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32.フォワード家④


 意識を目の前の青年に戻す。


 レイティスは温和な表情を浮かべているけれど、それでも話を聞いた今となっては、彼の身を縛る罪の意識が透けて見えるようだった。


 彼がここまで率直に心情を明かしてくれたのは、わたしが兄と結婚を考える仲だと思っているからだ。


 兄は清廉な人物であり、王妹の婚約者として問題となるような傷はないのだと訴えたかったのだろう。わたしが未来の義姉になると思うからこそ、心を開き、赤裸々に話してくれたのだろう。その意図は十分に伝わってきている。


 つまりこれは誤解の上に成り立った打ち明け話なのだ。


 そう理解していながら踏み込むことには、多少の迷いはあった。


 しかし、わたしは王家の人間だ。

 この国と民を守ると誓いを立てた。

 目の前に傷つき打ちひしがれた民がいるなら、わたしがするべきことは傍観でも沈黙でもない。たとえこれがどれほど傲慢な振る舞いであったとしても、踏み込んで声をかけることだ。


 レイティスと、わたしは静かに呼びかけた。


「フォワード家はあなたを当主として円滑に回っているように見えますし、ギルベルトに戻る意志はないでしょう。それでもあなたはランティスに戻ってきてほしいと望むのですか?」


「私は兄が心を変えてくれたのだと思っています。殿下との将来のためには、当主の地位が必要になるでしょうから」


「いえ……、先ほどもいった通り、わたしの婚約者はあなたの兄君ではありません。将来を含めてもです」


 わたしは小さく嘆息しながらも、レイティスをじっと見つめた。


「辺境伯家当主となるために、長年努力をしてきたのでしょう? ギルベルトが功績を上げたといっても、それは西の砦でのこと。フォワード家を守り、南の国境を守ってきたのはあなたです、レイティス。その手で築き上げてきたものを、簡単に手放してしまって良いのですか?」


「簡単ではありませんっ」


 レイティスはとっさのように反論した。


 そして次の瞬間には、感情的になった己を恥じるようにうつむきながら、絞り出すような声でいった。


「ですが、これが正しいのです。私は当主の座をかすめ取ったようなものです。本当にふさわしいのが誰か、私はとうに知っていたのに。眼をそらし、耳をふさぎ、保身に走って、最後には兄を裏切りました。その償いをしなくてはなりません」


 わたしは沈黙し、冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。


 どう切り込むかを考える。

 わたしはただの小娘だけれど、同時に王家の権威を纏う者だ。その言葉に、他人を揺さぶる威力はある。


 ティーカップを置き、それから、ローテーブル近くの誰もいない空間を指さしていった。


「そこに十二歳の子供がいます。そうですね、髪の色は金、瞳の色は碧としましょう。どこにでもいる子供です。あなたにも見えますか?」


 突然なにをいい出したのかと、レイティスが困惑を露わにこちらを見る。

 

 わたしは彼の視線を無視して続けた。


「普通の優しい子供です。ただ、その子には手に負えない問題を抱えている。父親は不在で、母親は精神的に不安定。母親は兄を虐げる一方で、その子には優しい。その子は母親のことも兄のことも愛していて、愛しているからこそどうしていいのかわからない。やがてその子も疲れてしまって、兄を傷つける言葉を口にしてしまう。その子はずっとそれを後悔している」


 レイティスの表情がみるみるうちに強張っていく。


 わたしは彼に視線を戻して尋ねた。


「あなたは、そこにいるその子に、許さないといいますか? 必死で頑張っている十二歳の子供に?」


「殿下、私は───ッ!」


「これはあなたの話ではありません。金の髪に碧の瞳をした、そこにいるその子の話です。あなたなら、その子になんと声をかけますか? 罪を償えといいますか?」


 誰もいない空間を見つめるレイティスの唇が、声を発しようとしてはできずに震える。


 少し話をしただけでもわかる。彼は真っ当な人物だ。失言しただけの十二歳の子供を断罪しようとは思えない。それが自分自身でなければ。


 自分のことだから許せない。その心情は理解できる。


 わたしは静かに続けた。


「あなたのせいではありませんよ、レイティス。わたしはただの第三者ですが、だからこそいいましょう。あなたのせいではない」


 若葉色の瞳が大きく歪んだ。青年が喉を震わせて、あえぐように息を吐く。


「あなたは子供だった。あなたのお母様のことは、あなたにどうにかできる問題ではなかった。あなたの家で起きた悲劇は、あなたのせいではない」


「ですが……っ、私は兄に、取り返しのつかないことをいったのです……!」


「あのギルベルトが、愛する弟の失言を十年経っても咎め立てすると? わたしも彼と親しいわけではありませんけれど、そのような人物には見えませんよ」


「なら……っ、どうして帰ってきてくれないのですか? 私を恨んでいるからでしょう。私を許せないから、今もギルベルトと名乗り、ランティス・フォワードには戻ってくださらない……!」


 わたしは緩やかに首を横に振った。


「それは罪悪感があなたの眼を曇らせているのでしょう、レイティス。わたしの眼から見たなら、帰らない理由は明らかですよ。弟を守るためです。今さらランティスが現れたらフォワード家は揉めるでしょう。弟を当主として認めているからこそ、ギルベルトは一生その名に戻るつもりはない。わたしはそう思いますよ」


 レイティスの若葉色の瞳が、大きく見開かれた。


 やがてその眼が潤み、頬を一筋の雫を伝う。


 謁見室に、小さな嗚咽が零れた。




 ※




 一日の公務を終えて、ランプが照らす回廊を歩き、後宮の私室前まで来る。


 いつものように護衛の騎士たちに声をかけて、衛士が開けてくれた扉の内側へ入ろうとしたときだ。


「たまには花見でもしませんか、殿下」


 わたしが無言で見返すと、バーナードはいつも通りに不敵に笑ってみせた。


「月明かりの下で見る花もきれいなものでしょう。あなたと過ごす時間が欲しいんです。御身に恋い焦がれるこの男に、どうか慈悲を与えてくださいませんか?」


 彼にしては芝居がかった台詞だ。


 わたしは一瞬、王家の姫らしく微笑んで断ることを考えた。心配をかけてしまいましたか? 大丈夫ですよ。そんな風に柔らかい口調で告げようかと思ったけれど、結局は頷く。


 バーナード相手に大丈夫だといい張ったところで無駄なのだ。




 後宮の中庭では、白の冬薔薇が見ごろを迎えていた。


 木製の長椅子に、バーナードと二人並んで座る。


 バーナードは任務中と変わらない隊服姿だけど、わたしは何枚も着込んだ上に外套を纏っている。さらにその上から毛布を掛けられ、分厚い膝掛けもしている。この格好を余人に見られた日には、社交界でのあだ名が着ぶくれ姫だとかミノムシ姫だとかになるだろう。


 わたしは全身をモコモコとさせながら、ぼんやりと白薔薇を眺めた。


「綺麗ですねえ……」


「ええ。しかしどれほど見事な花であろうとも、我が姫の美しさにはかないません」


「先ほどからその大仰な口調は何なのですか?」


「おや、お気に召しませんでしたか。これは残念。ライアンに教わったとっておきの口説き文句だったのですが」


 思わずふふと笑いが零れた。


「教わる先はチェスターにした方がいいのではないでしょうか」


「あいつは駄目ですよ、殿下。チェスターにあるのはもっぱら『女性に誤解を与えない喋り方』です。常に争奪戦の対象になっているせいか、口説くための語彙はないんです。女性に関しては回避と撤退しかない男です」


 大真面目にいわれて、くすくすと笑ってしまう。


 それから、唇に笑みを滲ませたまま、彼のほうを向くことなく尋ねた。


「わたしは沈んで見えましたか?」


「いいえ。いつも通りでしたよ」


「それはあなた以外にはそう見えたという話ですか?」


「俺の眼が良いことは、殿下も評価してくださっているでしょう?」


 バーナードもまたこちらを見ない。


 わたしたちは揃って、月明かりの下で咲き誇る冬薔薇を眺めていた。






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