3.作戦会議(前)
わたしが期待を込めて皆をぐるりと見回すと、先ほどのチェスターと同様に眼をそらされる中、一つだけ勢いよく上がった手があった。
「はいっ、殿下! 隊長を縄で縛るのがいいと思うっス! せっかくですから容赦なく椅子に縛り付けてやりましょう! 荒縄でぐるぐるに巻いて、俺の恨みを思い知らせてやりたいっス!」
「まあ、ライアン。バーナードに縄で縛られたことがあるのですか? どうしてまた、そんな事態に?」
「報告書の締め切りをほんのちょっぴり破っちゃっただけっス!」
「ああ……、なるほど」
チェスターが凍てつく吹雪のような空気を発しているので、だいたいのところを察する。
わたし同様に察したらしい隊員たちが、チェスターの逆鱗に触れないように報告書については聞き流しつつ口々にいった。
「縄なんて無意味」
「お前は隊長が脱獄してきたことを知らんのか」
「手枷足枷をものともしない男に荒縄が役に立つわけないんだよなあ」
「俺は隊長が縄を指でぶちぶちと切っている姿を見たことがありますよ。力んでいる様子はまったくなく、まるでチーズを裂くようにちぎっていらっしゃいました」
「知っていたけど人間の所業じゃねえな。知っていたけど」
ライアンが涙目になった。
隣に立つコリンが憐れみの眼を向ける。『ボウフラ先輩』なんて呼んでいるし、頻繁に口喧嘩をするけれど、あの二人は仲が良いのだ。
ライアンのフォローをしようと思ったのか、今度はコリンが挙手をしていった。
「力で対抗するのは難しいでしょうから、ここは思い切って、隊長に目隠しをしてもらうというのはいかがでしょうか? 両目とも布で覆わせてもらうんです。やりすぎかもしれませんが、隊長なら転倒や衝突程度で怪我はしないでしょうし、このくらいしないと封じ込めることはできないと思います」
何人かの騎士たちからは賛同の拍手が響き、何人かの騎士たちからは納得の声が上がり、何人かの騎士たちは怪しむように首をひねる。
チェスターが苦い顔をしていった。
「残念だが、それも無意味だ」
わたしも頷いて続けた。
「バーナードは王宮の配置を正確に把握していますからね」
「ええ。隊長は殿下がおられる場所に関しては、構造を頭に叩き込んでいます。視界が効かない状態であっても的確に動けるようにと。加えて、隊長は非常に気配に聡く、反応速度も異常に速い。両目を封じたところでハンデにはならないでしょう」
コリンの傍にいたサイモンが、おずおずと口を開いた。
「あの、でも、慣れた場所でも、眼が見えないというのは怖いものですし、少しは動きにくくなるんじゃないでしょうか?」
「そういった恐怖心を隊長に期待するのはやめておけ、サイモン。あの男は月明り一つない森の中だろうと、燃え盛る屋敷の中だろうと、同じ速度で走れる人間だ。……いや、人間かどうかは怪しいが……」
「あっ、でも、目隠しなら殿下を見つけるのは無理じゃないっスか!? 人の気配はわかっても、見えなかったらどれが殿下かわからないでしょ? 殿下が掴まらなきゃこっちの勝ちなんスから!」
「あの男は両目両耳塞ごうと、殿下とそれ以外の区別はつく」
騎士たちから一斉にうめき声が上がった。
「怖い」
「怪物だ」
「知ってたけど俺たちの上司、人間じゃなくない?」
「人の皮を被った呪いの魔剣すぎる」
「持ち主にだけは反応するやつじゃん」
「どれほど距離を取ろうと殿下の元へ一直線に帰っていくんですね……」
「帰っていく途中で障害物を皆殺しにするタイプだろ」
などと、ひそひそと囁きが交わされる。
そんな中で、珍しい手が一つ上がった。
まるで眠っているような細い目に、柔らかな微笑み。近衛隊の中でも古参の騎士だ。
お兄様の即位前からわたしの近衛騎士として仕えてくれている彼は、片足に古傷を抱えていて歩行に杖を必要としている。そのため「私は護衛向きじゃないですからねえ」といって街道の調査を主に請け負っている。
調査というのはつまり、王家の眼となり耳となって、国内の情勢について情報を集めてくる任務だ。広く周知されていることではないけれど、近衛隊は王家の護衛だけでなくそういった役割も担っている。
「帰っていたのですか、エルネスト」
「いやあ、つい先ほど帰還したところなんですよ、我が主。隊室に入るなり副隊長に捕まりましてね。まったく人使いが荒いといったらない」
「無駄口を叩く元気は有り余っているようで何よりだ。それで? 考えがあるのか」
「そうじゃなかったら手を挙げませんよ。───おお怖い。いやだな、副隊長。ライアンへの苛立ちをこっちにぶつけないでくれます? そんなおっかない眼で見られたら、私は口も開けなくなってしまいますって」
「俺はライアンのことは女好きでギャンブル好きで金遣いの荒い屑で見境のない無能だと思っているが」
「酷すぎません!? 訴えてやる! これは勝訴待ったなしっス!」
「しかし君のことは面倒くさいろくでなしだと思っている、エルネスト。さっさと話せ」
「えぇ、酷いな、疲れて帰ってきた部下にあんまりな仕打ちです。これは私もライアンに一枚噛んで勝訴するべきかな?」
わざとらしく悩む顔になった彼に、わたしは口を挟んでいった。
「エルネスト、あなたの無事な帰還を心から嬉しく思いますよ。提案があるならぜひ聞かせてください」
「あー……、我が主はずるいですよねえ。そんな風に仰られたら従ってしまうじゃないですか。ギルベルトの一件も聞きましたよ。───私を呼んでくれたら始末しましたのに」
「物騒ですね、エルネスト。わたしはあなたを暗殺者として雇っているわけではありませんよ」
糸のように細い眼がにっこりと笑って、彼は優雅に一礼した。
「仰せのままに、我が主」
「それに、バーナードいわくギルベルトは『ガルド・オーガスで対等』だそうですよ?」
「おやあ……、これは参りましたね。御前試合でボコボコにされたと聞いていたんですけど、実力は隊長のお墨付きか~。そうなると、どうやって陥れたものですかねえ」
「エルネスト」
「申し訳ございません、我が主。話が脱線してしまいました。自分の提案は簡潔ですよ。主君の命令であれば隊長も従うでしょう。つまり一言おっしゃったらいいんです。制限時間終了まで動くな、とね?」
「ああ、それは残念ながら、駄目だといわれているのです」
「ハンデの内容は自由なはずでは?」
「ええ、ただし訓練を行うことができない類のハンデは駄目だと」
「あぁ、隊長もご自分の弱みはよく理解してらっしゃるんですねえ」
困ったなあとエルネストは頭をかいて、それからトンと杖を軽くついていった。
「そうなると提案できることはもう残りわずかなんですが。我が主、早々に白旗を上げるというのは……」
「なしです」
「じゃあこうしましょう。まず、ライアンのいうように隊長の全身を荒縄で縛り上げます。それからコリンのいうように目隠しをして、さらにその状態で麻袋に詰めます」
「詰め……?」
いったい何を言い出したのかと瞬いたわたしの近くで、チェスターがぼそりと「詰めても無駄だと思うが」と呟く。
エルネストは細い目を弓のように曲げて続けた。
「詰めた上で頑丈な箱を用意します。カネはかかってしまいますけど、銀製のデカい箱が用意できたらいいですねえ。そこに隊長入りの麻袋を詰めて、蓋をして、銀の杭を打ち込みます」
「待ってくださいエルネスト、それは古神話に出てくる妖魔の退治方法ではありませんか?」
「我が主、どうか最後まで聞いてください。さらに土を深ーく掘ってですね、そこに隊長入りの銀の棺を埋めます」
「箱ではなく棺だったのですか?」
「ここまでやってようやく、わずかながら時間稼ぎができることでしょう。いかがですか、我が主?」
わたしは大きく一つ頷いてから告げた。
「却下ですね」
「そんな……、これ以上の方法はありませんよ。これが最善ですって」
「いいですか、エルネスト。バーナードは確かに強いですけれど、人間です。そんな真似をしたら死んでしまいます」
「いやー、死なないと思いますけどねえ。このくらいじゃピンピンしてるでしょう。もうね、銀の棺ですら平然とぶち破りそう」
「エルネスト」
「はーい、我が主の仰せの通りに」
わたしはため息を一つついて、目の前の護衛騎士たちを見回した。
しかし誰もが困ったように顔を見合わせるだけだ。これ以上のアイディアは出てこないらしい。わたしは思案した末にいった。
「こうなったら仕方ありません。バーナードを出し抜くためです。卑怯な手も使いましょう」
皆の視線が集まる。わたしは力強くこぶしを握り締めて宣言した。
「訓練なら事前に手順を打ち合わせるもの。わたしたちは、バーナードと決めた逃走経路とは別のルートで逃げるのです!」