28.賭けの行方
ライアンが説明したところによると、負傷の経緯はこうだった。
エンリケが姉の荷物持ちとして花通りへ買い物に訪れていたところ、突然現れた男に「貴様だけは許さん!」と叫ばれて殴り掛かられた。とっさに避けたものの態勢を崩して手をついたときに手首をひねってしまい、医官の見立てでは全治二週間。
駆けつけた衛兵が事情聴取したところ、犯人の男はなんと騎士団の人間で、理由は頑なに話さないものの「騎士団に迷惑をかける気はない。すでに辞表を同僚へ預けてある」とまでいう。
衛兵が困り果てていたところに、犯人の妹が駆けつけてきた。そして真っ青な顔でエンリケに平謝り。
事情を尋ねると、彼女は王宮勤めの下級官吏で、兄からしつこく騎士団の同僚との見合いを勧められて辟易し、すでに恋人がいると嘘をついた。その相手に選んだのがエンリケだ。ときおり王立図書館で顔を合わせて、挨拶やたわいない世間話を交わすだけの間柄だったけれど、彼女はずっと片想いを胸に秘めていた。だからとっさに、架空の恋人に彼を当てはめてしまった。兄が引き下がってくれたらそれでよかった。
しかし、兄のほうといえば、何ヶ月待っても相手の男が挨拶に来る様子がない。相手の男はあの高慢ちきな近衛隊の一員で、騎士団にとっては憎き第四の騎士で、五男とはいえ男爵家の人間だという。こちらは実家が小金持ちなだけの平民だ。もしかして、本気になっているのは妹だけで、相手の男は遊びのつもりなのではないかと密かに気を揉んでいたところ、騎士団の同僚から聞いたのだという。
あの近衛隊の第四の騎士が、金髪の美人と仲睦まじく過ごしているのを見かけたと。独身だと聞いていたけれど、婚約者がいたんだなと。
妹は赤毛だ。兄はカッと頭に血が上り、騎士団の馬を頼み込んで借りると、同僚から聞いた場所へ駆けていった。とはいえ花通りは広い。買い物客で賑わっており、時間もすでに経過している。見つかるはずもないかと一度は冷えかけた頭で、それでも未練がましく、以前同僚から女性に人気だと聞いたカフェを探したところ、見つけたのは、テラス席で金髪の美人と親しそうにしている男の姿だった。同僚のいったことは本当だったのだと思い込み、兄はこぶしを振り上げた───。
「待ってください、ライアン。その同僚というのは、まさか……」
「例の殿下の狂信者っスよ! 清廉の騎士ギルベルト!」
うわ、と、引いた声を漏らしたのはチェスターだった。
気持ちはわかる。昨日の今日でこれなのか。動くのが早い。事前に集めていた手札を、状況に応じて切っているというところか。
バーナードを確実に御前試合に出させるために、すでに決まっていた第四の騎士を落としに来るとは、信じられない。頭が痛い。どうしてそう嫌な方向に有能なのだろう、彼は。
「あ、でも、この話には続きがあってですね。なんと、エンリケのほうも、その妹さんにずっと片想いしていたそうなんスよ」
だから、事情が判明した後、エンリケは真っ先に彼女に告げた。
『どうかもう謝らないでください。御前試合にはすでに一度出させていただきました。次はほかの騎士にという神の思し召しでしょう。私は、偽りであっても、あなたの恋人になれたことを嬉しく思います。あなたさえよかったら、どうか本物の恋人にしていただけませんか?』と……。
「その妹さんって、柔らかそうな赤毛の可愛い子なんスよ~! エンリケのやつ、上手いことやりましたよね! 兄貴のほうも真相を聞いたら真っ青になって床に頭をつける勢いで謝ったらしいですし、結局はエンリケが取りなして、事件扱いにはならずに済みそうだって話です」
「殴り掛かられたのは普通に災難だと思うが……、まあ結果を見たら丸く収まったといえるのか。ギルベルトなら、そこまで知った上で動いていそうですね」
チェスターがげんなりとした口調でいう。
わたしも嘆息した。
「第二の花咲かせのデントになるつもりでしょうか、彼は」
「愛の花というより、なにかどす黒い花が咲きそうですが……」
わたしとチェスターは、そろってはあと息を吐き出す。
それから、四つの眼でじっとバーナードを見つめた。
最強の近衛騎士は、嫌そうな顔をしていった。
「御前試合には出ませんよ、俺は」
「わたしとしてもギルベルトの思い通りになるのは癪ですけれど、これは誤解を解く絶好の機会ではないでしょうか?」
「そうですよ、隊長。闇討ちなどよりはるかに真っ当な手段です」
バーナードは、ため息を一つつき、それからわたしを見据えていった。
「俺とて、あの男に思い知らせてやりたいと考えなかったといえば嘘になります。ですが、殿下。ギルベルトが何を誤解し、何を仕掛けてこようと、俺にとって最優先事項はあなたをお守りすることです。何があろうと、その優先順位が変わることはありません。闘技場のような狙いやすい場所で、チェスターもいないというのに、俺があなたの傍を離れることはあり得ませんよ」
ぐうの音も出ない正論である。
しかし、三つの誤解のうち、最も簡単に解けるだろうものが、バーナードの実力についてなのだ。
わたしの近衛隊隊長をどう説得しようかと頭を悩ませたとき、隣室につながっている方のドアがノックされた。
隣室で働いているのはわたしの補佐官たちだ。入るようにいると、わたしの筆頭補佐官がやってきて、ある人物が王都へやって来たことを知らせてくれる。
その内容に、思わず微笑んだ。
「どうやらわたしは賭けに勝ったようです」
謁見予定者の名簿にあるとおりに、明日、王宮へ来るように伝えてくださいといえば、筆頭補佐官は心得顔で頷いた。
バーナードが愉快そうに笑い、チェスターが賛辞の言葉を口にする。
わたしは思考を巡らせながらも、呟くようにいった。
「さて、これが形勢逆転のための一手となると良いのですけど」
※
わたしの謁見のための部屋は、王宮に三室ある。
これは儀礼にこだわるご老体方の批判をかわしつつ、いかに効率よく謁見を行うかを考えた結果だ。
謁見の際、すでにわたしが室内にいる場合は、目通りを願った人物の名前が高らかに読み上げられるところから始まり、その人物もまた扉のところで一通りの格式ばった口上を述べてから、わたしの許しを得て入室しする。
さらに格式ばった挨拶を美辞麗句を織り交ぜてとくとくと語り、わたしの許しを得て着席し……という大変に時間のかかるものになってしまう。効率よく用件だけを聞きたいとは思うものの、儀礼や手順をおろそかにするとそれはそれで外野が厄介だ。
補佐官たちに相談したところ、先に座っていてもらえばいいのではないか? という名案によって増やされたのが小謁見室である。来客には先に部屋で座って待っていてもらい、わたしは三部屋を順繰りに回っていく。王妹が相手を待たせる分には問題はない。
まあ、まったく何もいわれないわけではないけれど、目くじらを立てられるほどではない。ちなみにこれはわたしがあくまで王妹であり王の補佐官だから使える手段だ。お兄様は三室の小謁見室を羨ましがっていたけれど、さすがに国王陛下の立場でこんな真似はできない。
その人物は、午前中の謁見予定者名簿の五番目に名前が載っていた。
わたしが護衛騎士を伴って室内に入ると、彼はサッと立ち上がる。
銀の髪に、若葉色の瞳。同じ色でも印象は随分と違って見える。おそらく彼は“凍り付いた”という形容詞を持つことはないだろう。戸惑いと恐れに揺れ動く心がそのまま、彼の瞳に映っている。
先代辺境伯の第二子にしてフォワード家現当主、レイティス・フォワード。
ランティスの───ギルベルトの弟だ。
わたしは彼に着席を促し、自分も相向かいのソファに腰を下ろした。
南の国境を守る辺境伯三家のうちの一つ、フォワード家。
王都とは距離があり、早馬を出しても御前試合までには到底間に合わない。
だからこれは賭けだった。