24.ギルベルトの真意①
数曲踊ってから、二人で壁際へと移動する。
大広間の中央はダンスを楽しむ人々の場となっている一方で、壁際には休憩や歓談、飲食のための席が用意されていた。そちらにも古神話にちなんだ色合いのランプや逸話のある花々、春告げ鳥をかたどったのだろう小物などが飾られていて、リットン卿のこだわりが感じられる。
わたしたちは深緑色のソファに腰を下ろした。
王宮の夜会なら歩いている途中でも大勢に話しかけられ、挨拶を交わし、交流を深めるところだけれど、この仮面舞踏会ではまだ誰も近寄ってこない。
おそらく、突然王妹が現れた理由がわからないため、下手な真似をして不興を買ってしまったらという不安が二の足を踏ませているのだろう。王家の姫という身分は、リットン卿の舞踏会においては高位すぎるのだ。
さて、どこから攻め込もうか。誰から話しかけようか。噂を広めてもらうには、庶民層へ顔が利いてお喋り好きな人物が好ましいだろう。
思案しながら、途中でもらったグラスに口をつけて、喉を潤す。
そして、グラスをサイドテーブルへ置くと、そろりそろりと隣のバーナードにしなだれかかった。
ちらっと上目遣いに彼を見ると、こげ茶色の瞳は異常事態を発見したといわんばかりにわたしを見つめていた。
「殿下、酒でも飲みましたか?」
「あなたが薬草酒すら取り上げたのではありませんか」
むっと唇を尖らせる。
こだわりの強いリットン卿は、ゼムル修道院に依頼して、今夜のために新作の薬草酒を用意してもらったのだという。
それならわたしもぜひ飲んでみたいと思ったのに、バーナードが頑として許さなかった。彼が思っているほど、わたしは酒に弱くない……はずだ。
おかげでわたしのもとへ差し出されたグラスは果実水だけだ。給仕にもそう根回しされている。
しかし、薬草酒を盤に乗せた給仕が、人々の隙間を縫うようにしてこちらへやって来た。給仕も仮面で顔を隠しているけれど、正体はすぐにわかる。
「特別な薬草酒はいかがですか? 悪戯な光の妖精に、死者の国の王よ」
そう盤に乗ったグラスを恭しく差し出しながら、給仕───ライアンが小声で囁いた。
「殿下、副隊長から伝言です。ギルベルトが来ていると」
一瞬、息を呑んだ。
そしてすぐさま何事もなかったかのように微笑む。
グラスを手に取ろうか迷っているそぶりをしながら、眼だけで続きを促す。ライアンもまたにこやかな表情を保っていった。
「リットン卿が酒の礼にゼムル修道院長を招待していたんですが、その男が知人として連れてきました。二人とも別室にお通しして、今は副隊長が対応してます。どうも、あちらさんも殿下が来ているとは知らなかったみたいっスね。修道院長は泡を食った様子で、知り合いに有名な騎士を紹介されたから話のネタになると思って連れてきただけだと、必死に無関係を主張してました」
「本人の様子は?」
「そっちも殿下がいるとは思わなかったみたいっス。副隊長に殿下の存在を匂わされたらマジで驚いた顔をしてましたし、抵抗とかもなくて、大人しく帰るつもりみたいっスよ」
このまま帰していいかどうか、殿下の判断を仰ぎたい。それがチェスターからの伝言だと聞いて、わたしは顔には出さないまま考え込んだ。
やはりギルベルトは聖教会と繋がっているのだろうか?
現長官の企みではないとしても、教会内部のほかの派閥の者たちと関わっている可能性はある。この仮面舞踏会で鉢合わせたということは、ギルベルトもまたこの場で噂を誘導しようと企んでいたということだろう。これほどバーナードの評判を下げることに熱心なのだから、王妹の婚約解消も目的の一つなのかもしれない。あの決闘騒ぎはただのパフォーマンスではなく、本気で自分が新たな婚約者に名乗りを上げるつもりだったのだろうか。聖教会の息のかかった人間を王家に送り込みたいという企みか。
だけど、現長官でなくても、今の教会幹部ならバーナードの実力は知っているはずだ。評判を下げたくらいで婚約解消が行われると思っているなら、見込みが甘すぎる。
これがたとえば、バーナードではなくチェスターがわたしの婚約者だったなら、婚約にも影響は出ているだろう。大貴族の令息と王家の姫の結びつきであったなら、令息の素行不良は問題視されるところであるし、隙を見せた途端にほかの有力者たちが突いてくるに決まっている。
けれど、わたしとバーナードの婚約は、そういった類のものではない。
大前提として、彼一人が一万の軍勢にも匹敵するといわれるほどの実力があり、いわばバーナード個人が強大な軍事力であるからこそ、わたしのもとへ政治的な縁談さえ来なかったのだ。そしてわたしは結婚しなくてはいけない事情があった。今となってはそれらの経緯すべてに心から感謝しているけれど、つまるところ、バーナードにいくら悪評が立とうとも、わたしたちの婚約には影響しないのである。
もちろん、バーナードが悪評通りの振る舞いをしていたなら、お兄様は即刻破談させようとするだろうけれど、彼がいつもわたしを守ってくれていることは、お兄様も青筋を立てながらも認めるところだ。
わたしは軽く息をついた。
いくら考えたところで、憶測の域を出ない。このままでは真実にはたどり着けないだろう。ギルベルトの動機がわからなくては、こちらも対応を見誤ってしまう。
それならば、せっかくの機会だ。
盤上のグラスを取って囁く。
「チェスターに伝えてください。彼と二人で話がしたいと」
ライアンは頬を引きつらせて、わずかにわたしの隣へ視線を向けた。
けれど、結局は何も口に出すことはなく、ただ頷いて立ち去った。
わたしはじっと上目遣いで、譲る気のない意志を持って、隣に座る婚約者を見つめる。
バーナードは、予想通り苦々しい眼をしていた。
「危険です、殿下」
「あの者の動機を探りたいのです。何のために動いているのか、直接会って見極める必要があります」
「せめて俺を傍に置いてください。俺が駄目なら、チェスターでも構いません。距離があっては、万が一のときに間に合わない可能性もあります」
「彼にはわたしへの害意はないのでしょう? あなたの観察眼を信じています。それに、室内で二人きりになるつもりはありません。あなたはこの屋敷の図面を把握していますよね? 庭園も含めて」
「……庭で、あの男と二人で話したいと?」
「ええ。会話の内容はお互いにしか聞き取れない、ただしあなたやチェスターからは目視可能な位置。そういった場所はありませんか?」
バーナードは渋々といった様子で、ため息混じりにいった。
「冬薔薇の庭に、石づくりの長椅子が五つ置かれています」