25.ギルベルトの真意②
雪のような淡い色の花弁が、ランタンの灯りに滲んで橙色に染まっている。
冬薔薇は、冬の終わりに咲く花だ。
未だ寒さの残るこの季節、夜の庭園は人の気配もなく静かなものだった。
石造りの長椅子は横一列に並び、椅子と椅子との間隔は広く取られている。
右から数えて一つ目の長椅子にはチェスターとコリン、五つ目にバーナードとライアンがそれぞれ腰を下ろしていた。
あからさまに監視だとわかる態勢は取らずに、庭を観賞している風を装ってくださいと命じたのはわたしだ。なにも知らない人間が見たら、そしてここが夜の庭でなかったら、無関係の三組の人々がそれぞれ白薔薇を愛でているようにしか見えないだろう。
わたしは、三つ目となる中央の長椅子に座り、客人を待っていた。
やがて足音もなく、その青年は現れた。
薄氷の海を思わせるような薄青のロングコートを、銀の刺繍が厳かに彩る。おそらく彼の装いは、冬の神が従える獣のうち、最も獰猛と恐れられる銀狼がモチーフだろう。
仮面で目元を隠しているけれど、改めて見ると確かに、評判通りの整った容姿をしている。チェスターにも負けていない美貌だと話していたのはライアンだっただろうか。わたしは胸の内で力強く否定した。
───チェスターのほうが格好いいですし、バーナードはもっと、はるかに、比べ物にならないほどの美形ですね。
「悪戯な光の妖精よ、美しい貴女の隣にお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ、獰猛な銀の狼。今夜は素敵な夜ですもの。話し相手が欲しかったところです」
光栄ですと微笑んで、ギルベルトが隣に腰を下ろす。
隣といっても、わたしとは人二人分ほどの間隔が開いている。
「この庭の白薔薇は美しいわ。冬の神も気に入ることでしょう」
「ええ、雪原のような白さです。私としては、白百合の季節が待ち遠しくも感じますが」
白百合は王家の家紋だ。今さら世辞のつもりだろうかと思いながら、軽く笑ってみせる。
「まあ、銀狼がそのようなことをおっしゃっては、冬の神が機嫌を損ねてしまいますよ? ───それとも、心変わりでもされましたか? ほかに信じる方がいらっしゃるのでしょうか?」
ギルベルトが沈黙する。
わたしは隣を向き、彼に柔らかく微笑みかけた。
「そうだとしても、わたしはあなたを責めたりはしませんよ。あなたの功績は素晴らしいものですもの。あなたのされることには、きっと深い意味があるのでしょう? あなたが称えられるべき方だということを、わたしはよく知っています。たとえ誰が理解しなくとも、わたしは知っていますよ。あなたは誰よりも素晴らしく、偉大な方です」
寛大に穏やかに、密やかに笑ってみせる。───敵の油断を誘い、その足をすくうために。
「よかったら、わたしも手伝わせてくれませんか? 望みをおっしゃってくださいな。わたしはあなたのような英雄の助けになりたいのです」
ギルベルトはしばしの沈黙の末に立ち上がり、わたしに向き直ると、おもむろに自らの仮面を取った。
そしてそのまま、地面に片膝をついて首を垂れる。
「非礼をお許しください。この場にそぐわない振る舞いではありますが、今ここで申し上げる言葉に嘘偽りはないことの証として、俺はただのギルベルトに戻ります」
「……いいでしょう。わたしは光の妖精ですけれど、人の子の訴えを聞くのもまた、わたしの役目ですからね」
苛烈な若葉色の瞳が、薄闇を貫くように、わたしをまっすぐに見上げた。
「俺は聖教会の手の者ではありません。連中と取引関係にあったことは、確かに、両の指では足りないほどあります。今回も仕事を頼まなかったとはいいません。ですが、フェノル教の神など信じていませんし、王家に対する敵意もありません」
「……この状況で、あなたの言葉をただ信じろというのは、難しいことだと思いませんか」
「俺の行動で、殿下が不快な思いをされるだろうことはわかっていました。ですが、聖教会の手下だと誤解されるとは思っておらず……、俺の手落ちです」
仮面のない素顔は、心底申し訳なく思っているように見えた。
わたしはつい、眉間にしわを寄せながら尋ねた。
「あなたは何がしたいのですか、ギルベルト」
王家に敵意がないといいながら、王妹の婚約者を貶めるために外堀を埋めるような真似をして、いったい何が目的なのか。
「……これから申し上げることは、殿下のお立場では否定するしかないことでしょう。それを承知の上で、いわせていただきます」
ギルベルトはわずかに視線を横へ向けた。
バーナードがいる方向へ一瞥をくれて、彼は敵意を露わにいう。
「あの男は危険です。今は大人しいふりをしていても、いずれ必ず殿下へ牙をむきます。どうか婚約についてはご再考を」
「あなたは……、バーナードとの間になにかあったのですか?」
「……俺は、ああいう人間を知っています」
その一瞬、ギルベルトの瞳に浮かんだのは、愛とも憎悪ともつかない仄暗い色だった。血が滴るような痛みが、その眼に滲んで見えた。
「あの男は今は、礼儀正しく振舞っているのでしょう。殿下への愛を誓い、誠実な言葉を口にし、貴女の信頼に足る人間であると示しているのでしょう。ですが、家庭とは一種の檻です。外からではわからないもの。檻の中へ入ってしてしまえば、あの男は貴女のためといって貴女を縛ろうとする。自由を奪い、己の支配下に置こうとする。貴女が戦うことを許さず、反抗の意志すら圧し潰そうとする。己の欲のために、貴女が無力であることを望むでしょう。あれはそういう人間です」
「ギルベルト、あなたは───、誰を見ているのですか?」
とっさに言葉が口を突いて出た。それは確証のない直感だった。
バーナードの話ではないでしょう? と、そう言外に問えば、彼は少し困ったような顔をした。
「似たような経験があるからわかるとだけ、いわせてください」
「あなたが既婚者だと? いえ、違いますね、それは───」
十歳まで病弱だった辺境伯家の長男。たったそれだけで後継者から外された子供。
その瞬間脳裏に閃いたのは、根拠のない推測であり、奇妙なほどの確信だった。
「それは、あなたのお父様があなたにした仕打ちですか? あるいは、あなたのお母様が? あなたが家を出た理由はそれですか、ランティス?」