39.バーナード対ギルベルト
「御身の警護を疎かにしては、俺が陛下から叱られてしまいます。あの男が試合に臨む間だけ、どうか傍にはべることをお許しください」
建前の上手い青年だ。警護のために騎士たちの席にお邪魔しているのはわたしのほうであるし、強く突っぱねることもしにくい。
すでにリングの上に立っているバーナードも、わたしの隣に座ったガルドを見ても特に表情を変えなかった。何なら警備上はこの方が安全だとまで思っているかもしれない。
わたしとしても、ガルドに対してはそこまで強い好悪の感情はない。ガルド・オーガスは冷酷だけれど有能だ。それが王妹としての判断だ。
ただ、犬猿の仲の二人に挟まれたいかと問われたら、できることなら避けたいというのが本音なだけで。
「殿下の護衛は隊長から俺に任されている。貴殿の出る幕はない」
「その隊長殿は俺が護衛につくことに異論はないようだがな。副隊長同士仲良くやろうじゃないか、ルーゼン卿?」
「お前をオーガス卿と呼ぶことは黒脈家全体への侮辱に感じられて躊躇われる」
「おやおや、俺の試合での盛り上がりを見なかったのか? ルーゼン卿は相変わらず目が悪いようだ。くだらない女に引っかかるのも納得だよ」
チェスターがぶわりと殺気立った。
わたしは淡々と告げた。
「ガルド。わたしの近衛隊副隊長を侮辱する人間を護衛に置く気はありません。謝罪するか、立ち去るか。自分で選びなさい」
「謝罪します。申し訳なかった、ルーゼン卿。言葉が過ぎました」
こういう場面であっさりと心底すまなそうな顔で謝ってみせることができるのが、ガルド・オーガスの性質の悪いところだ。
大柄で強面、上下関係に忠実で、名誉と強さを重んじる寡黙な青年と、一見したところはまさにオーガス家の戦士といった風貌であるのに、必要とあれば言葉を弄することにも躊躇いがない。直情型の人間が多いオーガス家においては密やかな異端さを持ちながら、それを表に出さない狡猾さも併せ持っている。
わたしは短くため息をついた。
謝るくらいなら最初から煽らなければいいのにと思う。本当に思う。
しかしチェスターを怒らせる言葉を進んで口にするのがガルド・オーガスという青年だ。チェスターにいわせるなら「性根が腐っている」というところであり、バーナードが評するなら「外面のいい戦闘狂」であり、わたしがいうなら「ライバル心はもう少し真っ当な形で表してほしい」だ。
ちなみにガルドは、好敵手と捉えているチェスターに対しては何かにつけて挑発するけれど、バーナードに対しては無言になる。前に一度だけ、苦い顔で「あの男に競争心を抱くほど不遜ではありませんから」と零していたことがある。恐怖混じりの敬意があるらしい。
ガルドに気を取られている間に、リングの上ではすでにバーナードとギルベルトが向かい合っていた。
衛士兵総官長が、儀礼用の杖を打ち鳴らす。
「春告げ鳥の翼の下に、第四の騎士たちよ、その武勇を示せ!」
闘技場内がしんと静まり返る。
そこに総官長の声が響く。
「───はじめッ!」
先に仕掛けたのはギルベルトだった。
まるで矢のような速さで間合いを詰める。刃を潰した儀礼用の剣が、三日月のような美しい曲線を描く。右腕から狙ったのは、武装した敵を相手取るときの癖だろうか。鎧の隙間を突くような斬撃だ。
バーナードはそれを己の剣で受け止めた。
思わずわたしとチェスターは二人そろって息を呑んだ。
「バーナードが───」
「───剣で受け止めましたね」
ガルドが怪訝な顔で「驚くようなことですか? 攻撃を受け止めるなど、あの男の実力なら当然のことでしょう?」と聞いてくる。
なるほど、普通の感覚ならそうなのだろう。でも、ちがうのだ。
「バーナードは敵の攻撃を受け止めないのですよ。あなたの一族と戦ったときもそうだったでしょう?」
わたしの言葉を、チェスターが頷きながら補足してくれる。
「受け止める必要がありませんからね。敵より早く動いてその首を落とすか、落とさずとも叩きのめせばいい。いちいち剣を交わす必要がないからやらないんですよ」
ガルドからの返答は、納得というよりうめき声に近かった。
その間にもギルベルトの猛攻は止まらない。
観客席からは大きな歓声が上がった。
騎士団勢はギルベルトの優位と見て怒涛の声援を送っている。西の砦の英雄と名高い騎士の勇士に、大勢が身を乗り出して見入っていた。
わたしはだんだんとハラハラしてきた。
試合開始からしばらく経っても、バーナードが防戦一方なのだ。ギルベルトの攻撃を防ぐだけで、自分から仕掛けていく素振りがない。バーナードの強さを疑ってはいないけれど、心配にはなってくる。
「大丈夫でしょうか……? もしかして今日は、体調が悪かったのではありませんか?」
わたしは真剣に案じた。
しかし左隣のガルドは吹き出した。チェスターがつられて笑いそうになって、必死に耐えているのも気配で伝わってくる。
憮然として口を閉じると、ガルドが弁明するようにいってきた。
「申し訳ありません、殿下。持病の咳が出てしまいまして」
「ふざけているのですか、あなたは?」
「滅相もございません。しかし、殿下。あの男にそのような心配はするだけ無駄かと」
「大丈夫ですよ、殿下。試合が始まってから、隊長は一歩も動いていないでしょう?」
だから心配になるのではないですかと無言のうちに反論を滲ませると、両側の二人が説明するように口々にいってきた。
「あれだけ攻め込まれているのに、一歩も動かないまますべて捌き切るというのは防戦一方とは呼びません。そもそも『戦い』とすらいいがたい。ただの遊びですな。子供の剣術ごっこに付き合う大人であっても、あれよりは本気でやるでしょうよ」
「隊長が何を考えているのかはわかりませんが、ギルベルトに圧されて動けないというわけではないのは確かです。隊長がその気になったら、一瞬で勝負はついていますよ。どうして長引かせているのか、俺にはそちらの方が不可解ですが……」
チェスターの戸惑いに、わたしも頷いて同意を示した。
バーナードは桁外れに強いけれど、ガルドのように戦闘を好み欲するという人ではない。必要なら剣を振るうというだけで、いつもなら一瞬で終わらせているはずだ。
ガルドが嘲笑混じりにいう。
「西の砦の英雄も、よほどの節穴でないなら、さすがに気づく頃合いでしょうよ。自分が敵に回した相手が何なのかをね。妙な噂で人心を煽っていたようですが、そんなもので倒れるのは人間だけ。人ならざる者の前では、自分は踏み潰される無力な蟻であると気づく頃ですよ」
その言葉を裏付けるように、ギルベルトは剣を引き、バーナードから大きく距離をとった。攻めあぐねて、体勢を立て直そうとしているように見える。遠目にも、その表情がこわばっているのがわかった。
バーナードと剣を交わしたことで、彼に対する誤解がようやく解けたのだろうか? バーナードは真実、最強の騎士であり、その人柄もギルベルトが想像していたものとはちがうと悟ったのだろうか。
わたしは閃いていった。
「もしかしてバーナードが試合を長引かせた目的は、ギルベルトと剣での対話を試みたからなのではありませんか? わたしは武術の心得がないのでわからないのですけど、世の中の騎士たちは、剣を交えることで理解し合えることがあるものなのでしょう? 戦いによってはぐくまれる友情もあると侍女から聞いています」
「それは……、そういった事例が一切ないとは申しませんが……、隊長にはまず当てはまらないことかと……」
「巨人と蟻の間で理解し合えることなぞないでしょう」
チェスターが歯切れ悪くいい、ガルドが一刀両断して、わたしがそれでもなおあきらめ悪く「バーナードはきっとギルベルトの誤解を解こうとしてくれているのです」といい募ろうとしたときだ。
バーナードが距離をとったギルベルトを眺めて、初めて口を開いた。
「どうした、もう終わりか?」
声は笑っていた。楽しげに楽しげに───、冷たく、空虚に。
「なら、今度は俺の番だな」
彼は声を張り上げたわけではない。それでもその宣告は闘技場内に響き渡り、誰の耳にも沁み込んだだろう。