43.護衛騎士と戦場の英雄と王家の姫
バーナードは人間ですよと力強くいいきる。
けれどギルベルトに信じた様子はなく、それどころか若葉色の瞳が硬質さを増した。そこには決意によって生まれた揺るぎなさがある。
彼はここに来てもなお戦意というものを保っていた。
「隊長殿の実力を侮った非礼は詫びます。申し訳なかった。ですが、その上でお聞きしたい」
ギルベルトは鋭い眼差しでバーナードを見上げて、切っ先を突きつけるような声で尋ねた。
「なぜ殿下に剣を教えない? 一度教えてみて、適性がないから終わりにしたというのならわかる。しかし君はちがう。俺が調べた限りでは、君は一度も試みることなく、ほかの指導役を勧めたこともない。殿下のご意志を第一としながら、なぜその点に置いては拒むんだ」
バーナードの眉間にしわが寄る。ギルベルトの問いかけの意図を図りかねたからだろう。
わたしもまた唐突な話題に戸惑いながら、質問を返していた。
「なぜ、そんなことを聞くのですか? バーナードの職務は護衛ですよ。わたしに剣を教えないとしても、それがなにか問題が?」
「殿下、この男は貴女が無力でいることを望んでいます。貴女に剣を握らせず、戦う意志も力も奪おうとしている。それが、なにがあっても貴女を守り抜けるという隊長殿の実力ゆえの傲慢さだというなら、まだいいでしょう。ですが、そうではなかったら?」
満身創痍のはずのギルベルトの身体に、その腕に、覚悟が満ちているのがわかった。彼は今、真実、命を賭けてバーナードと対峙していた。
「君が殿下に、戦う術を持たない“弱い存在”であることを求めているのであれば、俺は引くことはできない。答えてくれ、隊長殿。返答次第では、俺は人ならざる者とも戦おう」
バーナードが眼をすがめて、呆れたようにギルベルトを見下ろした。
それから、許可を取るように一度わたしを見る。
頷いてみせると、バーナードはため息混じりに口を開いた。
「お前は殿下がクソ頑固なことをわかっていない」
どういう話の切り出し方なのか。
わたしは柳眉を上げて彼を見上げたけれど、こげ茶色の瞳は嫌そうに続けた。
「剣なんて教えてみろ。もしも俺がいない所で襲撃を受ける事態になったら、殿下は真っ先に戦うことを考えるだろうが」
「それの何が悪い? 殿下に無抵抗で殺されろというのか」
「馬鹿か? お前は聖教会の護衛をやっていたんじゃないのか。襲撃を受けたら、そいつらに剣をもって戦ってほしいと考えたか?」
「……いや、足手まといになるだけだから、大人しく引っ込んでいろと思っていたが……」
なにかに気づいたように、彼は口元に手を当てた。ギルベルトの面差しから、徐々に決意が薄まっていく。
一方でわたしは、気まずさに席を立ちたい心地になっていた。
雲行きが怪しくなってきた気がする。あとはバーナードに任せてこの部屋を出てはいけないだろうか? しかしちらちらと扉へ目を向けても、そこにはエバンズ卿が難しい顔をして立っている。なにより隣には最強の騎士がいる。
バーナードは忌々しそうに続けた。
「その場に弱い女子供でもいたならなおさらだ。殿下は民を守るために剣を取るだろう。たいした腕前でもないのにな。政務で忙しい中でかじっただけの剣術に、重さも速さもない剣。そんなもので敵兵との体格差、腕力の差をひっくり返すことなど到底できない。どうなるかなんて、結果は目に見えている」
バーナードは深い怒りのこもった息を吐き出した。
それはここにいる誰かに向けてのものではなく、口に出すのも厭わしいといわんばかりの想像上の未来に対する憎悪だった。
こげ茶色の瞳が、じろりとわたしを見下ろす。
わたしはそっと目をそらしたけれど、バーナードはそれを許さないといわんばかりに続けた。
「俺は殿下に逃げてほしいんですよ。逃げてくれさえしたら、俺が必ず駆けつけます。だからどうかそれまでは逃げてほしい。抗戦することを考えず、ほんの一瞬も迷わずに逃げることを選んでほしい。ですが───、殿下の性格上、自分が『戦える』と思ったら迷うでしょう。抗戦を考えるでしょう。その一瞬の迷いが生死をわけるというのに」
おかしい。
ギルベルトへの説明だったはずなのに、これでは完全にわたしへのお説教である。
「だから俺は殿下に剣を教えません。あなたには無力なままでいてもらいます。逃げる以外の選択肢なんて差し上げませんよ。剣を抜けるほどの間合いがあるなら、なにがあろうと一瞬も迷わず逃げるんです。下手に戦うことなんて考えるんじゃない。あんたの細腕でそんなもんはな、死にに行くのと同じことだぞ。俺がいない所で襲撃を受けたら一目散に逃げる。それが最大限あなたの身を守る方法です。わかりましたね、殿下?」
「なぜわたしが怒られているのかがわからないのですけど……」
「俺があなたにこの話をするのは何度目だと思っているんです。殿下ときたら、毎回納得した顔はするくせに『それはそれとして』などといい出して護身術として剣を習いたいだなどと……、いいか姫様、あんたの最大の護身術は逃げることなんだよ。それ以外を考えるんじゃねえよ」
「バーナード、口が悪くなっていますよ、落ち着いてください」
わたしが両手を広げてまあまあと押し留めると、ふっとかすれた笑い声が聞こえてきた。ギルベルトだ。うつむいたまま、肩を震わせて笑っている。
わたしが叱られているのはあなたのせいもあるというのにと、釈然としない思いで見ていると、察したのだろう。若葉色の瞳がこちらを向いた。
「すみません。貴女を笑ったわけではないんです。殿下がおっしゃった通り、俺が見ていたのは俺の過去でしかなかったのかと納得できてしまって……、自分の滑稽さが笑えたんです」
───俺の眼はいつの間にか、こんなにも歪んでいたのか。
そう乾いた声で呟くギルベルトの眼差しは、遠き日を見つめているようだった。取り戻せない過去を、そこにある痛みと悲しみを。
虚ろな瞳が、やがて諦念とともに閉じられる。
「これですべての不安は解消できました。ありがとうございます。そして本当に申し訳ありませんでした。一連の扇動はすべて俺個人の企みです。どうかふさわしい処罰を与えてください」
ギルベルトがそう頭を下げる。
わたしはちらりとバーナードを見上げた。
彼は軽く頷く。
わたしがこれから告げようとしていることを悟っているだろうけれど、こげ茶色の瞳は不満を押し殺しているようには見えなかった。あえていうなら、どうでもよさそうだ。御前試合で気がすんだのだろうか。
頭を下げたままのギルベルトに、わたしはいった。
「王家の婚約者に対し悪意のある噂を流布し、人心を扇動したことは重罪です。いくらあなたが功績のある西の砦の英雄とはいえ、投獄は免れません。……しかし、その動機は王家の姫を守るためであったこと。被害者であるバーナードにあなたの罪を問う意志がないこと。この二点によって減刑はしましょう。それでも、あなたを放免するには足りません」
ギルベルトが困惑したように顔を上げる。
わたしはその若葉色の瞳を見つめて尋ねた。
「この先の一生を、一介の騎士として我が国と民に捧げると誓いますか、ギルベルト?」
「それは……」
「あなたが誓うのであれば、わたしがお兄様に掛け合って、恩赦を取り付けると約束しましょう。どうですか、ギルベルト?」
「殿下、俺はっ、俺にふさわしい罰を与えていただきたく……っ」
「これがあなたにふさわしい罰ですよ、ギルベルト。守るために死ぬのではなく、守るために生きてください。あなたはこの先、いくら功績を立てても爵位は与えられず、フォワード家に戻ることもできないのです。それで十分ではありませんか」
苛烈な若葉色の瞳が歪む。彼が歯を食いしばっているのがわかった。
……以前、バーナードはギルベルトの本質を剣ではなく諜報と扇動だといった。わたしもそれは同感だ。彼は工作活動において本領を発揮する人だろう。
ただ付け加えるのなら、ギルベルトは恐らく、守るために生きる人間だ。なにかを守るために戦ってこそ、彼の心臓は脈打つのだろう。そのためなら己を犠牲にすることも厭わない。
わたしは静かに告げた。
「この件は公にはしませんが、記録には残します。たとえこの先あなたを担ぎ出そうとする者が現れたとしても、法務官は王家へ対する罪歴のあるあなたが辺境伯となることを認めません。あなたの存在が、フォワード家に混乱を招くことも、弟を苦しめることもない。あなたはただのギルベルトとして生きていく。それがあなたへの罰です」
ギルベルトが耐えかねたように眼を伏せた。