37.近衛隊総隊長
衛士兵総官長が、続けて騎士たちの名を呼んだ。
「近衛隊の二の騎士、エリック・デイル! 騎士団の二の騎士、ヒュー・クランヘル!」
騎士団の二の騎士は姓を持たないのだろう。
クランヘルというのは騎士団の本拠地《一の剣》の古い呼び名だ。姓を持たない騎士が公の場で名乗りを上げるときは、所属先を加えることになっている。《一の剣》の騎士ヒューであるという意味だ。これが西の砦の騎士なら、家名の代わりにエステニアと名乗ることになる。
平民出身であっても騎士団で昇格すると姓を持つものだけれど───これは名誉というより実用性の面が大きい。昇格すると何らかの役職に就くことが多く、上司が名しか持たないというのは部下の側がやりにくいのだ───ただし、通常の昇格には実技だけでなく筆記の試験も課せられている。
騎士団の教官による講習も行われているのだけど、なかなか合格できない者や、筆記の勉強を厭って挑戦しない者も多いと聞いている。
「近衛隊の三の騎士、ローティス・クレイン! 騎士団の三の騎士、ジョン・モール!」
いよいよ次だ。
わたしがバーナードを見上げると、彼は安心させるように微笑んでくれた。
「近衛隊の第四の騎士、バーナード・フォスター! 騎士団の第四の騎士、ギルベルト・エステニア!」
場内が大きくどよめいた。
洞穴のような形の入場口から、バーナードとともに歩き出す。青空の下に姿を見せたわたしに、観客たちはいっそうの混乱に陥ったらしい。
衛士兵総官長が、好々爺の面差しを崩すことなく楽しげに声を張り上げた。
「この度、近衛隊の第四と第五の騎士に、王妹殿下付き近衛隊隊長と副隊長が選出された! しかし、いかに春の祝祭のためとはいえ、殿下の警護にわずかな隙も生じてはならぬもの! そこで恐れ多くも、殿下自ら勇士たちの傍へ席を移されることとなった! おお、春告げ鳥の翼の下、尊き王妹殿下に栄光あれ!」
わっと拍手が起こるものの、熱気の下を流れる怯え混じりの戸惑いまではかき消せない。
観客たちの心を代表するかのように、騎士団側から叫び声が上がった。
「お待ちくださいッ! その男が試合に出るのですか!?」
声を張り上げたのは騎士団の二の騎士ヒュー・クランヘルだ。
彼の左右に立つ一の騎士と三の騎士から「よせ、ヒュー!」「王家の御前だぞ!」と口々に止められているけれど、その二人も顔色が悪い。
中央のヒュー・クランヘルはガタガタと震える指先でバーナードを示して叫んだ。
「はっ、反則ではありませんか!? こっ、こっ、これは騎士の戦いのはず! 人の皮を被った呪いの魔剣が出るとは聞いておりません!」
わたしたちとは逆側から入ってきていたギルベルトが、慌てたようにヒュー・クランヘルへ駆け寄っていった。
「ヒューさん、落ち着いてください。近衛隊の隊長と戦うことは、俺にとっては望むところです」
「馬鹿ギルベルトお前っ、あの魔剣のヤバさを知らねえからそんなこといえるんだよ馬鹿っ! 俺はあの怪物が剣を振るうのを見たことがあるんだ! あれはもう戦いじゃなくて蹂躙だ! 奴にとっちゃ人の首を落とすなんて蟻を踏み潰すみたいなもんだっ! あの男はマジもんの魔剣なんだよ!」
ヒューはぐるりと勢いよく後ろを振り返り、騎士団勢の前方に座っている上官へ向かって叫んだ。
「団長! これを許してよいのですか!? ギルベルトに死ねというのですか!? 西の砦の英雄に対してあまりな仕打ちではありませんか!?」
観覧席がざわめく。
さりげなく場内を見回せば、騎士団側の反応は共感と戸惑いが半々といったところだ。前方の席に座っている幹部勢は皆、顔色が悪く血の気が引いているけれど、後方の席に行くほど戸惑いの顔も増える。人員の多い騎士団では、誰もがバーナードの実力を真に把握しているわけではないのだろう。
それに引きかえ、流血夜会事件が知れ渡っている近衛隊側の観客席では、一様に気まずい空気が漂っていた。まるで自軍が卑怯な手でも使ったかのような反応だ。「いくらエンリケが出られないからといってこれは……」「総隊長もやり過ぎではありませんか……?」などというひそひそ声が聞こえてくる。
貴族や商家の反応も半々といったところだけれど、五大公爵家の面々は明らかに顔が引きつっていた。あのオーガス家の戦士たちに至っては、誰もがうつむいて災いを避けるように沈黙している。
わたしが口を開きかけたとき、近衛隊側の観客席から笑い声が響いた。
「ハッハッハ、騎士団の勇士ともあろう者が、ずいぶんと臆病風に吹かれたものだ。勇敢なる騎士団はたとえ死者の国の王が相手でも怯むことなしと聞いていたが、いやはや、中身の伴わぬ大言壮語は見苦しいのではないかな?」
振り向かなくともわかる。高笑いまでしているのは、近衛隊の総隊長であるネヴィル卿だ。いつものように自慢の口髭を撫でつけながら煽っているのだろう。
実は、わたしがバーナードとともに入場するというアイディアを出したのは、ネヴィル卿だった。
あれは一昨日のこと、バーナードとともに後宮の冬薔薇を眺めた翌日の話だ。
わたしが第四の騎士にバーナードを推薦するより早く、ネヴィル卿のほうから執務室を訪ねてきたのだ。
「フォスター卿ほど武勇に優れた騎士ならば、西の砦の英雄ごとき敵ではありませんでしょう」
ネヴィル卿は、わたしの机を挟んだ向かい側に立ってそういった。扉の前に立っているバーナードからは全力で視線を外しながら。
フォスターの家名は、お兄様がバーナードへ爵位とともに授けたものだ。
もっとも、その家名で呼ぶ者は少ない。彼が敬意を払われていないというわけではなく、当のバーナードがフォスター卿と呼ばれても反応しないからだ。
「それは俺の名ではないので」というのが当人の弁である。
とはいえ先日の婚約披露パーティーなどではごく自然に対応していたので、単純にお兄様から与えられた名というのが気に入らないのだろうとわたしは推測している。未来の義兄弟仲は依然として険悪である。
総隊長という立場上『フォスター』と呼び掛ける機会が一番多いのではないかと思われるネヴィル卿は、呼んでも振り向きもしないとたびたび激怒している。
また、ネヴィル卿がバーナードに関わらないようにしているというのも有名な話だ。
御前試合への出場も、実力で選んだなら去年の時点でバーナードの名前が挙がっていただろう。けれどネヴィル卿は、バーナードのことを疫病神か、あるいは災厄そのもののように認識している節があり、自分の名誉を守るためにも近寄らないという方針があからさまだった。
それがここに来てコロリと態度を変えたのは、近衛隊の頂点に立つ者として、実力勝負で騎士団に勝つことの旨味が大きいと去年経験しているからだろう。
エンリケの負傷によって、ネヴィル卿は新たな騎士を選ばなくてはならなくなったが、対戦相手はあの西の砦の英雄だ。並の騎士では太刀打ちできないことは、誰の目にも明らかだ。しかし、そこで今回は勝利を諦めるという考えは、ネヴィル卿にはなかったのだろう。
本来、御前試合は、実力で争ったなら騎士団が勝つというのが常識だ。それをひっくり返しての近衛隊の二年連続勝利、その偉業を達成した偉大なる総隊長という名声を得るためならば、悪魔にも魂を売るといった様子で、彼は自慢の髭を撫でつけながら提案してきた。
「近頃は妙な噂が王都を賑わせているようですが───、いかがですかな、殿下? ここは婚約者殿を第四の騎士として、その姿を傍近くでご覧になるというのは? お二人の仲睦まじい様子を見たなら、愚かな噂を口にする者などたちまちいなくなることでしょう」
「悪い話ではありませんけれど、ネヴィル卿。まずはバーナード本人に確認を取るのが筋なのではありませんか?」
「ハハッ、何をおっしゃいます、殿下。あの男が私の話を聞くはずがありませんでしょう。どうせ今も扉の前に立ったまま私を射殺すような眼で見ているのでは? ハハハッ、私は絶対に振り返りませんぞ。ですが殿下が一言ご命令になったなら、そして殿下の護衛に支障をきたさないならば、あの狂犬に否はないはずです」
護衛については譲らないという点まで把握しているとは、避けているわりに意外とバーナードのことをよく見ている。
わたしは感心しつつ、その案を採ることにした。