22.仮面舞踏会①
リットン卿の館は、幻想的な雰囲気に包まれていた。
橙色のランタンが、手前に広がる庭園から奥まった場所に見える林の中までも、いたるところに無数に灯されている。地上の闇を払う星のようでもあり、その揺らめく炎一つ一つが妖精たちの囁きのようにも見える。
バーナードとともに、目元を覆う仮面をつけて馬車を降りた。
わたしたちを出迎えたのは、同じく仮面をつけた中年の男性だった。リットン卿だろう。
しかし、ここではお互いに本名を名乗ることはしない。
「神々のための祝祭へようこそ、光の妖精よ。そして死者の国の王」
「素敵な悪戯の宴をありがとう、春告げ鳥。あなたのためにも、冬の神の御心が春解けの雪のごとく和らぎますように」
口上を述べて礼を取る。バーナードも無言のまま軽く頷いてみせた。
この仮面舞踏会においては、衣装だけではなく、呼び名や挨拶、たわいないお喋りさえもテーマに沿ったものであることが求められるのだという。
もっとも実際には、そこまで徹底できるものでもなく、常連も多い催しのため、口調も砕けていってしまうそうなのだけど、建前としては、あくまでこの場にいる者はいずれも皆、古神話に出てくる者たちであるということらしい。
ニコレットが今夜のわたしたちの衣装を『光の妖精』と『死者の国の王』に決めたのは、この二人が恋に落ちる物語が古神話にあるというのも理由の一つだろう。
大広間に入ると、楽団が奏でる美しいメロディが聞こえてくる。
バーナードとともにゆっくりと歩を進めると、人々の視線が集まってきた。
わたしの胸元には、白百合と交差する二本の剣が小さく刺繍されている。王家の家紋案は、最終的には採用されたのだ。
ただ、今夜この仮面舞踏会に参加するということは公にはしていなかった。
王妹と話ができる機会があるとわかったら、高位貴族や大商人たちが権力や財力にものをいわせてでも招待状を手に入れようとするのが目に見えていたからだ。それでは目的が達せられない。今夜の目的は、庶民層やそこに近い人々と交流することなのだから。
重厚な音楽でも隠しきれない動揺とどよめきが、大広間にさざ波のように広がっていく。
「まさか、王妹殿下……!?」
「本物なのか!?」
「白の貴色に王家の紋だぞ。女性であれを纏える御方は今、アメリア殿下しかいないだろう……!」
そんなざわめきが聞こえてくるのに、わたしはいつものように王家の姫らしく微笑んでみせる。今宵はこの顔を覆う仮面対王家の威厳である。
「どうしてここに!? リットン卿と交友があったのかしら……?」
「金萼家絡みではありませんの? 卿も一応は親戚筋なのでしょう?」
「親戚筋といっても遠縁のはずよ。アメリア殿下を招待するなんて、ルーゼンの本家でなくては無理よ!」
「ほっ、本物のアメリア殿下ですの……!? わたくし、こんな近くで王家の方にお会いするなんて初めてで……! どっ、どうしたら!?」
「落ち着いて、落ち着くのよ、慌てずにまずは深呼吸、ひぃっ、殿下がわたしを見たわ! わたしを見てくださった!」
「ちょっと、図々しいわよ、あなた! 殿下は広間の様子をご覧になっただけでしょう!」
わたしは声がする方へ視線を向けて、遠目にもわかるようにくっきりと唇に笑みを浮かべてみせた。途端に、歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。
ありがとう。ぜひ今夜の話は広めてくださいね。王家の姫が、素敵な婚約者と仲睦まじく過ごしていたと。よろしくお願いしますね。
「おっ、俺も、アメリア殿下と目が合った気がする! もしかして俺のこの暗黒の山羊の衣装をお気に召して……!?」
「馬鹿かお前は自意識過剰もいい加減にしろ、相手は殿下だぞ! 失礼なことをいうな!」
「つーか、お前の歳で暗黒の山羊を選ぶのは痛い。ガルドレウス物語が好きでも、もっと他に登場人物はいるだろ。殿下の目を引いたとしたらそれはやべー奴がいるなって意味だぞ」
「うるせー! 好きなものを貫くのは格好良いって、ユリアナはいってくれてるからいいんだよ!」
「そうだな……、己の信じるところを貫くのは立派なことだ……。ああ、アメリア姫にこんな数歩の距離でお会いできるなんて、俺は今夜死んでもいい……! 俺の命を捧げさせてください、姫……!」
「キモい! 変態の命を捧げられても殿下も迷惑だろ? やめて差し上げろよキモいから」
「黙れ暗黒山羊! 俺は変態じゃない! 騎士のはしくれとして当然のことをいっただけだ!」
聞こえてくる会話に小さく吹き出しそうになって、誤魔化すように咳払いした。
非常時でもないので命は捧げなくていいですけども、暗黒の山羊は少し気になります。ガルドレウス物語は確か、戦士ガルドレウスが暗黒の山羊を倒す物語だったと記憶していますが、悪役をモチーフにした装いもあるのですね。
そう感心しつつも、大広間中の関心を集めることに成功して、わたしは今度は作り笑いではなく微笑んだ。
さあ、皆、わたしの隣にいる素敵な婚約者にも気づいてください───!
「殿下が仮面舞踏会に参加されるなど、初めて聞いたぞ」
「金萼家は何を企んでいる?」
「いやしかし、今宵の姫殿下はまたひときわ美しいな。あのような装いをされているのは初めて見た。これは黒脈家筋の友人が聞いたらとびきり悔しがるだろうて」
「ハハッ、社交界中に妬まれてしまうかもしれませんよ。私も取引先から質問攻めにされる未来が眼に浮かびます」
「ですけど本物の殿下なら、いつも護衛についている近衛騎士の方々はどちらに……?」
「招待客に紛れて護衛についているのではなくて? 門をくぐったときから、今夜はいやに物々しい雰囲気だと思いましたもの!」
「本当に本物の姫殿下だっていうの? なら、隣にいるのは、あの噂の……!」
「あらでも、噂で聞くよりずっと───、いい男じゃない?」
「ちょっとあなた、なにをいい出すのよ!?」
「目元を隠していてもわかるわ。あれは相当な美形よ。多くの舞台を鑑賞してきたわたしのこの審美眼を信じなさい。あれは絶対に女性たちの視線を奪う顔をしているわ」
「変なことをいい出すのやめなさいよ、相手は殿下の婚約者よ!?」
「でも、本当に……、素敵な方ですね。あの服装は静寂の死者の国の王がモチーフなのでしょうけど、あれほど美しさと荘厳さを体現されている方は初めて見ました」
「あのロングコートを着こなせるのも凄いわよ。あれは難易度高いわ。よほどスタイルがいい男性じゃなきゃ無理ね」
ふふふふふふふ、そうでしょう、そうでしょう。
わたしは表には出さないまま、内心で鼻高々に胸を張った。
ついにバーナードの素晴らしさが王都中に知れ渡る日が来ましたね!
「見た目に騙されちゃ駄目よ。人の皮を被った呪いの魔剣なんて呼ばれている男よ。近衛隊のほかの騎士様たちからも避けられているって聞いたわよ」
「それ、私も聞いたことあるわ。仕事中も横暴で横柄で、部下の手の骨を砕いたこともあるらしいわよ」
「嫌だわ、目が合っただけで難癖をつけてくるんでしょう? 逆らった相手は皆殺しにしてきたとか……!」
「二言目には『殺すぞ』と怒鳴りつけて、すぐに剣を抜くんですって!」
そんなことはしませんけども!?
皆、よく見てください。この格好良くて優しげな男性を!
だいたいバーナードは「殺す」なんて脅したりしません。彼がそう決めたときには、すでに事が終わっているのですよ!
「なんでも、実際に夜会で殺された青年もいるんですってよ。それも姫殿下に挨拶しただけでよ!?」
「まあ、なんて恐ろしい……!」
そっ、それに近いことはありましたけど、あれは相手がわたしの命を狙っていたからです! 何もかも誤解です!
聞こえてくる言葉の数々に、王家の姫らしい微笑みにひびが入りそうになるのを、わたしは必死で耐えた。
このような言語道断の噂が幅を利かせるのも、今このときまでだ。
今宵の宴で、わたしとバーナードの噂を、いちゃいちゃで甘々なものに変えて見せましょう……!