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3.疑惑のシチュエーション


 わたしが満足していると、ベッツイーがうろたえた様子で両の手のひらを左右にぶんぶんと振った。


「お聞きください、ニコレット様。わたしはサリエのようなことは考えておりません! わたしはただ、殿下はそのような行為に及ぶ時間も場所もなかったはずであり、であるならば無理を押し通して行為に踏み切るような軽はずみな真似はなさらないだろうという推論によって発言したのみです!」


 あっ、ばか、ベッツイー。


 みんながあえて触れなかったそこに、どうして火を付けるようなことをいっちゃうかな!?


 ニコ姉のこめかみがぴくぴくと引きつるのが見えた。


 そう、今回の案件は『大人の階段がどこまでヤったのか』ということ以上に、大きな問題がある。


 あのお忙しい上に常に誰かが傍についている殿下に対して、あの狂犬が、いったい───どこで盛り上がっちゃったのかという話だ。


 先ほどの殿下の口ぶりからして、『大人の階段』に足をかけたのはごく最近の話だろう。多めに見ても、せいぜいこの二週間以内のことだと推測できる。


 殿下の傍にはいつも誰かしら控えているものだし、毎日予定はみっちりと詰まっている。あの狂犬隊長が齧る、もとい、手を出す暇などそうないだろう。逆にいうと、いつ事案が起きたかの特定は容易いはずだ。


 ……そう思って、考えてみたんだけど。

 多分、この場にいるみんなも同じことを考えたんだろうけど。


 これが驚いたことに、ないんだよねぇ、そんな時間はさぁ……。


 まず、殿下の執務中は論外として除外する。

 ミカさんがいうところの『愛欲の花園が咲き誇る』とやらが起こり得るとしたら、後宮内での話になるはずだ。


 だけど、あいにく近衛騎士は、後宮に自由に出入りできる立場じゃない。

 狂犬隊長は婚約者だからハクスリー侍女長も大目に見ているけど、それでも人目に付かずにこっそり殿下の私室へ入るなんてことはできない。後宮の正門前にも、殿下の私室前にも、常に警護の衛士たちが控えて眼を光らせているんだから。


 殿下が自ら人払いされて、狂犬隊長と私室で二人きりで話をされることも、ときどきはあった。でも、大抵がそう長い時間ではなかったし、この二週間以内には起こっていない。


 つまり、結論としてはこうだ。


 最近では、狂犬隊長が人目を忍んで殿下と二人きりになれるような時間も場所も存在しなかった! 犯行は不可能! ウケる~。


 いや、ごめん、ウケない。これはとてもヤバい。


 だって殿下の私室で押し倒したんじゃないなら、どこでしたっていうのさぁ……?


 あの由緒正しきお姫様な殿下を相手に、まさか太陽がさんさんと降り注ぐ下での野外プレ───。




 いやいやいや。



 いやいやいやいや。




 火の粉が満ちている沈黙を破ったのは、さすがのグレンナさんだった。

 色香という言葉を体現しているような妖艶な侍女は、皆の疑惑を断ち切るようにいった。


「あの狂犬隊長なら、後宮に不法侵入することだってたやすいだろう? 夜中にこっそりと忍び込んで逢瀬を重ねていたんじゃないか? 褒められた行為じゃないけどねえ、罪に問うほどでもない。まあ、結婚式を早めるとなると準備が大変だろうから、それに関しては愚痴をいわせてほしいけどねえ」


 そうだろう? と、同意を求めるようにグレンナさんが室内を見回す。


 わたしたちは皆、大いに頷き合い、それでこの話は終了───としたかったのだけど、暖炉の前のミカさんが首を傾げて、あっさりといった。


「それは無理でしょう。見張りの衛士をどう誤魔化すと?」


「不法侵入ではあっても無理やりじゃない。殿下が手引きしているなら衛士たちも沈黙を守るだろうよ」


「上に報告はしますよ。殿下の命令で目こぼしをして沈黙を守るとしても、衛士兵総官長には必ず報告します。それが彼らの職務ですから。そして衛士兵総官長はハクスリー侍女長には必ず情報共有するでしょうから、侍女長からニコ姉にだけは話があるはず。ニコ姉が聞いていないというなら、後宮への不法侵入者も存在しないということ」


 グレンナさんが頭痛に耐えるようにこめかみを揉んでいった。


「なら……、衛士に見つからない方法で入ったんだろうよ」


「ふむ? モグラのように床下に穴でも掘りましたかね? それとも壁と壁の間に隠し通路でも作ったかな?」


「ミーカ」


「無理ですよ。いくらあの狂犬隊長でも、見つからずにというのは。あの男なら見張りの首を落とすことはたやすいでしょうし、何なら後宮の正門すら一息に瓦礫に変えて見せるでしょうが、職務に忠実な衛士を生きたまま黙らせるのは難しい。彼らは、この後宮で殿下の身をお守りするために、衛士兵総官長が選んだよりすぐりの忠義者たちですよ?」


 武のオーガス家は忠誠と恩義を重んじる。

 ただの推測だとしても、衛士たちの仕事ぶりを疑うような話は、ミカさんには受け入れがたかったのかもしれない。


 その気持ちはわからなくはないけれど、グレンナさんが天井を仰ぐ気持ちもよくわかる。


 だって、不法侵入したんじゃないならさぁ。


 ますますもって、残る可能性は、爽やかな風が吹き抜ける下での野外プレ───。



 ひーん。



 ニコ姉が、どんどん温度を失っていく瞳をミカさんへ向けていった。


「では、ミカ。あなたの意見を伺ってもよろしいかしら?」


「私ですか? 私はもちろん───」


 ミカさんが朗らかに楽しげに笑う。


 あっヤバい、と思った。グレンナさんもハッとしたように、ミカさんの口へ手を伸ばそうとした。お堅いベッツイーに至っては、動くに動けず固まったらしいのが気配で伝わってきた。


 しかしわたしたち三人の動揺とニコ姉の氷槍のような視線をものともせずに、ミカさんは仕込み杖をくるりと回していった。


「もちろん、『愛欲が咲き誇ったのは後宮の庭』を推しますね。ははっ、初めてが野外とは、これはまた趣きが深いものです。ですが、私の意見としては、これは決して倦怠期の恋人たちのような刺激を求めての振る舞いではなく、お忙しい殿下のことをおもんばかったゆえの野外」


「ミカ、お前は頼むから十年くらい黙っていておくれ」


「これは手厳しい。しかし、皆さまも同じことを考えられたのでは? 殿下の仰りようからして、事が起こったのは最近のはず。お忙しい殿下があの狂犬隊長と二人きりになったのはいつか? と考えたなら、五日前のことが真っ先に浮かぶはず」


 今までで一番深い沈黙が落ちた。


 そう、五日前の話だ。殿下は珍しく午後の半日休みを取られた。狂犬隊長と二人きりで話したいことがあるからと仰って、侍女も護衛も付けずに、後宮にある広大な庭園の散策へ行かれた。


 とはいえ、あの日も結局、いつものようにといったらなんだけれど、問題が起こったと報告が上がってきて、殿下の裁断ではなければ収まらないからと殿下付きの補佐官が庭園まで押しかけたので───わたしはその場にいなかったけど、後宮の正門では、殿下の休日を守ろうとする侍女長と補佐官との間に壮絶な戦いがあったらしい───殿下が狂犬隊長と二人きりで過ごせた時間はそう長くなかったはずだ。


 いや、まあ、その手のことが平均でどの程度の時間を有するものなのか? とか?

 最短ではどの程度まで短縮できるのか? とか?

 そういうことは、わたしも知らないんだけどね。わたしもほら未婚の乙女だからさあ。あと喋ることすらだるいからなるべく人間とは距離を置きたい。数字だけくれ。


 わたしの得意分野ではないからよく知らないけど、狂犬隊長なら手慣れてそうだし、卵の皮をつるっとむくみたいに殿下の服もつるつるっと剥ぎ取ったのかもしれない。短時間でも十分だったのかもしれない。



 だけどさぁ、後宮の庭園って、文字通り庭だからね……。


 外だから……。 屋根もなければ壁もないから……。


 仕切る板一つもない、開放感に溢れた空間……!



 アハハハハさすがにまずいでしょうよ! まずいって! ヤバすぎるって!!


 いくらわたしが殿下の侍女たちの中でも、ご令嬢枠とは真逆の一芸持ち能力特化型変人枠の侍女だとしても、さすがにこれは最悪にまずい!ってわかっちゃうわ!!


 お姫様に野外で手を出すんじゃないって話だよぉ!








熱い風評被害

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