第130話・地獄の底を這い回るもの
いや、真っ黒というか真っ暗というか。
あまりにも暗すぎて空間に浮かんだ黒いシミのようにも見えます。
七十階層のフロアボスが火の化身だとすれば、この八十階層のフロアボスは氷の化身みたいなやつかと思っていましたが……。
なんだか少し、様子が違いますね。
するとフェアちゃんが「うわっ」と言いました。
「ナナシ。あれ、エネミーだけどエネミーじゃない」
ほほう。
つまり、どういうことですか?
「あれ、穴だ。ここじゃないどこかと繋がっていて、際限なく寒さが漏れ出てきてる」
ふむ。
「そして、穴の向こう側にナニカいるみたい。直接は見えないけど、名前の表示がチラチラ見える。もしかしたら、そのナニカがあの穴を開けて、この部屋どころか上の階層までまとめて冷やすほどの冷気を呼び込んでいるのかも」
なるほど。
よく分かりました。
「つまりあの穴から、奥にいるエネミーを狙い撃てばいいんだな。……水竜穿角」
言うや否や、ソウ兄ちゃんが高水圧ビームを放ちます。
エアコプターを包む水膜から細く絞られた水流が飛び出し、穴目掛けて向かっていきます。
しかし。
「……チッ。ダメだ」
ソウ兄ちゃんは舌打ちとともに水竜穿角を解除しました。
「穴に飲み込まれて、その先で水流がバラけている。あの穴を超えたとたん、スキルによる制御が効かなくなった」
「ワタシもやってみよう。……ヌンッ!」
キャベ子さんのガオン斬も試してみますが。
「ウッ……」
と言って、顔を青くしてお腹を押さえてうずくまりました。
ちょっ、大丈夫ですか、キャベ子さん……!?
「……お腹が、……冷たくて苦しい。……ううぅっ……!」
「フラーシフォン、お茶のセットを出してあげて! シィソウ兄、温かいお茶を淹れてあげて!」
「は、はい!」
「任せろ」
フラーさんが収納空間から取り出した茶葉とティーポットのセットで、ソウ兄ちゃんがお茶を淹れました。
ポットから直にグビグビとお茶を飲んだキャベ子さんは、ようやく「ふぅ……、温かい……」と一息つきました。
「……アタシの拳もたぶん届かねぇな。スキルの対象に取れる感触がない。あの穴から、なんとかこっち側に引きずり出さなきゃなんねぇんじゃねぇか?」
なるほど。
それならちょっと、作戦会議といきましょうか。
ひそひそひそ。
ひそひそひそ。
ひそひそ、ぺろり。
うわっ、誰ですか。
どさくさに紛れて僕の耳を舐めたのは。
「ぼくだよ」
ユニ子ちゃんでした。
いや、なんで??
「なんかみんな真面目な顔してるから……」
ああ、確かに。
皆が小難しい顔してると、ちょっとおちゃらけてみたくなるときってありますよね。
「ちょっとユニス! めっ!!」
と、ロビンちゃんに叱られているユニ子ちゃんはさておき。
ひとまず、方針は決まりました。
「それではやってみましょうか」
まず、僕の結界であの空中に浮かぶ穴を囲みます。
そして結界内を僕の魔力で満たして、内部に多重構造的に結界を作成していきます。
「結界作成・侵蝕」
空中の穴のフチに、結界同士の押し合いに特化した結界を合わせて押し付けていきます。
なにをするかというと、あの穴を無理やり広げてこじ開けられないか試すのです。
そもそもここはダンジョンで、ダンジョンというのは地上とは異なる空間に広がった一種の別世界です。
地上とは迷宮門を通じてのみ出入りすることができるわけなのですが、今僕たちの目の前にある穴もおそらく迷宮門に近い性質を持っていることが推測されまして、
つまりどういうことかと言うと、迷宮門と同等の性質があるのなら、それは結界の端っこだということです。
それなら結界壁での押し合いによって、穴を押し広げられるのではないかと考えたのですが、
…….どうやら、当たりのようですね。
空間に浮かんでいた穴が、ミシミシと周囲の空間を歪ませながら僕の結界によって押し広げられていきます。
やがて、直径が二十メートル近い大穴になりました。
当然、穴が広がるとそこから入り込んでくる冷気も凄まじいものになってきていますが、
「うわー、これは目が回りそう……!」
フェアちゃんに、真名看破術によってこのボス部屋全体の情報文を読み取ってもらい、適宜リバーススキルで冷気に関する文言を削除し続けることで室内の気温を保って(まぁ、すでに結界の外はマイナス百度以下になってるっぽいですが)もらいます。
そして、広げた穴に向かって、
「ヌゥゥゥンッ……!!」
手持ちの蓄魔石を全部食べた(奥の手用以外の、全部の魔石です)キャベ子さんが、グラ剣を握り締め全力で魔力を込め、強力な引力を発生させます。
あの穴の向こう側に細かいスキルの制御が届かなくなるなら、制御する必要がないぐらい強力なパワーで引き寄せるのです。
数秒後、広がった穴からジリジリと不気味な何かが姿を見せ始めました。
太くて長くてウネウネとした、全身が真っ赤で蓮の華のようにケバ立った姿の、ミミズのバケモノみたいな奴が現れました。
うわー、やばい見た目。
胴体の太さと変わらないサイズの円形の口がポッカリと開いていて、そこからゴウゴウと冷気が吹き出していますね。
「真名、摩訶鉢特摩虚空蟲! ……いやー、ちょっと無理! 気持ち悪い!!」
フェアちゃん、キモくても情報全文取るまでは頑張ってください!
「ひえー!?」
「ぐうっ……! 魔力が、尽きる……!」
あ、キャベ子さんも限界が近いですね!
もう少しで全身をこの部屋に引きずり込めそうなんですけど!
「お兄ちゃんに任せろ……。多重水竜挟牙!!」
おお!
虚空蟲の全身に、多数の氷の牙が突き立ちました!
そのまま力ずくで、穴から引きずり出しています!
「ソウ兄ちゃん、ファイトー!」
「お兄さん、いけー!」
「お兄様、がんばって!」
「アニキー!!」
「!! うおおおぉぉぉぉぉっ!!」
僕と天秤会の三人のお兄ちゃんコールにより、フルパワーを超えたフルパワーを発揮したソウ兄ちゃんが、とうとう虚空蟲の全身をボス部屋の中に引きずり込みました。
直後、魔力切れを起こしたソウ兄ちゃんがバタリと倒れます。
「ナナシ、情報全文取ったよ! もう見ていたくないけど弱体化試してみる!!」
フェアちゃんが半泣きで虚空蟲を見つめてスキルを使っています。
ロコさんとフラーさんがキャベ子さんを、天秤会の三人がソウ兄ちゃんを介抱していますが、少なくともすぐに戦闘復帰は無理そうです。
僕は、穴を押し広げていた結界群を解除し、今度は虚空蟲の肉体を包む結界を作って冷気による侵蝕を抑え込みにかかります。
しかし……、これは強い!
冷気を遮断する機能の結界で何重に覆っても、冷気がどんどん溢れてきます。
のたうつように全身を揺すって暴れるのですが、蓮華のようにケバ立った全身が、結界の耐久力をゴリゴリと削っていきます。
こいつ、見た目以上に重いというか、質量以上に概念としての重さを持っている気がします。
つまり、このダンジョン内とか地上とかと、こいつがいた世界は物理法則から違う可能性がありますね。
今はこの世界に無理やり連れてこられて、こっちの世界の物理法則で拘束されている感じなのですが、あいつから出ている冷気が満ちていくと、あっちの世界の法則で書き換えられるとかがあるかもしれないです。
早急に、なんとかしないと。
「……仕方ないですね」
僕は、脳ミソを過集中状態にして瞬間的に結界の出力を底上げすることとし、それで無理やりあの虚空蟲を押し潰してしまおうかと思いました。
しかし、
「おい、ナナシ」
僕の肩に、ポンと手が置かれました。
「ここは、アタシにやらせろ。……やるぞ、勇猛楽団!」
メラミちゃんの言葉によって、僕たちの後方でジャンジャカドンドコピーヒャララ〜、と演奏が始まります。
「英雄凱旋の八番! ロビン歌います! ラララ〜〜♬」
ロビンちゃんが歌いながら弦楽器をつま弾き、
「ピーヒャララ〜、ピーヒャララ〜〜♬」
ユニ子ちゃんがオカリナを吹きながらステップを踏み鳴らし、
「ヘイヘイメラミっち! 行くぜ行くぜ行くぜーい!!」
ヘリーちゃんが太鼓を叩きながら躍動感たっぷりに踊ってみせます。
その音と動きに込められた魔力が、メラミちゃんの全身に親和していくと、
「こ、これは……!?」
メラミちゃんの身体から立ち昇る魔力の密度が、一気に高まりました。
これはひょっとして、バフをかけまくっているというやつでしょうか。
メラミちゃんが一気にパワーアップしています。
立ち昇る魔力で髪が逆立ち、目がランランと輝いているようです。
これは、スーパーメラミちゃん……!
「ナナシ。あのクソ蟲のところまで道作れ。あと、アタシの耐寒結界服の強化とクソ蟲の拘束に全力を出せ」
は、はい。
言われたとおりに服を強化し拘束を強め、僕たちのいるエアコプターからチューブ型に結界壁を伸ばして虚空蟲の近くまで近づけるようにします。
メラミちゃんはチューブの道を通って虚空蟲に駆け寄ると、両手の平を合わせました。
ま、まさかメラミちゃん……!
「これでキメる……! 業銘結界、……決戦闘技場!!」
いつの間に、業銘結界を使えるように……!?
メラミちゃんの両手の平の間を起点にして業銘結界が広がって……、
…………って、えっ……?
「………………あ、」
バキリ、という不協和音とともに、
展開途中のメラミちゃんの業銘結界が、ヒビ割れて砕け散りました。