27.狂戦士と狂信者
いつも読んでくださってありがとうございます。
感想やいいね、活動報告へのお言葉もとても嬉しかったです。ありがとうございます。
ここから起承転結の転が始まります。
またお付き合いいただけたら嬉しいです。
ギルベルトが去った後、わたしたちは再び大広間に戻り、本来の目的である噂を広めるための交流に励んだ。
仮面舞踏会が閉幕となった後は、後宮の私室に帰り、サーシャの手を借りてドレスを脱ぎながら事の顛末を話した。
すると、夜着に着替えたわたしの前で、筆頭侍女は頭を抱えてしまった。
「姫様の狂信者ですか……、『貴女が俺の神』と……、神ですか……!」
わたし自身も『神様扱いはないですよね』とたそがれていたものの、自分より動揺の激しい相手を見ると落ち着きを取り戻すものだ。
サーシャはギルベルトに妙な期待を抱いていたようだし、ここはわたしが慰めてあげよう。そしてバーナードこそ唯一無二の婚約者だと認めさせましょう……と企んでいたら、わたしの母親代わりでもある彼女は、目元をハンカチで覆ってわっと泣き崩れるようにいった。
「どうしてまたそんなおかしな男ばかり……! 姫様ほどの御方なら、本来、求婚者が列をなしているはずですのに……! 山のような求婚者の中から、これぞという男性を選んで夫になさるはずでしたのに!」
「そんなことを考えていたのですか?」
「姫様の夫となる男性ならば、誠実な人柄は備えていて当然、身分に地位に実力、見目の良さに包容力、そしてなにより姫様への深い愛情を抱いている、そんな男性をより取り見取りの中から選ばれるはずでしたのに!」
「まあ、サーシャ。バーナードはその条件にぴったりではありませんか」
「長年苦労してこられた姫様が、今度こそ心穏やかで幸福な日々を得られることを、このサーシャ、心から願っておりました……!」
わたしの相槌が聞こえなかった振りで、長年の侍女はハンカチを目元に当てて切々と続けた。
「あの夜会での凶行事件があった後も、わたくしは信じておりました。天におわす大いなる神は、この国を守ろうと奔走された姫様の献身を、しかとご覧になっているはずだと。ならばきっと、この試練を乗り越えて姫様にふさわしい求婚者が現れるはずだと信じておりました」
サーシャはそこでハンカチを下ろすと、凄味のある声でいった。
「だというのに、現れたのは、極端に偏ったろくでもない男二人……! 天は寝ぼけているのでしょうか!? 真っ当で普通な好青年はどこにいるのです!? これほど聡明で輝かしい姫様の元に、どうしてこう、おかしな男ばかり寄ってくるのか……!」
筆頭侍女が両手をわなわなと震わせて、心底忌々しいという口調でいう。迫力のある形相は、殺気すら感じさせた。
わたしはやや怯みながらも、彼女が忘れてしまっていることを思い出させようと明るく告げた。
「まあまあ、落ち着いてください、サーシャ。何も心配はいりませんよ。わたしの素晴らしい婚約者なら、すでに決まっているではありませんか」
「姫様、今からでも遅くはありません。わたくしも伝手を総動員してルーゼン家に働きかけますから、チェスターで手を打つというのは……!」
「次にそれをいったら本気で怒りますからね」
※
翌日の朝食の席では、お兄様にも「神……、神か……、神……! いやそれでも私は狂戦士よりは狂信者のほうが」などといわれて少しばかり冷たい目になった後のこと、公務の予定も一通り終えた夕暮れである。
わたしは、バーナードと、公開訓練帰りのチェスターの三人で、再びの作戦会議を開いていた。
ローテーブルの上には三人分の紅茶が用意されていて、ほのかな香りが室内に漂う。
「それにしても、困りましたね」
ティーカップを手に取りながら、わたしはため息をついた。
「ギルベルトの目的が、まさかわたしの婚約解消だったとは……」
王家への謀略か、あるいはこのディセンティ王国そのものに対する謀か? と推測していたこともあって、公人のわたしとしては拍子抜けした感覚がある。そんなことで王都中の噂を手中に収めないでほしいと思う。その優れた手腕は、もっと別のことに活かしてほしい。
しかしその一方で、私人のわたしとしては、決して負けられない戦いを前にした心境だ。婚約解消なんてしませんからね!
チェスターもまた深く頷いていった。
「まずは、ギルベルトの隊長に対する偏見と誤解を取り除く必要があるでしょうが、殿下のお言葉も聞かない様子でしたからね」
ティーカップをローテーブルに置き、どうしたものかと嘆息する。
チェスターは隣に座るバーナードへ視線を向けていった。
「殿下から伺ったお話を纏めると、ギルベルトの誤解はおおよそ三つです。一つ目、隊長は殿下を騙している。隊長の本性は他者を束縛し抑圧し、己の支配下に置くことで優越感に浸るようなおぞましい人間性であり、今は殿下に対して外面よく過ごしているだけだと」
「そのようなことをいっていましたね……」
あれは恐らくは……、ギルベルトの知る誰かをバーナードに重ねてしまっているのだろう。
ギルベルトが真実見ているのはバーナードではない。バーナードを通して、別の誰かを見ている。おそらくは過去に彼を苦しめた誰かを。
そう察しつつも、わたしは頭痛に耐えるようにひたいに手をやった。
誤解の方向性が酷い。本来のバーナードの姿と真逆である。
チェスターは自分の上司をしげしげと眺めて「どこをどう見たら、隊長の外面がいいなんて誤解ができるんでしょうかね? 隊長が外面だけでもよくしていてくれたら、俺の苦労は大幅に減っているはずなのに」とぼやいてから続けた。
「二つ目。隊長が最強の騎士であるというのは国防のために殿下が創りあげた虚像であり、実際はギルベルトでも倒せる程度の腕前である。ははっ。……いえ、笑ってはいけないんでしょうが、隊長がそんな普通の人間だったら、俺の苦労も減っていたはずなのになと思わずにはいられず」
「彼なりに常識の範疇で解釈した結果なのでしょうけど……。あの誤解は、ギルベルト自身が情報戦に長けているがゆえでしょうか」
「それに加えて、あの男は恐らく、形なきものを信じることも恐れることもない性質なのではないでしょうか? 徹底して冷静で冷徹とでもいいますか。暗闇に怯えることもなく、神も呪いも信じないのでしょう」
そこまでいってから、チェスターは気まずそうに眼を泳がせつつも、こちらを向いた。
「ただし、信仰心はある。少なくともギルベルトにとっては、殿下こそが実在する神であると。これが三つ目の誤解ですね」
わたしとチェスターは、まるで測ったようなタイミングで、同時にため息を吐き出した。
「なにがどうしてそうなったのかは知りませんが……、神とまでいうのなら、わたしのいうことを信じてくれてもいいと思いませんか」
わたしが少々やさぐれた気分で呟くと、チェスターも嘆息して答えた。
「あの男からすると『立場上、殿下は否定するしかない』らしいですから、どれほど思い込みを否定しようとしても、言葉では難しいでしょうね……」
バーナードだけが悠然とした態度を崩さずにいった。
「ここは簡潔に、ギルベルトを闇討ちでもしますか」
「あんたは歩く俺の苦労増幅器か何かですか?」
「俺が噂通りの『人の皮を被った呪いの魔剣』だとわかったら、少なくとも二つ目の誤解は解けるだろう。これが一番手っ取り早い」
「御前試合を前にして近衛隊隊長が騎士団の英雄を闇討ちすることのどこか手っ取り早いのか俺には到底わかりかねますね、はっはっは」
チェスターの怒りに満ちた笑い声が室内に響いたときだ。
執務室の扉が遠慮がちにノックされる。入室を許可すると、見張りの衛士が申し訳なさそうにいった。
「殿下、お取込み中のところ申し訳ございません。近衛隊の者が、至急殿下にお目にかかりたいと押しかけてきておりまして」
「どうぞ、通して構いませんよ」
バーナードとチェスターが怪訝な顔で振り向く中、駆けこむように入ってきたのはライアンだった。
「大変っスよ、殿下。総隊のエンリケが負傷して全治二週間、御前試合への出場は絶望的だそうです!」
わたしは思わず、バーナードとチェスターと三人で顔を見合わせた。
近衛隊総隊所属のエンリケは、去年の御前試合で奮闘した第四の騎士だ。
今年はギルベルトの対戦相手になるはずの青年だった。