5.真相(完)
外見からはそうとわからない汚部屋女が、いかにもおしとやかそうな微笑を湛えながら入ってくる。まあ、この外面に騙される侍女はいない。殿下ですら「片づけはしたほうが良いですよ、ジュリア。あなたが本の雪崩で圧死するようなことがあったら困りますからね」とたしなめるくらいだ。
「いいところに来たね、ジュリア」
嬉しそうにいったのはミカさんだ。その近くでグレンナさんが危険を察知したように顔色を変えたけど、ミカさんを止めるには遅かった。
「君の意見もぜひ聞かせてくれないか? 最近、我らの姫殿下は大人の階段をのぼられたそうなんだけどね。それがどのような状況で、どの程度の発展具合であるか、我々の中でも意見が割れているんですよ」
「ミカ! これが軽々しく口にしていい話題かどうかもわからないほど、お前は愚かだったのかい?」
「おや、心外ですね。魅惑の貴婦人は、同僚に情報共有することと、外部へ秘密を漏らすことを同列に考えられるのですか?」
グレンナさんが苦々しい顔をして、判断を求めるようにニコ姉へ視線を向ける。
ニコ姉は頭が痛いというようにこめかみに手をやったけれど、頷くだけに留めて、ミカさんを咎めはしなかった。まあ、一度口にしてしまった言葉は取り消しようがないというのもあるだろう。
険しい空気が漂う中、ジュリアはきょとんとした顔で、可愛らしく小首を傾げていった。
「大人の階段の話でしたら、わたくしも殿下から伺っておりますけれど、意見が分かれるような内容でしたでしょうか? わたくし、とてもロマンチックで素敵なことだと思いましたわ」
ニコ姉が、ぎょっとした様子でジュリアをまじまじと見つめた。
「あなた、知っていたというの? どうしてその時点で、わたくしやサーシャ様へ報告をしなかったのですか!」
「まあ……、申し訳ございません。それほどの大事とは思わず、この胸に秘めてしまいましたわ」
「ジュリア……! あなたともあろう者が、殿下に御子ができたときのことを考えなかったのですか?」
ニコ姉が嘆くように呻くようにいう。
しかしジュリアは謎に笑った。
「んふふっ、まあ、ニコレット様ってば。わたくしをからかっていらっしゃいましたのね? お叱りを受けているのかと、すっかり本気にしてしまいましたわ」
「叱っているのです。本気になさいませ」
「あら、そうでしたの……? ですけど、ニコレット様。二度目のキスがどれほど情熱的であっても、それだけで御子はできませんでしょう?」
───室内に、深い深い沈黙が落ちた。
ニコ姉は、優秀そのものの次期筆頭侍女には珍しく、情報を処理するのに時間がかかっているかのように、微動だにしなかった。
グレンナさんは、自分の耳を疑うような顔をして、ジュリアを見ては首を傾げることを繰り返していた。
ミカさんだけはひどく悲しそうな、残念そうな顔になった。
ベッツイーは救いを求めるようにこちらを見たし、わたしは思わず「は……?」という呟きを漏らしてしまった。
二度目のキス?
ええーっと、二度目のキスってほかになにか意味があったっけ?
王侯貴族ならではの言い回し? なんの隠語? 野外を意味する比喩だっけ?
混乱するわたしの前で、ニコ姉がぎくしゃくと口を開いていった。
「キス、ですか……?」
「ええ、二度目の口づけは、一度目のそれよりも情熱的であったというお話でしたわ。きゃっ、なんてロマンチックなのでしょうか」
「……………それで、大人の階段を登ったというのは…………?」
「ですから、一度目からはしばらく時間が経ってしまいましたけれど、ついに二度目の情熱的な口づけを交わしたというお話ですわ。殿下も、それはそれは可愛らしく幸せそうな表情で『大人の階段を登ったのです』と仰られて、わたくしも、とってもロマンチックで素敵ですわと申し上げましたの」
わたしは我慢できずに口を挟んでいた。
「いや止めなさいよ、ジュリア。その内容で大人の階段なんて言い回しは不適切ですわとか何とかいっておきなさいよ!」
「まあ、ベッツイーってば。情熱的なキスは、紛れもなく大人の階段ですわ。わたくしの愛好するロマンス小説にもそう書かれていますもの」
「捨てちまえそんな本」
つい昔の口調が出てしまった。殿下の侍女として猫を被る必要はあるんだけど、これはもうやむを得ない事態だろう。最初にジュリアが聞いた時点で進言しておけば、殿下だってわたしたち相手に暴風雨を発生させることはなかったはずだ。
いや、まあ、わたしたち相手でよかったけどね!?
ハクスリー侍女長がいたら大惨事だった。あぁでも、殿下も母親同然だという侍女長の前では黙っていたのかもしれない。キスの話なんて親としたいものじゃないだろうから。
───そうかぁ、二度目のキスね。ハイハイ、二度目の。
まさか殿下の仰る『大人の階段』がそんな初歩的ないちゃつきだったとは……と大きく息を吐き出したところで、ん? と引っかかった。
───えっ、まだ二度目だったの!? 婚約してから四ヶ月近く経つのにぃ!? り、理性~!! すご、我慢強さがすごぉ、めちゃくちゃ耐えてるんじゃないのあの男。
あの狂犬隊長、やることなすこと血生臭い狂戦士だし、パッと見からもまさに人の皮を被った呪いの魔剣って感じの恐ろしい威圧感があるのに、殿下に対してだけは意外とまともで理性的な男だよねぇ……。
わたしがしみじみ思っていると、ニコ姉も安堵混じりの息を深く吐き出した。
グレンナさんはやれやれといわんばかりに首を振る。
ベッツイーは全身の力が抜けたかのようにヨロヨロと椅子の背にもたれかかった。
ミカさんだけが悲しみの表情で「もっと淫らな話かと期待していました」と呟いて、グレンナさんに扇を投げつけられていた。
ニコ姉は、今度は軽くパンパンと手を叩いていった。
「緊急会議は終了といたします。サリエ、議事録については」
「暖炉に提出しておきます~。侍女長に見せる必要はないでしょぉ?」
ニコ姉が頷く。
狂犬隊長が完遂しただの殿下の肌に触れただのを書き連ねた議事録なんて、侍女長の眼に触れたら大惨事だ。わたしは早々にお焚き上げするべく暖炉へ向かった。
すると、おおよそを察したらしいジュリアが、ハッとした様子で駆け寄ってきた。
「サリエ、わたくしもぜひその議事録を拝見したいですわ! 皆様のロマンス妄想文書をぜひわたくしにも読ませてくださいまし!」
「議事録に変な名前をつけないでくれる!?」
もちろんわたしは、怪物ロマンス大好き女から議事録を死守して暖炉へ放り込んだのだった。
第二部書籍化記念番外編①はこれで完結です。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
番外編②も予定しておりますので、引き続きお付き合い頂けたら嬉しいです。