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1.後宮の侍女たち


 その日も、いつも通りの後宮の朝のはずだった。


 アメリア殿下は兄君である陛下との朝食を終えてから私室に戻られて、近衛隊が迎えに来るまでのひとときを、わたしたち侍女と過ごす。


 わたしを含めた侍女たちは、それぞれの職務に沿って動く。

 殿下に紅茶を淹れたり、本日の装飾品を選んだり、その金の髪に香油を馴染ませたり、装いの最終確認をしたりしながら、各自が手に入れた情報について話すのだ。


 侍女たちそれぞれが招かれた夜会で、お茶会で、訪れた劇場で。

 あるいは付き合いのあるクチュールとの世間話で、ご婦人方の御用達の美容品を扱う商人との噂話で。

 もしくは親戚筋から得たちょっとした話を、殿下の前でたわいのないお喋りのように口にする。


 何も知らない人が見たら、王妹殿下が侍女たちと楽しくお喋りに興じているようにしか見えない光景だろう。


 しかし実際のところは、殿下の侍女たちというのは、華やかな社交界の表からでは見えない部分───つまり、美しく着飾った貴婦人方こそが握っている各家の口にしづらい事情だ。身内の困りごとや、一族が抱える問題など、政務に関わるものとはまたちがう種類の情報を手に入れて、殿下の耳に入れる任務を負っている。


 まあ、全員ではないけれど、次期筆頭侍女と噂されるニコ姉や、髪を輝かせる魔法の手を持つとまでいわれ、さまざまな貴婦人方から助言を乞われるグレンナさんなんかはそうだ。女性陣への人脈が強いのである。


 よその国ではまた事情が違うだろうけど、このディセンティ王国では、王妹であるアメリア殿下は陛下の右腕と呼ばれる補佐官だ。謁見に会談に会議に視察にと忙しく動き回っている殿下は、ご婦人方のお茶会など、女性陣の社交の場へ顔を出す時間がない。それでも、夜会などでは可能な限りご婦人方と交流を深めようとしているけれど、『陛下の妹君であり最も信頼厚い補佐官』に挨拶をしたがる男どもがわらわら寄ってくるので、なかなか時間が取れない。


 そういう事情があって、殿下の侍女たちは社交界(女性側)に特化したスペシャリストの集まりのようになっている。


 まあ、繰り返しになるけど、全員が全員ってわけじゃない。


 わたしみたいに、人付き合いそのものが苦手で、社交は断固お断りなタイプもいる。じゃあわたしが何をしているかというと、同僚が集めてきた情報の記録と整理、分析と紐づけ作業に集中している。ざっくりいうなら、侍女という部署の書記官みたいなものだ。


 ほかにも、ジュリアみたいに、恋愛小説を読むことに人生を捧げている意味の分からない侍女もいる。

 あの女は他国の小説も読みたい一心で、諸外国の小説を国内の社交界で売らせるための流通経路を作った女だ。多言語を習得して留学しただけでは飽き足らず、大陸を回る商隊と人脈を築いたうえで文化交流の名目で投資して販路を築いた。

 実家が資産家とはいえ行動力が異常だし、そのくせ目当ての本を手に入れた後は平気で何日も自室にこもって殿下の前にさえ顔を出さないのだ。

 特殊技能持ちと訳ありが多い殿下付きの侍女たちの中でも、意味が分からないという点に置いて一番ヤバい女だ。


 いや、別に、ジュリアが嫌いってわけじゃないんだけど。

 ただ、苦手なんだよね。


 わたしは数字だとか記録だとか、はっきりしたものが好きだ。情報を積み重ねることで分析できるものがいい。同僚が集めてきたネタをもとに、貴族の立派な家の財務状況を割り出すときが一番腕が鳴る。


 ほら、貴族なんてみんな見栄っ張りだからね。窮地に陥っても上手くいっている振りをしたがるわけよ。王家が気づいたときにはすでに借金まみれで泥沼、弱みを他国の手先に握られて我が国を裏切っている……なーんてことになったら、殿下は困るわけよ。

 だからわたし、サリエ・デイルは殿下の侍女として情報の記録と分析を負っている。後宮の裏金担当とでも呼んでほしい。うん、それだと意味がちがうか?





 今日、殿下の私室に集まっていたのは、わたしを含めて五人だった。


 ソファに腰かけている殿下の隣に座るのは、金の髪を肩につかない程度の長さで綺麗に切りそろえた、優秀という言葉を体現しているようなニコ姉。


 ローテーブルを挟んで、二人の向かい側に座っているのは、桜色に赤味を増したような艶やかな長い髪をゆったりとまとめている、たれ目が色っぽいグレンナさん。


 暖炉の前に立っているのは、黒髪を耳の下で短く揃え、常に仕込み杖を持ち歩いているミカさん。


 本棚の前に置かれた椅子に座っているのは、青みがかった銀色の髪を痛そうなほどきっちり編み込んでいるお堅いベッツイー。


 最後に、面倒という理由で伸ばしっぱなしの癖の強い茶髪を適当にひとまとめにしているわたしだ。


 ほかの面々はそれぞれ『お仕事』だろう。まあ、ジュリアみたいな例外もいるけど。


 毎朝侍女全員が揃うわけではないので、姿の見えない同僚がいることは珍しくない。ただ、一つだけ、普段とはちがうことがあるとすれば、今日はハクスリー侍女長がお休みだったことだろう。


 サーシャ・ハクスリー侍女長は、わたしたちを纏めるトップであり、同時に殿下の筆頭侍女である。


 後宮とは縁遠い友達からは、侍女長と筆頭侍女ってなにがちがうの? どっちがえらいの? と聞かれたりもするけれど、立場でいうなら侍女長のほうが上だ。

 侍女長とはアメリア殿下が暮らすこの後宮全体のまとめ役であり、設備などの管理者であり、下働きまで含めた人事の責任者だ。殿下が過ごされるこの後宮を心地よく整え、殿下に届く手紙や贈り物を分別し、季節の祝い事などを殿下に代わって采配し、日々の雑務を処理し、後宮で働く人々に目を配る。そういうお仕事だ。


 一方で、筆頭侍女というのは、その名の通り侍女たちの中で最も殿下の傍近くに侍る人間を指す。例えば、殿下が視察のために王都から出ることがあるとする。そのときに付き従うのが筆頭侍女だし、殿下の留守を預かるのが侍女長だ。あるいは、殿下から直接指示を賜って、殿下の望みを叶えるのが筆頭侍女だし、そのための後方支援をするのが侍女長だ。


 だから、普通、一人の人間が兼任する役職じゃない。実際、陛下が住まう後宮では、侍従長と筆頭侍従は別の人間だ。殿下の後宮(うち)が異例というか例外なんだよね。


 先王派が実権を握っていた時代、名実ともに殿下の侍女と呼べる存在はハクスリー侍女長しかいなかった……らしい。わたしも侍女になったのは今の陛下が即位した後のことだから、詳しいことは知らない。ただ、過去の余波は今にも続いていて、侍女長と筆頭侍女が兼任なんて事態になっているのはそのせいだと聞いている。


 ハクスリー侍女長はたびたび殿下の忙しさを心配して、休んでくれるように進言しているけれど、そういう侍女長自身も結構なオーバーワークだと思う。そのうち、ニコ姉が筆頭侍女に昇進して、侍女長は侍女長としての仕事に専念するんじゃないか……という噂もあるけれど、今のところは噂のまま、目立った動きはない。


 これはわたしの推測だけど、殿下が婚約したことも大きいんじゃないかと思う。もしも殿下が結婚して後宮を出られるということになったら、侍女長はむしろ『侍女長』という役職のほうをニコ姉に託して、筆頭侍女として殿下に付き添いたいんじゃないだろうか。侍女長は冷静沈着で部下の面倒見もいい人だけど、殿下に対しては理屈じゃないんだろうなというところがあるのだ。


 そんな侍女長が今日はお休みだった。なにか事情があるわけではなく、普通の休日だ。


 過去には全然休みを取らずに働いていたこともあるそうだけど、殿下に「それ以上連続勤務を続けるなら、わたしが強制的に休みを取らせますよ? バーナードにするのと同じように」といわれて以来、観念して休むようになったらしい。


 侍女たちの間では『あの狂犬隊長と同列にされるのが我慢ならなかったんだろう』と囁かれている。


 侍女長が不在でも、ニコ姉がつつがなく取り仕切って、後宮の朝は進んでいく。


 そして近衛隊が迎えに来る時間が近づいたときだ。情報収集の報告は広がった敷布を結ぶようにまとめられて終わり、本当にただのたわいないお喋りが始まった。

 たとえば、王宮の食堂の新メニューの話だとかだ。


 侍女は普通、殿下の付き従う必要がある場面以外では、政治の場である王宮へは行かないものだし、食事は後宮で用意される。

 でもグレンナさんやミカさんは、自分でメニューを選べる食堂を面白がって、ときどきこっそり足を運んでいる。正直にいうと、わたしもそう。

 決して後宮の食事に不満があるわけじゃないし美味しいんだけど、今日はあれが食べたいなって気分のときだってあるでしょ? 食堂もメニューの数が多いわけじゃないんだけど、好きに選べるっていうのはやっぱりいいんだよね。


 グレンナさんは、新メニューの灰花開きのプティングが苦すぎると嘆いていた。デザートにするなら雪蜜をたっぷり混ぜてほしいと。そこにミカさんがあのくらい苦いほうが美味しいだろうと、からかうようにいったのだ。


「あれが大人の味というものでしょう? 魅惑の貴婦人の口に合わなかったとは意外だな」

「色恋沙汰なら苦さも一興だけどねえ、デザートなら甘いほうがいいよ。殿下もそう思いません?」


 殿下が甘い物好きだと知っているからこその台詞だったのだろう。


 けれど、殿下はふふと笑っていった。


「そうですね、甘い物は好きですけど、今度はその苦いプティングにも挑戦してみたいと思います。わたしはもう大人ですからね。大人の階段をのぼりましたから」


 その瞬間、誰もが戸惑ったような沈黙に落ちた。


 殿下のほのかに赤く染まった頬と、笑んだ唇から零れ落ちた言葉は、わたしを含めた侍女たちの時を止めるには十分すぎた。お喋りが億劫なわたしはもちろんのこと、優秀そのもののニコ姉も、魅惑の貴婦人ことグレンナさんも、誰も何もいえなかった。


 しかし、わたしたちの誰もが言葉を発せなかったことで、殿下はなにか誤解したらしい。まるで念押しのように繰り返した。


「わたしはついに大人の階段をのぼったのですよ。そう、バーナードと一緒に登ったのです」


 ふふふと、殿下が得意そうに笑う。


 わたしたちの時間が解凍される前に、見張りの衛士から声がかかった。近衛隊の到着が告げられる。いつも通りに殿下が歩き出すのに、ニコ姉が慌てて扉まで付き従う。


 そして、殿下が公務のために王宮へと向かわれて、私室の扉は再び閉ざされる。


 残されたわたしたちの間に落ちたのは、永遠にも似た沈黙、それから蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。






アメリアにとっての『大人の階段』とは第二部最終話の二回目のキスのことです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 番外編キタ━(゜∀゜)━! 侍女達も個性的でくせ者揃いですね笑 殿下が可愛すぎる〜 書籍2巻も楽しみにしています!
[良い点] も〜殿下ったら徹底的に箱入りなんだから〜、可愛い〜ニヤニヤがとまらにゃい〜! 二巻、首を長くしてお待ちしております!
[良い点] 番外編ヤッター!番外編も2巻も両方楽しみです。 ちょっとずれた姫様の言動によってバーナードまでも誤解されてしまうのかと思うと、ニヤニヤしてしまいます。
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