、電子操縦士の資格さえ取ってしまえば終わりだと思っていました。でも、そうじゃなかったって知りました。異形のウイルスを駆除したのは全切さんです。私は負けたんです。これじゃ守れるものも守れない。もっと強くなって、技術を学んで、二級電操士、いや一級電操士になって、だから全切さん!」
「よかった……」
「え?!」
ラーメンの湯気越しに全切さんがほのかに笑った。
「事務所に帰るよ、きっと援太が喜ぶから」
事務所に帰ると、
「おかえりなさい、ラーメン美味しかったですか?」
なんということでしょう。あれだけ書類と仕事の山だった事務所が、綺麗さっぱり書類がファイリングされているではないですか。誇らしげに整ったデスクが輝いている。
「この仕事量、全部援太さんがやったんですか?!」
「援太ならそれぐらいするよ。それより……」
全切さんがポケットに手をつっこみながら、何か言いたげに事務所に入ってきた。
「援太、真依が強くなりたいってさ。」
全切さんどうしたのだろう。さっき私が言ったことを簡潔に援太さんに言っただけなのに。そのまま援太さんの方へ目線をやると
「ふ、ふ、ふ……」
援太さんの眼鏡が曇り、手を組み不気味に笑っている。嫌な予感。
「待ってましたよ流木さん。来る新人研修大会に向けて、今こそ!スーパー研修タイムです!」
「スーパー研修タイム!?」なにそれダサっ。
「僕が分析するに、流木さんはグローブに電子を集めて放つだけのシンプルな攻撃しか使うことができません。」
ちょっと傷つくなぁ。
「これでは新人研修大会で結果が残せないどころか、事務所が恥をかきます。」
「ちょっとまってください、新人研修大会ってなんですか?」
「今年度就職した新人電操士が一挙に集められてウイルス駆除の訓練をする。倒したウイルスの種類や数によってポイントが与えられ、優秀者には賞金が出る。参加者の名前、ポイント数、事務所名はリアルタイムで配信。」
意外にも全切さんが口をはさんだと思ったら説明してくれた。
「すなわち、勝てば名誉、負ければ事務所ごと公開処刑なのです!」
「いろいろヤバいじゃないですか!」
「その通り。ですが安心してください。スーパー研修タイムがありますから」
自信満々に援太さんが語る。
「だからそれって何なのですか?」
「今から僕のパソコンの中に入っていただきます。そこで流木さんには僕お手製のウイルスとジャンシャン戦ってもらいます」
熱血野球部の千本ノックみたいな?
「熱血野球部の千本ノックみないな感じです」
当たっていた。
「流木さんなりに頑張ってください、為せば成るです!」
ごり押しかよ。ただ事務所に泥を塗る訳にはいかない。
「僕のPCと外部端子をつなぎます。流木さんはチョーカーを装着して準備を始めてください」
「はい!」
「それではいきますよ!僕のPCの電子回路潜入まで三秒前。三、二、一」
一瞬だけ視界が暗くなったのも束の間。気づけばそこに広がるのは
「海?!」
青い空、白い雲、瑠璃色の海、温かな砂、リゾートにも似た空間に、ここが電子世界であることを忘れてしまいそうだった。
「来たね」
その声は全切さん?!
「どうしてここにいるのですか?」
ビーチには、サングラスをかけ、マンゴーカクテルを飲みながらプラスチック製の白いベッドに横たわる全切さんがいた。
「電子世界に入るには二人以上の電子操縦士の資格を有するものが必要、って電子操縦士法に明記されている。覚えているよね?」
「そ、そうでしたね。あはは。」
サングラス越しの全切さんは無茶苦茶怖い。
「流木さん聞こえますか?崎守です。」
前回同様、チョーカーから援太さんの声が聞こえる。
「どうですか僕のPCの電子世界は?電子世界は使用主や基盤の特徴によって変化するので。」
なるほど、援太さんは海とかリゾートとかが好きなのか。
「それでは早速行きましょう。スーパー研修タイム開始です」
その言葉と同時に、爽やかな海のリゾートは地獄と化した。
「キィーーー」
「ズ、ズィーガーー」
「ダダダダダ」
海から百体あまりのウイルスが飛び出てはこちらに向かってくる。ヒト型のものもあればイヌ型のもの、ライオン型、形を保ってない型、魑魅魍魎が海を埋め尽くし、あっけにとられた。しかし、私も負けてはいられない。グローブに電子を集めながら、ウイルスたち目掛けて走り出した。
「グローブ圧縮率百パーセント!」
握りしめた両手一体のウイルスに振りかざした。そのウイルスはもちろん、衝撃波で回りの二、三体が破壊された。しかし、以前として数が多い。しゃがんだり、ジャンプしたりして時間を稼ぎつつ、電子をグローブに集めては破壊を繰り返した。
「はぁ、はぁ、」
過酷だが戦えていない訳ではない。カマキリ型のウイルスが鎌を振りかざしてくる。クラゲ型のウイルスが触手を伸ばしてくる。飛んで、殴って、足掻いた。その時、
“プツン”
茨型のウイルスの攻撃が私の髪に当たり、右の三つ編みがほどけてしまった。
「てめえ女子の髪型崩したなぁ!」
怒りに身を任せ渾身のアッパーをかました。奴は嗚咽に似た音を発しながら砕けていった。そして私は言った。
「この髪型作るのに朝何時間かけとると思ってんだ。あんたらが容姿崩すのなんか百年早いわ」
「全切さん、女性ってみんなあんな感じなんですか…?」
「……」
援太さんの怯える声が聞こえたような、聞こえていないような。私は他人に目もくれず、ひたすらにウイルスを駆除した。そしていよいよ最後の一匹。
「グローブ圧縮率百パーセント!」
騒がしかったビーチに平穏が戻った。
やった。全てのウイルスを駆除できた。一時はどうなるかとおもったけどなんとかなった。さすが私。これで新人研修大会も優勝間違えなs
「まだだけど」
無慈悲にも全切さんの声とマンゴーカクテルを啜る音だけが響いた。その途端、
「えっ、」
静かな海に再び百体あまりのウイルスが飛び出てきた。その様子は、先ほどよりも殺気を帯びて、薙刀をもったヒト型や、頭が三つ生えたイヌ型、下半身が魚のライオン型など、見るだけで身構える不気味な形状をしていた。
「嘘でしょ」
「嘘ではありません、スーパー研修タイムはエンドレスにエスカレートするウルトラなトレーニングなのです!」
やかましい。息が切れる。視界が揺れる。でも止まれない。イライラしても仕方がない。目の前にウイルスがいる以上、戦うしかない。もう一度グローブに電子を集める。向かってくるウイルスに抗って、抗って、抗った。そしてようやく、再び全てのウイルスを破壊した。その時にはもう左の三つ編みもほどけてしまった。
「さすが流木さんです。フィジカル面はばっちりですね」
息切れが収まらず、援太さんの声はほとんど聞こえない。
「では、張り切って次行きましょう」は?次って言った?
三度目のウイルス登場。しかし、様子が違う。ライオンの様なヒト型、ヒトの様なイヌ型、イヌの様なライオン型など、見るに堪えない不快な様相だった。見ているだけで胃がひっくり返りそう。疲労のせいか、恐怖のせいか、喉の奥がピリピリとする。こんな相手、どうすれば。
またもやグローブに電子を集め始める真っ先に飛んできた鳥の羽をもつアシカ型のウイルスに目掛けて拳を振るった。
「ザ、ザザザ」
とりあえず攻撃は効いているようだ。だが、四方八方ウイルスに取り囲まれてしまった。イヌの様なライオン型のウイルスが牙を向け、今にも襲い掛かろうとしている。どうしよう、喉が焼けるように痛い。一か八か突っ込んでみるか……ただ、それには体力がもうない。
「一気に駆除すれば?」
全切さんがサングラスをずらしながら言った。そうか、なにも一匹ずつ丁寧に駆除する必要はない。そういえば最初の方、私のパンチと衝撃波で数体駆除できていた。あれをもっと、もっと、広範囲にできたら。
前髪を掻き分け、残りの体力を全て使い、目を瞑り、集中する。右から左へ電子が流れている。手のひらで電子を感じ、受け止める。体が帯電を始めた。艶を失った髪が自由に世界へ浮き上がる。
「ふっ」
全切さんが笑うのを電子の揺れを通して感じた。世界の音が遠のき、電子の流れだけが鮮明になる。そして今、私は瞼を開き、地面を見る。
「グローブ回転率――百パーセント!」
握りしめた両手を地面に打ち付ける。
“ドンッ――”
その途端、電子が渦を描くように広がり、電流となり、周囲にいたウイルスの体を切り刻んだ。
“バリバリ―バリバリッシュ”
その音が電流の咆哮なのか、ウイルスの断末魔なのか、もう私には判別できなかった。これで、全てが終わった。
私は静かに、膝から崩れ落ちた。砕け散った光の粒が、ふわり砂浜に降り注ぐ。 その静けさの中で、海鳴りだけが私を抱きしめてくれた。ゆっくりと世界が暗くなる、そう感じた。
重い――まるで体が鉛になったような感覚で意識が戻った。無意識に手で髪をいじろうとした。しかし、動かない。いや、動かせない。まるで何かに巻き付けられているかのように、ぎゅっと固定されている。
なぜ、怖い、どうして。胸がざわつき、呼吸が浅くなる。もしかしてウイルスを駆除しきれなかったのか、これもスーパーなんとかタイムの一環なのか。とりあえず抜け出さなくては。
「おっ、真依さん。目が覚めました?」
耳元で柔らかい声がした。この声は、援太さん?
ゆっくりと目を開けると、視界いっぱいに見慣れた天井が広がった。事務所だ。事務所に戻って来られたんだ。
「どうですか、この寝袋。なにを隠そう、真依さんのための新品なんです!残業で終電を逃してしまっても疲れが吹き飛ぶよう、結構良いやつです!」
どうりで手足が動かない訳だ。ミノムシみたいに全身がすっぽり固定されている。ってか、今さらっとえげつないこと言わなかったか?この会社終電まで残業するとかなんとか。
「でも、すごかったですよ!」援太さんが身を乗り出す。
「ウイルス百体を三回も駆除して、最後の技なんて……もう、鳥肌でした!」
いやいやそんなことより
「…あの、私、なんで寝袋に?」
「電子世界から戻った瞬間、倒れたんだよ」
援太さんの後ろに、腕を組んでこちらを見下ろす全切さんが言った。
「疲労困憊で倒れた真依さんを見て、全切さんが『とりあえず突っ込んどけ』って」
「言ってない」
全切さんが即座に否定した。でも耳が赤い。
「最後の攻撃、悪くない。ただ、体力と技術が追い付いていない。多少練習すれば……新人研修大会で公開処刑は避けられるかも」
照れた後とは思えないぐらい正確な分析をされた。
「では、いろいろ事が済んだのでご飯でも行きますか!僕おすすめのお店があって、ラーメンにほうれん草と卵がトッピングできるんです」
満面の笑みで援太さんが言った。
「そこ、昼行った。」
笑顔が湯気のように消えた。
「罰として、あんたおごりね」
そこには冷え切った援太さんの顔だけが残っていた。




