7.書庫会議(後)
わたしたちの存在に気づかれることなく、会話は続いた。
「あたしはああいう、キラキラ系はダメだわ。全然ピンとこない。もっとこう、男の色気を感じるタイプが好きなんだよね。その点、あの隊長は好みのど真ん中にきてる。尋常じゃなく強いって評判なのもいいわ」
「わたしはどっちもイケるかな。でも、ベッドに誘ってほしいのは、狂犬隊長のほうだわ」
「二人とも信じられない。チェスター様が一番格好良いに決まってるじゃない。王宮内には、チェスター様をお慕いする会だってあるんだから。わたしも入ってるの」
「は? 待って、なに、その会」
「あんたも入ってるの!?」
「もちろん。ちなみに、いま入会したら、無料でチェスター様の肖像画を貰えるんだよ。だから、二人を誘ってあげようと思ったのに」
大丈夫なんだろうか、その会。詐欺とかじゃないんだろうか。
心配になってきたわたしの眼の前では、チェスターが死にそうになっていた。
『チェスター様をお慕いする会』に入っている女性のいう通り、チェスターは端正な顔立ちをしている。
真の王子様であるお兄様を長年見ているわたしでも、チェスターが王子様と呼ばれるのは納得だ。金色の髪も含めて、全体的に光を放っているような美貌である。
わたしの護衛として、近衛隊の礼装を纏って出席した夜会でさえ、令嬢方からダンスの誘いがひっきりなしにある。彼は穏便に断っているけれど、その姿さえ優しげで爽やかだ。
もっとも、わたしにとっては、バーナードに振り回されて涙目になっている姿のほうが、馴染み深い。
チェスターは、わたしの近衛隊では最古参なので、バーナードとは、彼がわたしの騎士になったときからの付き合いだ。
身分でいうなら平民出身であるバーナード相手に、公爵家の三男であるチェスターは、見下すことも、蔑むこともなく、ただ、毎日のように悲鳴を上げて、振り回されていた。
『殺すなあああ!!! 剣に訴えるな!!! 平和的解決を図ることもいい加減覚えてくれえええ!!! ─── はっ? 全員殺せば平和になる!? それは平和的解決っていわないんだよおおおおおお!!! 姫! こいつを止めてください姫! 微笑ましそうな目で見てないで!! なんでこんなの拾っちゃったんですか!? 何なんですかこいつ!? 殺人人形に命が宿った少年かなにかですか!?』
……そう叫んでいた頃を思い出すほどに、今のチェスターは死にそうだ。頬の色が、青を通り越して土気色である。
近年のチェスターは、バーナードの言動にだいぶ慣れていて、お兄様ですら一瞬「チェスターならお前の夫も務まるのでは……、いや、駄目だな、ルーゼン公爵家が反乱を起こしてしまう……」と呟いていたことがあるくらいだったのに。
一方で、最年少のコリンは、両手で口を抑えて、笑い出すのを必死に耐えていた。その瞳は、獲物を見つけた猫のように輝いている。これは多分、あとで言いふらそうと思っている顔だ。
わたしたちの反応など知ることもなく、お喋りは続いた。
「赤の他人の肖像画なんて、タダでもいらないわよ。むしろ怖いんだけど。勝手になにを作ってるのよ、その会」
「王宮って、たまに変な会があるよね。……でもさあ、ルーゼン公爵家の三男が、アメリア殿下の近衛隊副隊長っていうのは、どうせ先を見据えての配属でしょ? 実質、婚約してるようなものじゃない?」
「そんなことない! アメリア殿下は、縁談が来ないって噂だもの! 殿下って、王妹なのに、一件も縁談が来てないらしいわよ。ほら、あの狂犬隊長が暴れたせいよ。でも、殿下も悪いと思うわ。夜会で人を切り殺すような、危ない人をクビにしないんだもの。だから、ルーゼン公爵家だって、殿下とチェスター様をどうこうなんて、考えていないはずよ。それに……、チェスター様は、昔、婚約者に裏切られて以来、ずっと、浮いた噂一つないの。清廉な方なのよ」
チェスターは、がばっとその場に膝をついて、頭を下げた。
わたしは、身を屈めて、彼の肩をぽんと叩いた。
チェスターが顔を上げる。わたしたちは、傷ついた者同士、眼と眼で通じ合った。
『あなたは何も悪くないわ……』
『殿下……、感謝します……。今日、隊長がいなくて本当によかった……、隊長がいたら、俺は死んでました……』
ちなみに、チェスターが婚約者に裏切られたという話は事実だ。まだお兄様の即位前のことだった。
わたしの近衛隊として、国内を飛び回っていたチェスターが、数年ぶりに王都へ戻ったら、婚約者のお腹は大きくなっていたのだ。
あなたが反乱軍との戦いで戦死したかと思って……と、婚約者に泣かれたチェスターは、「俺のほうが泣きたいですよ」といいながらも、円満に婚約を解消するために両家を説き伏せていた。親同士が決めた婚約ではあったけれど、チェスターは本気で彼女が好きだったのだ。だから、裏切られてもなお、彼女の幸せを願った。彼は心優しく、愛情深い青年なのだ。
さすがに、このときばかりは、バーナードも酒に付き合ってあげたらしい。飲み過ぎたとかで、チェスターは二日酔いで死にそうになっていた。バーナードはけろっとしていた。
「ま、隊長にしろ副隊長にしろ、あたしたちが付き合えるような男じゃないわよ。あんたも、入れ込むのはほどほどにしておいたほうがいいって」
「でも……、一夜のお付き合いならありだと思わない? あぁ、公爵家の三男じゃなくて、狂犬隊長のほうよ。だって、知ってる? エリーナは、あの隊長と、……寝たことあるって」
「うっそお!?」
「えええっ!? ほっ、本当なの、それ!?」
「あの子、相当いい性格してるけど、嘘はつかないわよ」
「だって、エリーナって、陛下の愛妾目指してるんじゃなかったの!?」
「あれはさすがに冗談でしょ、もっと手頃な玉の輿狙いだって聞いたわよ!」
「エリーナがいうには、例の隊長を、酒場で偶然見かけて、声をかけたら、誘いに乗ってきたんだって……!」
きゃあああっという悲鳴と歓声が入り混じった声が、遠くで聞こえる。
チェスターとコリンは、今度はそろって青ざめた顔をして、しきりに床を見ていた。
わたしは、自制心のたまものによる微笑みを浮かべていた。
バーナードが、休日に、どこで、だれと、何をしようと、彼の自由だ。わたしが口出しできることじゃない。わかっている。わたしはただ、彼の上司にすぎないのだ。
「そっか~。夢のある話を聞いたわ。あれだけ顔と身体がいい男なら、一夜限りでも自慢になるもんね。あの狂犬隊長、いい噂は聞かないけど、顔と身体だけは最高だもの」
「まあ、相手がエリーナだからってのもあるだろうけどね。彼女、今の部署では魔性の女とかいわれてるらしいし。わたしが男でも、エリーナのあの、たわわなおっぱいを見せられたら、誘いに乗るわよ」
「ちょっと、やめてよ。王宮でおっぱいとかいわないでちょうだい」
「誰も聞いてないって。こんなかび臭い書庫にいるのは、せいぜいネズミくらいなものでしょ」
「あ、これだわ。あったわよ、目録」
「よかった。早く出ましょ。わたし、ネズミは大嫌いなの」
ネズミが好きな人間のほうがレアでしょ、などと笑い合いながら、彼女たちが書庫から出て行く。
残されたわたしたちの間には、沈黙だけがあった。
わたしを含めて、三人とも、そろって床を見つめている。もはや誰も何も言えない。
わかっていたからこそ、わたしは、上に立つ者として、必死に顔を上げた。
「 ─── わたしたちは、何も聞きませんでした。いいですね、チェスター、コリン?」
二人とも、深く深く頷いた。
※
その日の晩、わたしは、姿見の前に立って、自分自身を見つめなおしていた。
今まであまり気にしたことはなかったけれど、改めてみると、なんということだろう。
たわわどころか、ささやかすぎる。
ドレスを脱いで、夜着をまとうと、非常に、上から下まで直線に近い。すとんとしている。
……べつに、バーナードと、どうにかなりたいとは思っていない。
それは本心だ。王族であるわたしには、一夜限りの関係だって問題がある。
だけど、彼がたわわ派だと知った後には、無性に、悔しかった。
翌日、わたしは、長年の侍女であるサーシャに、それとなく、胸を増量する方法について尋ねた。
すると、サーシャは、まあと喜びの声を上げて、
「姫様も、そのようなことをお気になさる年頃になられたのですね。子供の頃から、権力争いの話ばかりされていた姫様が……、兄君をいかにお支えするか以外のことについて、わたしに尋ねられるなんて……、サーシャは嬉しゅうございます」
と、涙ぐんだ。
そんな風にいわれると、まるでわたしが変わり者の姫のようだけど、単に、生まれ育った環境が悪かっただけだと思う。
お父様は国を荒らし、お母様は離宮に引きこもった。お兄様だけが頼りで、そのお兄様だって、いつ『事故死』にされてもおかしくない、綱渡りの状況だったのだ。わたしと同じ環境に生まれたら、誰だって、貴族間のパワーバランスばかり気にする子供に育つと思う。
少しばかり憮然としていたわたしに、サーシャは、にこにこと、新しい下着を用意してくれた。
底上げができるタイプのものだ。わたしは沈黙した。求めていたものはこれではない。自然派を希望しているので、育てる方向でお願いしたい。最初から育成を諦めないでほしい。
わたしがそう、やんわりと伝えると、サーシャは、眉間にしわを寄せたのちに「かしこまりました。結果が出るまでには、時間がかかると思いますが、良いストレッチなどもあると聞きます……! 必ずしも結果が伴うとは限りませんが……!」と、絞り出すような声でいった。
それほど手遅れなのかしら……と、遠い眼になりつつも、わたしはその日から、ストレッチを始めた。
結果として、二の腕が引き締まり、バーナードには「殿下、こっそり腕立て伏せでもしてるんですか? そんなことをしても、剣は教えませんよ?」といわれた。
ちょっと腹立たしかった。