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4.馬車は野外に含まれるか


 うう、どうしてご令嬢枠のはずのミカさんが堂々と口にしちゃうのか。これには変人枠のわたしもお堅いベッツイーも驚きですわ。グレンナさんなんか天井を仰いだ姿勢のまま片手で顔を覆っている。もはやニコ姉を見るのが怖い。


 由緒正しきご令嬢枠筆頭のニコ姉が、その瞳を北の最果てにあるという凍土のごとく凍り付かせ、全身から冷気と吹雪を発しながら口を開こうとしたときだ。


 ベッツイーが、硬い動きながらも必死で挙手をしていった。


「お待ちください、まだほかの可能性もございます!」


 室内の視線が一斉に集まる。


「三日前の晩、殿下がルーゼン家の晩餐会に出席されたことは皆さまの記憶にも新しいでしょう。あの夜に機会はあったと考えます!」


 えぇ? と、わたしは唇を山なりに折り曲げた。


 確かに晩餐会はあった。多忙な殿下が招待を受けたのは、相手が五大公爵家だからというだけではなく、清廉の騎士の一件でささやかではあるが借りを作ったからだ。


 リットン卿の仮面舞踏会。殿下があの手の催しへ参加されるのは初めてのことだった。ルーゼンの当主にしてみたら、王妹殿下を招けるのならばぜひ本家主催でといいたいところだっただろう。しかしそれでは殿下の目的は達せられなかったために、殿下が初めて姿を見せる仮面舞踏会が分家主催という微妙な状況になってしまった。


 オーガス家辺りに先を越されるよりはマシだろうけど、ルーゼンの当主にとってはさぞ歯がゆかっただろう。


 さらには、事情を知らない貴族たちから、社交界でこぞって尋ねられたにちがいない。


 ───アメリア殿下がどうしてリットン卿の仮面舞踏会に? 

 ───ルーゼン卿はご存じだったのですか? 

 ───殿下は仮面舞踏会に関心がおありで? 

 ───次の機会があるならぜひ自分も招待していただきたい! 

 ───我が家でも仮面舞踏会を主催する予定なのですよ、よろしければぜひ殿下とともにおいでください!


 そんな声に取り囲まれて、当然なにもかも把握していたという態度を貫いても、実際はほぼ関与していなかったというのは、あの傲慢なルーゼンの当主には面白くなかったことだろう。


 まあ、そこで『仮面舞踏会での殿下の麗しいお姿の噂を耳にするたびに、参加できなかったことが無念でなりません。どうか次は、我が家の晩餐会にいらしてくださいませ』といった内容の招待状を送ってくる辺りはさすがだと思う。

 さすが五大公爵家の筆頭格、面の皮が厚く腹が黒くがめつい。


 だけど、晩餐会だ。ダンスがメインになる夜会とはちがう。テーブルがあり椅子があっての食事会だ。夜会以上に、こっそり抜け出して逢引なんていうのは難しい。

 そう思ったのは、ほかの三人も同じだったのだろう。

 しかし、わたしたちが否定の言葉を口にするより早くベッツイーはいった。


「馬車です!」

「馬車」


 思わず繰り返してしまったのはわたしだ。

 侍女より法務官のほうが似合っていそうな同僚は、力いっぱい頷いて続けた。


「あの晩餐会では、フォスター卿は護衛としてではなく、婚約者として殿下に同伴されていました」


 そーね、あれもルーゼン家のしたたかさすごいって思ったよね。


 あの御前試合は誰の記憶にも新しい。

 普通なら狂犬隊長に近づくのも恐ろしくて嫌だろう。

 だけどルーゼンの当主は殿下とその婚約者を招待し、親しい間柄であることをアピールしてみせた。誰もが二の足を踏む中で真っ先に駆け付け、手を差し伸べて味方であると示すことで強固な人脈を築く。金萼家の常套手段だ。あの家は一族の利になると判断したらリスクを取る。


 もっとも、チェスター・ルーゼンと殿下の婚約に断固反対したのも金萼家だと聞くから、あの腹黒一族でさえ仲良しアピールが精いっぱいだったのだろうけど。


 そうつらつらと考えている間にも、ベッツイーの力説は続く。


「護衛としてなら外で騎馬隊を率いていたでしょうが、婚約者としてなら馬車の中にいたはずであり、殿下と二人きりだったはずです。何かしらの社会的営みが発生した可能性はあります!」


 さらに、と、お堅い同僚は最後のダメ押しのように訴えた。


「馬車とは密室! すなわち野外ではありません!」


 いやぁ、密室、かなぁ……?


 難問を解き明かした学者のような顔をしている同僚をよそに、わたしとグレンナさんとニコ姉は揃って微妙な顔になっていた。


 馬車も野外じゃない? とか。

 馬車って整備されてる道でもそこそこ振動感じるじゃん? とか。

 揺れる馬車の中で事に及ぶのって上級者じゃない? とか。

 色々な疑問符が滝のように流れていく。


 わたしはその内の一つ、最大の問題点であり、下手をしたら後宮の庭よりもまずい点を指摘しようとした。


 けれど、それよりも早く、拍手の音が室内に響く。


 誰かなんて見るまでもない。ミカさんが感嘆するようにいった。


「素晴らしい。馬車の中、大いにありです」


「お黙りなさい。なしに決まっておりますわ」


「ミカ、話をややこしくするんじゃないよ」


「さすがにヤバいですよぉ、馬車は」


 ニコ姉とグレンナさんに続き、わたしまで否定の声を上げたことに、ベッツイーが不思議そうな顔をする。

 まったくこれだから、学者一族の出身なんていうのは困るわけ。子守唄代わりに学術書を読み聞かせられて育ったという同僚は、立派に頓珍漢な女に育っている。


「ベッツイーさぁ、殿下の乗る馬車なら必ず近衛隊が守りを固めてるってこと、忘れてない? なぁにが密室だか、周りを護衛騎士たちが囲んでる中でヤるっていうの? アハハ強心臓すぎる~」


 お堅い同僚の顔がみるみるうちに青ざめて、それから瞬く間に真っ赤になった。呼吸困難な魚のように喘いでいるのはパニックのせいだろう。

 そんな『護衛騎士たちのほうが気の毒になる状況』は考えていなかったといわんばかりのベッツイーとは別に、朗らかに堂々と笑ったのはミカさんだ。


「サリエ、禁断のシチュエーションとは盛り上がるもの、禁忌であれば侵したくなるのが人の業というものです。ははっ、私も幼い頃は人妻という響きだけで淫靡さを感じたものですよ。この気持ち、魅惑の貴婦人ならわかってくださるでしょう?」


「なんでそこでわたしに同意を求めるんだい? あいにく全然わからないねえ。わたしが好きなのは恋愛の駆け引きであって尖った性癖じゃないんだよ、ミカ」


「そんな、仲間だと思っておりましたのに……!」


「最悪の仲間認定をするんじゃないよ、お前は」


 打ちひしがれるミカさんに、グレンナさんが嫌そうにしっしと手を振る。


 その一方で、お堅いベッツイーは顔から湯気が出そうな様子のまま、何とか言い訳をしようとしては失敗していた。「ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、ちがっ」と、餌を求める雛鳥の鳴き声みたいな音を出し続けている。


 ちょっと面白くなってしまって、にやにやしながら雛鳥もどきを眺めていたら、お堅い女はこちらにキッと向き直って「おかしな邪推をしないでください、サリエ! わたしはただ馬車ならば屋外ではないと申し上げただけです!」と難癖をつけてきた。


「なにいってんの、馬車は屋外でしょ~が。大人の階段をのぼった場所が、後宮の庭か馬車かっていうなら、まだ庭のほうがマシだと思うくらい野外」


 雛鳥もどきが今度はうめき声を上げた。


 収拾がつかなくなってきた室内を静めたのは、次期筆頭侍女の手を打ち鳴らす音だった。口を閉ざさせるために二回鳴らされた音で、室内には沈黙が満ち、視線は一斉にニコ姉に集まる。


 眼を据わらせて、深い怒りを湛えて、ニコ姉が口を開こうとしたときだ。


 回廊側とは別にある、後宮の奥へ繋がる通用口の扉が開いて、ゆるやかなウェーブがかかった長い金髪の女が顔をのぞかせた。


「おはようございます。まあ、皆さま、お揃いでいらっしゃったのですね。わたくし、少しだけお寝坊さんでしたわ」


 片手を頬に当てて、可愛らしく微笑んでみせたのは、わたしにとって最も理解できない同僚こと恋愛小説至上主義のジュリアだった。


 何が『少しだけお寝坊さん』だ。どうせまた本の山に埋もれて寝落ちしてたんでしょうが。


 お堅いベッツイーも頻繁に学術書の山を築いているけど、こっちは整理整頓をきっちりやる人間なので、すべて綺麗に収納されている。

 ジュリアの部屋は本当に足の踏み場もないくらい本に塗れているのだ。

 床の上に本を積んで山を作るの、心からやめてほしい。


 いつだったか、うっかり山を倒してしまって、絨毯の上で寝落ちしていたジュリアの顔面になだれ込んでいくのを見たときには、とうとうこの女を殺したかと思って焦ったもん……。






第二部書籍化記念番外編①は次で完結です。

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