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名前

アンさんと別れた翌日…と言いたいところだけど、朝帰りだろうが何だろうが大人は仕事を休めない。その日の夕方、俺は再びと言うか、お店に戻ってきた。


「おはようございます~」

「ショウ君、昨日はごめんね~」

「いえ、全然、大丈夫でしたよ」


既に店に着いていたマスターは、申し訳ないとばかりに謝って来た。

俺は笑って返しながら、自分の荷物を置きにカウンターの中に入る。

カウンターの中でマスターは、お酒の残量を確認している所だった。


「あ、そうだ。今朝、お客さんと一緒に、食パンとサラダを朝ごはんに頂きました」


マスターが手を止めてこちらを向いて目を丸くしている。


「え?」

「あれ?ダメでした?」


いつもは食材を使って食べても、後で言えば了承してくれるのに…?あぁ、やっぱり時間外にお客さんに出すのは、まずかったのか。

そんな事を考えながら今朝の出来事を思い出していると、マスターは驚いた顔のまま俺に尋ねて来た。


「アンさんって、朝まで居たの?」

「え?あぁ、一緒に寝てたんで…」

「寝たの⁉」

「え?はい、気付いた時には朝になってました」

「え?っと、ん?朝?」


困惑した様子で微妙な表情を浮かべるマスター。その困惑ぶりに、俺はマスターが変な方向へ勘違いしている事が分かり、「はぁ」と大きくため息を吐いた。


「えっと、違います。気が付いたらソファーに座ったまま、二人で眠ってたって感じで、そう言うのじゃないです」

「あ~」


俺の返事を聞いて、マスターは合点が行ったらしい。


「全く…。マスターじゃないんですから…」


ジトっとした目でマスターを睨みつけると、乾いた笑みを浮かべて目をそらされた。


「はぁ。お陰で、まだ腰やら肩やらが変な感じがします」

「ちょ…」

「だから!変な態勢で寝てたんでっ!」


どうにもこうにもマスターは下世話な話の方向に持って行きたいらしい。

本当に何もないって言うのに…ほんと、勘弁願いたい。

それにだ。そもそも、俺を信用して店に置いて行ったくせに…。


やがてそんな雑談のような報告も終わり、店を開ける時間になった。

開店してしまえば、いつも通りの忙しい日常。

お客さんが来て、お酒を出してを繰り返すうちに、店を閉める時間が近づいてきた。

土曜日の夜は常連さんが多い。気が付けば残るお客さんは、いつのも常連さん2組だけになっていた。


「俺はやっぱり、()()()()()が良いね」

()()()()()?あぁ、あんた、若い時から好きだよね」

「そう言うみっちゃんは、()()()()()に興味が無さそうだなぁ」


どうやら今日の俺は、やたらと「じろう」が気になるようで、食器を片付けながらも、先ほどからゆうじろうの「じろう」という言葉に反応してしまう。

それにご年配のお客さんの中では、「じろう」と言うのはそう珍しい名前では無いらしい。因みに「みっちゃん」と呼ばれた男性の名前は「光二郎(ミツジロウ)」だ。

そうだなぁ、名前なんて色々な組み合わせがあるもんな。


そんな事を考えながらカウンターを背に食器を片付けていると、独りで楽しんでいる常連のサユさんが声をかけて来た。


「そう言えば、ショウ君の名前って、かけるとか飛ぶの翔だっけ?」

「あ、いや、ショウはニックネームですね」

「へぇ~、てっきり飛翔の翔の字かと思っていたわ」

「普通はそうですかね?」


俺とサユさんとの会話に『ゆうじろう』で盛り上がっていた常連さんが入って来る。


「お、なんだ?ショウ君の話?」

「へぇ、サユちゃんがショウ君を口説いているのか?珍しいね」

「ふふ、ショウ君の名前のお話よ」


入って来たのは男性の常連さんだが、サユさんとは顔なじみだからだろう。

やがて3人で盛りあがり始めた。


「じゃあ、ショウ君のショウはどんな字だ?あ、あれか!大将の将か!」

「なんだ、それじゃ、あんまり今風じゃねえな」

「うふふ」


常連さんの盛り上がりに、マスターがやんわりと入る。


「最近はお店でも、あんまり本名を出さない子もいるんですよ」

「へぇ~。そういや、ニュースで店員の名札をニックネームにする話とかあったな」

「逆にあんまり気にしないで、ネットに上げる子もいますけどね」

「あぁ、あれだ!時々、若い子がバカやってるの見るねぇ」


マスターは話を逸らすのが上手いなぁ。

俺は感心しながらマスターと常連さんの会話に耳を向ける。


「ふふ、じゃぁショウ君は、恥ずかしがり屋さんなのね」

「なんだ、イケメンの癖に!」

「あはは、みっちゃん、またそれだ!」


どうやら話が逸れて、今度は俺の外見の話になった。とは言え俺は別にイケメンでも何でも無い。きっとお客さんは「イケメン」という言葉を言いたいだけなのだろう。

やがて常連さん達は「イケメン」の話で盛り上がり始めたようで、俺の話は知らぬ間に終わってしまった。


こうして今夜も無事にお店を閉める時間になった。


「ありがとうございました」

「マスター、またな!」

「サユちゃん、今日はのんだねぇ」

「今日はね」


俺とマスターも常連さんと一緒に店の外に出て、お客さん3人を見送る。


「ありがとうございました」

「ショウ君もまたな」

「ポテサラ旨かったよ~」

「じゃあね、ショウ君、お休みなさい」

「はい、お休みなさい」


頭をさげた後、手を振って見送れば、3人が手を振りながら角を曲がっていくのが見えた。やがてお客さん達の姿が見えなくなると、俺は店の外を片付け始めた。


名前かぁ。

昨日の『じろう』も気にはなるけど…。


「俺、アンさんの名前、まだ知らないんだよな」


そう零して見上げた夜の空は、まるで俺の言葉にそっぽを向くような、薄い三日月が小さく浮かんでいた。


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