20.慣れない装い
仮面舞踏会へと向かう馬車の中、天井に備え付けられたランタンの灯りが夜闇を淡く照らす下で、わたしはそわそわと落ち着かない心地で無意味に両手を組みなおした。
ちらりと自分が着ているドレスへ視線を落としては、その装飾の多さにまたいたたまれない気持ちになる。
今夜のわたしが身に纏うのは、いつもの王家の白のドレスではない。
柔らかな白地を基調としながらも、胸元には青水晶の宝石が星の川のように彩り、そこに金糸の刺繍が絡みついている。
袖は薄いシースルーの生地に丹念に刺繍が施され、動くたびにひらひらと華やかに揺れる。
丈の長いスカートは、白地の上から南の海を日にかざしたような透明感のある青色の薄紗が覆っている。その縁には繊細な刺繍が施され、歩くたびに足元に光がきらめくかのようだ。透ける薄青色には金糸でいくつもの春告げ花が描かれ、華やかさを増している。
───可愛いのです、可愛いのですが、普段着ているものと違いすぎて落ち着きません……!
率直にいうと、これほど可愛いドレスが自分に似合うとは思えない。
普段、夜会などで着るドレスといったら、伝統・格式・品格、その三点がすべてだ。一歩間違えると重苦しく野暮ったい印象すら与えてしまうドレスを、いかにも王家の姫君といった余裕のある微笑みで制圧しているのだ。野暮ったさ対王家の威厳の戦いである。
たまには、流行を取り入れた華やかな色合いのドレスを着ることのできる夜会もあるけれど、そのときも上品さが重視される。
使用される素材こそどれも最高級のものであるけれど、仕上がりはあくまで品格を持って───つまりなんというかシンプルなのだ。綺麗ではあるけれど、きらきらだったり、ふわふわだったりはしない。とてもシンプルである。
だから今回も同様のものを考えていたし、すでにあるドレスに多少の手を加えたらいいだろうと思っていたのだ。
三日後という短い期限だ。一から仕立てるにはとても足りない。仮面舞踏会のテーマである、古神話をモチーフにした胸飾りや髪飾りなどを付け足せば、それで十分だろうと思っていた。
「恐れながら殿下、あのリットン卿の仮面舞踏会にその程度の衣装では、参加資格があるとは見なされませんわ」
そう重々しく告げたのは、わたしのドレスを一手に取り仕切る侍女のニコレットだった。
知らなかったのだけど、どうやら我が国のファッション界隈とでも呼ぶべきところでは、リットン卿の仮面舞踏会は有名だったらしい。
「殿下のお立場で締め出されるということはあり得ませんが、ほかの者ならまず門前払いですわ。あれは遊びの場ではありませんもの」
夜会の中でも最たる娯楽の場が仮面舞踏会では? というわたしのもっとも疑問は聞かれもせずに、その晩はニコレットの手配した者たちに取り囲まれた。バーナードも別室に連行されていた。
そして出来上がったのが、虹の女神の教え子である光の妖精をモチーフにした、この可愛らしいドレスだ。
完成品を見たときは、思わず絶句した。
それから、ぎしぎしと軋んだ音を立てながら首を動かしてサーシャを見た。
わたしの筆頭侍女であり、もっとも付き合いの長い彼女は、実に満足げな顔をしていた。
わたしは膝から崩れ落ちそうだった。
隠していたつもりだったのに。こういう装飾たっぷりの可愛いらしいドレスへのあこがれはあったけれど、隠していたつもりだったのに、見抜かれていたことの恥ずかしさで顔から火が出そうだった。
もう舞踏会まで時間がないとわかっていたけれど、憧れるのと実際に身に纏うのは話が別だ。「このような可愛らしいドレスがわたしに似合うとは思いませんが……!?」と必死に抗議した。
しかし、普段から装いに関しては、ドレスも靴も髪型も化粧も装飾品もすべて侍女たちに一任している身だ。
彼女たちの知識と腕前を信頼しているのと、忙しい時期は身支度を整えながら報告を聞いたり書類に目を通したりすることもあるので、自分の装いにまで気が回らないのだ。
侍女たちからはときどき好みや意見を確認されるけれど、だいたい「あなたに任せます」の一言で済ませてしまっている。王家の姫の装いにはさほど選択肢がないからというのもあるし、自分のセンスに自信がないというのもある。
そんな体たらくだったので、わたしの必死の抗議に耳を傾ける侍女は誰一人いなかった。ひどい。
最終的にすべての身支度を整えたわたしが「変ではありませんか……!? やはりいつもの白のドレスのほうがいいのではないでしょうか!?」と訴えても、お似合いですの合唱しか返ってこなかった。
ついにはサーシャに心配そうな顔で「姫様のお好みに合わないものでしたでしょうか?」と尋ねられては、口ごもるしかない。あれは絶対にサーシャはわかっていてやっていたと思う。
───ええ、密かに憧れてはいました。こういったきらきらした可愛らしいドレスを、一度は着てみたいと思っていましたけれど……!
普段は野暮ったさとの戦いに挑んでいる身としては、きらきらしすぎている。いたたまれない。
わたしは、斜め向かいに座る婚約者へちらと視線を向けた。
すると、こちらを見ていたバーナードとばっちり目が合ってしまう。
思わず、彼の瞳に吸い込まれるように、じっと見つめ合ってから、お互いにハッと視線を下ろす。
「すみません、殿下……!」
「い、いえ! 謝ってもらうようなことは、なにも……!」
わたしは妙に慌てふためいてうつむきながら、胸の内でそっとバーナードの姿を反芻する。格好良い。
わたしは思わず胸の内でニコレットたちとリットン卿に感謝をささげた。
先ほどまでの恨み言もきれいさっぱりと消え去る格好良さだ。ありがとう、ニコレット。ありがとう、サーシャ。前言撤回します。やはりテーマに沿った服装は大切です。
今回の仮面舞踏会のテーマである古神話とは、このディセンティ王国に古くから根付いている伝承や物語、神々の時代にあったとされる逸話や伝説などの総称である。おとぎ話『騎士バーナードの英雄譚』もこのうちの一つに含まれるし、いくつかの物語や伝承には『呪いの魔剣』と評される武器も登場する。
古神話は、聖教会が信じる神や掲げる教義とは別物だ。
それゆえ聖教会はこの古神話にまつわる祭事などにいい顔をしないけれど、人々の暮らしに根付いている風習や伝統を排除しようとすれば反感を買うだけ。それは聖教会側も理解しているため、表立って口出しはしてこない。
春の訪れを祝う祝祭『種子の息吹』は古神話の一つに基づいている。
それは、簡単にいうなら、こんな話だ。
───あるとき、冬の神と春の神の間でいさかいが起こった。
冬の神は春告げ鳥に種子を渡さず、春の神は冬の使者に祝福の息吹を授けなかった。
季節の巡りが途絶えたことで、空は朝の始まりを失い、大地は眠りの終わりを見失った。
困り果てたほかの神々や妖精たち、竜に人に獣とあらゆる者が集まり、二神の仲を取り持つために盛大な祭りを催した。
それが祝祭『種子の息吹』だ。
ちなみに、わたしの服装のモチーフとなっているのは『悪戯好きな光の妖精』だけれど、バーナードは『静寂の死者の国の王』だそうだ。
初めにそれを聞いたときは、
なぜそのチョイスなのです……!?
もっときらきらと格好良い神や妖精がいるではありませんか!?
まさか『静寂の死者の国の王』を『滅びをまき散らす呪いの魔剣』と同一視する解釈もあることに由来しているのではないでしょうね!?
今夜は濡れ衣を晴らす夜ですよ!?
……と、色々と苦情が浮かんだけれど、実際にバーナードの姿を目にして浮かぶのは厚い感謝一択だった。
今夜のバーナードの服装は、全体的に黒を基調としている。
膝下まで覆うロングコートは青みがかった黒で、艶のある生地が冷ややかさを強調している。そこにたっぷりと施されているのは銀糸の刺繍だ。花びらのような、それでいて絡みつく蛇のような美しさと恐ろしさを醸し出す銀糸。ベストは畏怖を抱かせるような漆黒の生地にこちらも銀の刺繍。紐飾りだけが、あえて輝きを落としたような金糸。
もう、なにもかもが格好良い。
バーナードは何を着ていても格好良いのに、こんなに良く似合う服装をしていては、ときめきで死んでしまう令嬢が続出だと思う。死者の国の王がこれほど格好良かったら、静寂どころか黄色い悲鳴が飛び交っているにちがいない。