1.伯爵様はお星さま
「ったく、とんだ貧乏くじだわ。」
鏡の中の白いヴェールを被った貧相な女は、いつもよりさらに顔色が悪く見える。
美しいレースをふんだんに使った豪奢なウェディングドレスは、年頃の娘なら目を輝かせそうなものだが女は不機嫌だ。
「いいじゃない、由緒正しく財力もある立派な家に、優しい義理の姉までついてきて何の不満が?」
「相手があなたの弟でなければね。恩を仇で返されるとはこのことだわ。」
「あら。大事なあなただから、この国の綺羅星と呼ばれる弟を紹介したのよ」
「やだわ、オネエサマったら。綺羅星の由来はご存じでしょう?」
チャペルで待つ新郎を思い出し、女はため息をつく。
彼はこの国で宰相補佐をしており、職場の信頼は厚く性格も温厚、なんなら剣の腕も立つ。
さらに特筆すべきは、彼の容姿だ。
万人を魅了する美貌は、女性であれば間違いなく傾国の美女になったであろう。
だがこの国に、彼に口説かれることを夢見る女はいても、彼との結婚を望む女は一人もいない。
とにかく女癖が悪いのだ。
デビュタントから母親よりも年上の女まで、女であれば見境なく浮名を流してきた最低最悪のモテ男である。やがて彼についたあだ名が綺羅星、つまり万人の頭の上で無数にキラキラと愛想を振りまくお星様野郎である。
そんな軽薄な男と結婚したところで、家に帰ってこないのは目に見えている。
「行き遅れで後ろ盾もない私は、さぞかし都合がいいことね」
「リーナ、わかってるでしょう?貴族の娘は、いつかは結婚しなければいけないのだから」
「はいはい」
「あなたが長い髪をバッサリ切り落として式場に現れたときはどうしようかと思ったけど。逃げ出さなかっただけマシと感謝すべきかしら。」
「フンッ」
女は足にまとわりつく純白のドレスを蹴飛ばし、勢いよく立ち上がる。
一生分飾り立てても冴えない新婦より、宝石がなくても輝く天然美人な新郎しか皆の記憶には残らないと、女はよく理解していた。
◇◇◇
(やれやれ、見せ物小屋の猿になった気分だわ)
つつがなく式は終わり、いよいよ初夜だ。
ソファでハイヒールに痛めつけられた足を伸ばしていると、寝室の扉がノックされる。
「体調はいかがですか?」
顔を出したのは、たしかに星と呼びたくなるほどの美しい男だ。バスローブからのぞく、筋肉質な身体に湯上りの肌がなまめかしい。
「旦那様、私から伺いましたのに。」
「寝室を夫婦別にしたいといわれたときは少し驚きましたが、これはこれで趣があってよいですね」
なにをいっているのかわからないが、気付くとベットに陣取りシーツを撫でている。
さすがスピードスター、展開が早い。
「あなたの美しい花嫁姿を一番近くで見られて、とても幸せでした」
「いえいえ。あなたの恋人たちに比べたら。」
結婚お披露目の場で、新郎の恋人たちから、笑われ、からかわれ、何なら励まされた新婦は私です。
「私はこの世のすべての女性を慈しんでいます。私は女性、皆のものなのです。心配しないでください。あなたのこともちゃんと平等に愛しますから。」
夜空に輝く星のように男は美しく、甘く微笑む。
身勝手な理屈に、反吐が出そうだ。さっさと終わらせよう。
「初めてでも怖がらないで。すべて私にゆだねてください」
「えぇ……忘れられない夜にしてくださいね?」
新婦らしく恥じらいながら蠟燭の火を消し、ベットへ入った。
◇◇◇
「のぉおおおおおおおおお!!!!」
静かな暗闇に男の絶叫が響き渡る。
「どうしてそんなものが股間に!!???」
「そんなものとは?旦那様と同じものですのよ?」
ツンツンと優しく旦那様の太ももをつつくと、ベッドから転がり落ちる。
「どういうことだ?!」
「愛してくださるのでしょう?」
「無理だ!!俺は女が好きなんだ!!!」
ローブの前をはだけたまま、旦那様は真っ青になり寝室から逃げるように出ていった。
「やれやれ、うまくいったか」
「悪かったわね、こんなことさせて」
「まったくだ。大体あんな男趣味じゃねーし。こっちだって選ぶ権利があるっつーの。」
顔を隠していたかつらをとったのは、私と同じ背格好の従兄のアンソニーだ。
ベッドの下に潜んでいてもらい、私の身代わりに忍び込んでもらったのだ。
「普段自分が女にしていることを、男にされるのは嫌っていうのはどんな心理なのかしらね?」
ロクに話したこともない初めての女を抱こうとしたわりに、覚悟が足りんな。
「やれやれ。姉さんがいきなりハサミで髪の毛切り落として、次はお前だと股間を指したときは震えあがったよ。俺はもう二度と協力しないぞ!」
「元はといえば、あんたの父親が私のことをあの淫乱男に売ったんでしょ!あんたがさっさと男爵家の跡を継いでいればこんなことにならなかったのに!」
「仕方ないだろ、結婚認めてくれねぇんだもん」
「そうだった、私の初恋の人もあんたにとられたのよね!絶対に許せない!!」
アンソニーの恋人は、私の家庭教師を務めていた好青年で、私の初恋の人である。
今回の縁談は結婚に反対されたアンソニーがプチ家出中に、叔父が勝手に進めていたのだ。
「まぁいいわ、これで夜の心配はなさそうね。みた?旦那様の驚いた顔!いい気味だわ!」
「姉さんは浮ついた男が嫌いだからなぁ」
「あら、この世のすべての男は平等に嫌いよ」
「さっきの女好きと似たようなこと言ってるな?」
「旦那様ともこれで縁が切れるかしら。もう私の顔も見たくないでしょうね!」
「でも女癖をのぞけばいい物件なんだろ?どっかの後妻になるよりよかったじゃないか。」
「どいつもこいつも、人の幸せを勝手に決めんなよ」
ベッドの下に、アンソニーと一緒に隠しておいたシャンパンの栓を抜く。
勢いよく噴き出した泡を、酒瓶に口をつけてそのまま飲みほす。久しぶりに愉快だ!
◇◇◇
翌朝、朝食の席で旦那様は頭を抱えていた。
「昨夜のアレは、どういうことだ?」
一睡もしていないのか目の下のクマができているが、それすら美しさを引き立てるアクセサリーにしかならないなんて腹ただしい。
「君は姉の親友だったな?周りが結婚しろとうるさいから受け入れたがまさか……」
「お義姉様もご存じのことですわ」
「あいつめ!いいか?昨日は君も愛するとか言ったが、すべて忘れろ」
「承知しました」
「俺はお前のことに口を出さないし金も好きに使え。その代わり俺のことにも口を出すな」
「あら、離縁はいたしませんの?」
「また結婚相手を見つけるのも面倒だ」
やや期待外れだが、まぁ上出来だろう。
それにしても朝食が少ないな。旦那様の皿と比べると、半分以下しか盛り付けられていない。
これが貴婦人の朝食ってやつなのか。つい、いつものスピードで食べ終えてしまう。
「なんだ、その量で足りるのか……?」
「正直に申し上げたら、お腹にはもう少し余裕がありますわ」
「だろうな。俺と同じ量を出すように言っておこう」
「恐れ入ります」
美男子は大きくため息をついたが、面倒見はいいらしい。
朝食後、仕事に向かった旦那様を見送り、家の中を見て回る。女主人として最低限のことはやらないと居候は肩身が狭い。
(掃除も行き届いているし、花瓶には花粉すらついていない。さすが名門貴族ね)
「旦那様のお部屋に入ってもいいかしら?」
「はい、書類を触らなければ良いとおっしゃっていました」
執事に許可を得て、私室の扉を開く。
だらしのない下半身事情から乱れた部屋を想像していたが、意外にも部屋は本や書類で埋まっていた。
本棚の中身は農作から哲学、戦術の本まで幅広い。
クローゼットを開けると制服が綺麗に並んでおり、ほつれている様子もない。ここもしっかり管理されているようだ。
「私の仕事はないみたいね」
肩をすくめると、年配の執事は優しく微笑んでくれる。
「帳簿はあなたが管理されているのよね、私に教えていただけるかしら」
「はい、奥様。喜んで」
父の死後、叔父達に家は乗っ取られてからは召使同然の扱いだったが、それ以前は病気がちな父に代わり領地を見てきたので、多少のことは数字を見ればわかる。
(ふーん、意外ね)
ざっと帳面を見た限り、旦那様は散財するタイプではなさそうだ。
このレベルの貴族にしてはむしろ堅実なくらい。
ただ交際費と贈答費が突出して高いのは、きっと女性とのデート代やプレゼント代ってとこだろう。
その日深夜になって旦那様が帰ってきたのを見計らい、私室をノックする。
「入れ」
旦那様はシャワーを浴びたあとだったらしく、上半身裸である。
背中に薄くなったキスマークらしき痣を見つけ、慌てて視界に入れないよう目をそらす。
「失礼しました。出直します」
「なに恥じらってるんだよ。男同士だろ」
「男同士でも最低限のマナーはあるでしょう」
旦那様はこちらに気にせず、そのまま着替え始める。
「今日はどうだった」
「色々家のことを教えていただきました」
「そうか」
あれほど饒舌に女は口説くくせに、男には素っ気ないようだ。
「あの、本をお借りしてもいいでしょうか?」
「ここに娯楽本はないぞ」
「地理学と歴史の本をお借りしたいのです」
「あぁ、男だもんな……読めるか。」
女が読めないとでも?!
うっかりキレそうになるが、黙って昼間気になった本を数冊抜き出す。
「今日はどなたのところで過ごされたんです?」
「残念ながら今夜はずっと仕事だ。人手不足でね、猫の手も借りたいくらいだ」
昨日よりも心なしかお星さまの発光が落ちている。
「そうだ、これを俺の代わりに届けてほしいんだが」
指さした先をみると、高級化粧品と思しき小包や美しい布地が山盛り置かれている。
「淑女たちに、挨拶してくるといいよ」
「まぁ!嫁に愛人へのプレゼントを届けさせるなんて、最高のサプライズですわね!」
「いやいや、昨晩の衝撃を超えるサプライズは中々ないですよ」
皮肉を言うが笑顔で応酬されてしまい、仕方なく翌日、届けに行くことにする。
「あれ、ここ修道院よ?」
家の馬車が止まったのは、街の外れにある修道院だ。
馬車に気付き出てきた、ふくよかな年配のシスターに微笑まれる。
「ベルン伯爵の奥様ですね?この度はご結婚おめでとうございます」
まさかあの外道、修道女にまで手を出してたのか?!
「旦那様がいつもお世話になっております……」
「あらまぁ、いつもこんなに素敵なものを」
「ご迷惑ではありませんか?」
化粧品も綺麗な布地も、質素な生活を良しとする修道院では手に余るだろう。
「贅沢ですけれど、こちらのハンドクリームは手の荒れが治って助かりますの。丈夫な布地で子供服をつくると、バザーで喜ばれますのよ」
「そう、なんですか」
「ここは行き場のない女性のための修道院ですの。伯爵は私共のことまで気にかけてくださり、いつも援助くださって。本当にお優しい方ですわ」
すべての女性を平等に愛するという言葉は、あながち嘘でもなさそうだ。
うっかり感心しかけて、頭を振った。
□
「修道院への寄贈なら一言そうおっしゃってくださいよ」
また日付を超えて帰ってきた旦那様をつかまえて、任務完了の報告をする。
「本来であれば俺が直接伺って、シスターたちを慰めたいところだが仕方ない」
「まさか手を出してませんよね……?」
「まだ、な」
「天罰がくだらないかしら」
「むしろ俺は天の使いだろう」
人を惑わせるその美貌はむしろ悪魔らしい。本当に美の無駄づかいである。
「そうだ、旦那様。孤児院への寄贈は、勘定科目を贈答ではなく寄付にしても?税が控除されます!」
「お前はロマンが足りんよ。男が女に贈り物をするんだからそんなこと考えるな」
「節税は大事ですよ!」
「そういえばお前、帳簿の計算ができるそうだな。執事がほめてたぞ。ま、男なら当然か」
だから女も計算できるっつーの。
「まぁ、実家で領地の手伝いを少しやっていましたので」
「ふーん」
なにか思いついた顔をしている。なんだ、いやな予感がする。
「お前さ、明日一緒に来いよ。俺の仕事、手伝ってくれ」
「はぁ?職場にですか?」
「そう。そしたら俺はその分早く帰れて、新しい出会いを探しに行ける!」
「脳内お花畑かよ。王城の文官は男性と決まっているでしょう?」
「何を言ってるんだ、お前は男なんだから問題ないだろ。」
「まさか」
「そう、男装すればいいんだ!」
悪魔はニヤリと笑う。
「悪いが俺は女には甘いが男には厳しいんだ。できるやつには相応に働いてもらわねーとな?」
◇◇◇
翌朝、男物の衣服を着せられ、王城へむかう馬車に乗せられる。
執事と女中頭は片時も離れたくないなんて新婚さんねと微笑ましそうに見送ってくれたが、とんでもない。バレたらどんな騒ぎになるか。うたた寝している男を睨みつける。
「ん、なんだ?男を膝枕する趣味はないぞ?」
「私もですよ」
「しかし、お前。化粧を落とすと随分と人相が変わるんだな」
「地味ですいませんね。こっちが素なんで」
旦那様は男装して向かいに座る私をまじまじと見る。
身代わり用のかつらのために髪を切っていたせいで、メイクを落とした私は少年にしか見えない。
「そっちの方が可愛いよ。ってやべ、こいつ男だったわ」
脊髄反射で女を褒める旦那様にあきれていると、王城につく。
執務室では、山積みとなった書類の壁の向こうですでに文官数人が忙しそうに働いていた。
「あれベルン伯爵、帰ったはずじゃ……あれ、もう朝ですか……」
「今朝は助っ人を連れてきたぞ」
「!!早速だけど領地別の小麦の収穫量、まとめてくれ!今日中に!」
ロクに挨拶もせず、充血した目の文官に、大量の書類の束を渡される。
メイドに流し目をしながらコーヒーを受け取り、書類をさばき始めた旦那様をみて、仕方なく自分も空いている席で作業にかかる。
「あの……」
「なにか分からないことでも?去年のものはどっかに入ってると思うんだけど」
「いえ、集計終わったんですけど。こちら過去3年分の比較です」
「もう!?……本当だ。生産量は大きく変わってないようだな。」
一見問題がなさそうな数字をみて、文官は眉を顰める。そうなのだ。
「ここ数年で、この国の人口は明らかに増えてますよね」
東部の戦争が長引いているせいで、この国へ移住する人が増えている。
生産量は上がっていないのに、人口だけが爆発的に増えている……この状態が続くと。
「このままでは国民が飢えるのでは……」
「移民のほとんどは女性と子供なので、労働力にはならないのですよ。移住を制限する話もありましたが、伯爵様が全部却下しているんです。」
「困っている女性を放っておけないだろう。俺の愛で受け止めるんだ!」
女好きもここまでくると大したものである。文官はため息をつく。
「博愛主義はいいんですけどね、このままだと共倒れですよ」
「おや、ドマーニ男爵領は移民の流入率も高いのに、一人当たり生産量も増えていますね」
まとめた書類をみていた文官の一人が声を上げる。
「数字が間違っているんじゃないか?」
「いえ、総生産量が上がっていますね。なにか特別な政策でもしてるのかな。」
文官が首をかしげているが、何を隠そう、ドマーニ男爵領は私の実家である。少し胸を張る。
「ベルン伯爵、そういえば奥様のご実家ですよね?」
「あぁ……そういえばそうだな」
文官に言われ、旦那様はぼんやりと天井を見上げる。コイツ絶対忘れてたな。
「視察に行って来たらどうですか?新婚旅行にも行ってないでしょう?」
「えぇ!奥様は別にそういうの、いらないんじゃないかな~」
「いやいや結婚式を挙げたばかりなのに、可哀そうですよ」
「奥様、別の意味で可哀そうなんじゃないかな~」
奥様こと私と文官のやりとりを黙って聞いていた旦那様は、ぽつりとつぶやく。
「男爵領にも、俺を待っている女性がいるかもしれないな」
「最低ですね」