2.緊急侍女会議
「まさか、そんな、いえ、きっとこれは何かの隠語ですわ! 階段になにかわたくしの知らない意味があるはずですわ!」
と、動揺を露わにいったのはニコ姉で、ひゅうと口笛を吹いたのはグレンナさんだ。
「これは驚いたねえ。あの男、意外と手が早いじゃないか」
そこにニヤニヤしながらいったのはミカさんだ。
「婚約してからもう四ヶ月近くでしょう? 麗しくも愛らしい殿下を前にして、理性的であったと褒めてやってもいいと思うね」
続いて、今にも卒倒しそうな顔色で叫んだのはお堅いベッツイー。
「お待ちください! 法的には婚前交渉は禁じられていないとはいえ、殿下のお立場を考慮するべきであり、モラルの問題もまた軽視すべきではありません!」
最後に、面倒くさいながらも侍女の義務として意見を口にしたのは、わたし、サリエだ。
「どうせ結婚するんだからよくない? ま~でも、あの狂犬隊長が最後までヤったとも思えませんけど。せいぜい齧ったくらいじゃないですかぁ」
いっておくけど、別に相手を侮ってこういう喋り方をしているというわけじゃない。純粋に喋るのがだるいのだ。
「ヤっ……!? 齧っ……!? サリエ、いっていいことと悪いことがあります!」
「だーって事実じゃない。登っちゃったんでしょう、大人の階段?」
ベッツイーが息切れを起こしたように口をぱくぱくさせる。
部屋の中央にいたニコ姉が、ぱんっと力強く両の掌を合わせた。ほかの四人の口が、気圧されたように閉ざされる。
次期筆頭と噂される切れ者侍女は、眼を据わらせて宣言した。
「これより緊急侍女会議を始めます。進行はわたくしニコレット、議事録の作成はいつも通りサリエが行うように」
「えぇ……、議事録、残しちゃっていいんですか……? むしろこの世から抹消しといたほうがいいんじゃあ……?」
「この案件は後宮を揺るがす重大事件ですわ。サーシャ様に判断を仰ぐ必要があるでしょう。記録を暖炉へくべるのはその後でも間に合いますもの」
なるほどと頷いて、わたしは書記机の引き出しを開け、新たな用紙を取り出す。わたしの指定席は部屋の隅、床から天井まで隙間なく埋められた本棚の傍にあるこの机なので、記録のために移動する必要もない。
「それでは、まず、『大人の階段』という言葉の意味に関してですけれど」
ニコ姉がいいにくそうにコホンと咳払いしてから、毅然とした面持ちでわたしたちに問いかけた。
「この言葉に色事の含み以外の意味があると思う方は、手を挙げてくださいませ」
上がる手は一つもなかった。室内はしんと静まり返っている。
ニコ姉は救いを求めるように一人一人見回していったけれど、わたしはサッと眼をそらしたし、近くにいたベッツイーは居心地悪そうにうつむいていた。ミカさんは苦笑気味だし、グレンナさんは呆れ顔だ。
いやぁ、違うって思いたいニコ姉の気持ちもわかるけどさあ。
さすがに、その単語とあの殿下の様子からして、その手のアレじゃないと判断するのはむりでしょ……。
ニコ姉は悔しそうな雰囲気を漂わせて、再び口を開いた。
「では、ひとまずこちらは、色事の含みであったと仮定するとしてですけれども……、問題は、どこまでかということですわ」
グレンナさんが呆れたような声を上げた。
「最後の一線を越えたかどうかって? ずいぶん下世話なことを気にするねえ」
「グレンナ、これがあなたの話でしたらどこでどのような殿方と何をされようとも、わたくしはまったく関心がありませんわ。ですが、殿下のことですのよ? もし、万が一、腹部を目立たせない類のドレスが必要という事態が起こり得るなら、わたくしたちは事前に把握しておかなくてはなりません」
グレンナさんが軽く肩をすくめた。絹張りのソファに腰を下ろしたまま、重々しくいう。
「わたしが思うに……、完遂しただろうねえ」
「グレンナ!」
「だって両想いだろう? 婚約をしていて、周囲にも認められている仲だ。これで年頃の二人が盛り上がってしまったとしても、咎めるほうが無粋というものだねえ」
顔をしかめるニコ姉に、グレンナさんはひらひらと手を振って続けた。
「わたし個人の意見としてはねえ、狂犬隊長よりルーゼンの三男のほうがお勧めだよ。だけど、我らの朝露のごとき姫殿下は狂犬隊長に心を寄せていらっしゃる。……それがいったいいつからなのか、婚約後なのか、あるいは……長らく心を押し殺していらっしゃったのか、わたしにも掴めないけれどね……」
どこか悔いの滲む眼差しでそう呟いてから、グレンナさんはふと笑ってみせると、からかうような軽い口調でいった。
「なに、心配はいらないさ、ニコレット。殿下はああ見えても、わたしたちなんかよりよほど秘密を保つことに長けていらっしゃる。いざとなったら、我らも協力して、腹のふくらみの一つや二つ、隠し通して見せようじゃないか」
「簡単にいわないでちょうだいな、グレンナ。あなたはいつも言い方が軽すぎますわ。それに、ええ、もちろん、神が殿下のもとに御子を遣わしたなら、わたくしたちも総出でお守りするに決まっています」
そこで、グレンナさんに負けないほど軽い声でいったのはミカさんだ。
「まあ、そうなったら、結婚式を早々に上げてしまえばいいでしょう。うちの一族も全面的に協力しますよ」
面白がっているような顔をして、ぱちんとウィンクまで決めてみせる。
「ちなみに私も、狂犬隊長は余すところなく喰い尽くしたと思う」
「ミカ、言葉遣い」
「すみません」
ニコ姉にぴしりと注意されて、ミカさんは申し訳なさそうに謝ってみせる。だけどその瞳は楽しげに輝いていて、悪びれる様子もない。
手にしている仕込み杖で、トントントンと、戯れるようなリズムで絨毯をついていった。
「ジュリアの台詞ではありませんがね、めくるめく愛欲の花園が咲き誇るのを止めることは誰にもできないでしょう。愛とは燃え盛り、欲望とは暴れ馬のごとく自制の効かぬもの。まして相手はあの狂犬隊長、古神話に伝わる悪しき暴虐の獣のような男です。色事に疎い殿下など赤子の手をひねるようなものでしょう」
グレンナさんが思わずというように天井を仰いだ。
「ミーカ、その言い方はジュリアよりまずいねえ。ニコレットの眉間の皺の深さを気にしておやりよ」
「おや、これは失礼いたしました」
ミカさんが長身を礼儀正しく折り曲げる。
グレンナさんが眉間を揉みながらいった。
「ミカ、お前は外見はちいっとも似ていないのに、その悪びれない謝罪だけは、あのいかつい弟君にそっくりだねえ」
「ははっ、それはあんまりなお言葉かと。私はあんな岩男の戦闘狂には身も心も似ておりません。これでも私は我が一族の中では珍しく風雅を解する人間であると自負していますので」
「風雅を語るならまずその仕込み杖を手放したほうが良いんじゃないかねえ」
「これはまたご冗談を。この機能美に満ちた杖こそ、まさに趣きという言葉がふさわしい逸品でしょう?」
そう快活に笑うミカさんに、ニコ姉が片手で顔を覆った。
まあ……、仕方ないよね。ミカさんはほら、北の黒脈家、武のオーガスのご令嬢だからさあ。ご令嬢が仕込み杖持つのってどうなの? 後宮に侵入者があったら一刀両断にしてみせると言い放つ人をご令嬢と呼んでいいの? ご令嬢と書いて戦士と読むの? とか思わなくもないけれど。
そこで、眉間にしわが寄るばかりのニコ姉を励まそうと思ったのだろうか。お堅いベッツイーが、わざわざ挙手をしていった。
「わたしは未遂であると考えます! なぜなら殿下は軽はずみな行動を取る御方ではなく、ああ、いえ、断じて殿下の御心や愛情深さ、そこから自然発生する身体的行為を軽はずみだといっているわけではなく、社会生活におけるその営みを軽視しているわけでもないのですがっ」
「あ~ハイハイ、ベッツイーはわたしと同じで狂犬隊長は齧っただけ派だそうで~す」
「サリエ! わたしはそのようなことはいっておりません!」
「同じ同じ。だって人の皮を被った呪いの魔剣ですよぉ? あの男がその気になったら誰にも止められないし、それはあの男自身わかっているでしょ~。それでも婚約まで殿下に一切手を出さなかった狂犬なんですから、結婚するまでがっつりヤりはしないですよぉ。齧っただけです、きっと」
「サ、リ、エッ!!」
ベッツイーが顔を真っ赤にして睨んでくるのを無視して、わたしはさらさらとペンを走らせた。自分の意見も記録しておく必要があるのだ。
わたしサリエ・デイルは、せいぜい狂犬が殿下の服を剥いた程度の───ううん言い方がまずいかな、侍女長に見せるらしいし、もうちょっと取り繕って───せいぜい素肌に触れた程度の行いだと思います。うん、これでよし。