19.間章②~ある男の三週間前の話~
忍び込んだ王宮を堂々とした態度で出た後、俺は王都にいる知り合いたちの元を訪れて、いくつかの仕事を依頼した。
そして最後に、歓楽街の奥まった場所にある店を訪れた。一見したところはそうとわからない外観だが、実際は酒場だ。ただし、表通りにあるような純粋に飲むための場所ではなく、女性による接待付きだ。
重そうな扉の前には、門番らしき男が立っていた。誰でも気軽にお入りくださいという店ではないらしい。
俺はにこやかに門番に話しかけて、いくばくかの金を握らせながら、中にいるはずの古い知人の名前と俺自身の名を告げた。
門番は俺を胡散臭そうに見ながらも、中へ入っていく。
これで駄目だったら、店ごと制圧するしかないなと思いながらも待っていると、扉は内側から開かれた。どうも、お招きありがとう。
門番の男に指で示されたテーブルへ進む。
そこには獲物が、ちがった、かつての知り合いが、震えながら俺を見ていた。薄明かりの中でもわかるほどに顔色が悪い。可哀想にな、気分でも悪いのか?
俺が微笑みかけると、知人と同席していた女性がさっと席を外した。揉め事に関わりたくないという明確な意志が見える。俺は空いた席にありがたく座り、隣の男に声をかけた。
「よお、ボス。久しぶりだな。元気そうで嬉しいよ」
「おおおおおおお前っ、なんでここに!? なにしに来た!?」
「可愛い元部下との再会だろう? もっと嬉しそうにしてくれよ、ボス」
「よせ、やめろ、ボスなんて呼ぶな、俺はもう足を洗ったんだ!」
「ああ、聞いたよ。ずいぶん出世したみたいじゃないか。今じゃこの王都で名の知れた商人だって? おまけに平和主義で人格者? 耳を疑ったよ。俺の知る鎌蛇のグリッドとは思えな……」
「やめろっつってんだろこのクソガキ!!」
元ボスが俺の口をがばりと塞ぎ、息を荒くしながら凄んだ。
「お前、何が目的だ。金か? 女か? ───いや、ちがうな。お前がそんなまともな理由で現れるわけがねえ。お前は昔からイカれたクソガキだった。絶対に厄介事を持ち込んできやがったに決まってる……!」
俺はボスの手を剥がしていった。
「ボスに仕事を頼みたくてね。それと久しぶりに話をしたい聖職者が一人」
「やっぱり厄介事じゃねえか! 冗談じゃねえ、帰れ! 二度と現れるな!」
「金はきちんと払うさ。ほら、ボスと一緒に街道の掃除をしたときの金が残っているから安心してくれ。ボスは部下にもちゃんと分け前をくれる、いい頭だったよな」
「脅す気かこのクソガキ……!」
「今の商売の元手は、あのとき潰した賊どもが貯め込んでいた金かな? さすが平和主義者だ。汚い金を綺麗にするのが上手いね」
「……俺がこの王都でどれだけ必死に信頼を築いてきたと思ってる。お前みたいなガキ一人が何をほざこうと、ただの逆恨みで処理できるんだよ」
「残念だがボス、俺はもうガキって歳じゃない。それに、ボスだって薄々気がついているんだろう? 俺の名前を聞いたことがあると」
そう笑うと、かつての上司は白髪混じりの頭髪をかきむしった。まだ四十代くらいだったと思うが、若白髪だろうか。きっと気苦労が多いんだろう。
「クソ、やっぱりそうなのか!? お前が、お前があの……!? おお神よ、嘘だといってくれ……!」
「神なんて信じていないだろ」
聖職者の現実なんて、連中のお守りをしているときにさんざん見てきた。初めの頃は衝撃を受けていた俺に、せせら笑いを浴びせたのはこの素敵な元上司だ。
ボスはハッとした顔でかきむしる手を止めると、俺をまじまじと見ていった。
「それなら俺よりお前のほうがヤバいだろ。それでよく脅せると思ったな? 昔のことがバレたらまずい立場なのはお互い様じゃねえか!」
「あいにく俺は、今の立場に未練がなくてね」
「あークソ、死ね、お前はそういうイカれたガキだったよ……!」
まあまあと適当になだめながら、俺は依頼内容を告げた。
すると元上司の顔色は蒼白を通り越して土気色になった。
「正気じゃねえぞお前……ッ! 王家を敵に回す気か!? 死にたきゃ一人で死ね! 俺を巻き込むな!」
「下々の噂程度で王家は動かないし、仮に動いたとしても、噂が広がった後で情報源を特定するのは難しい上に意味がない。ボスならよくわかっているだろう?」
「お偉方の誰もかれもが同じ動きをするわけじゃねえ、相手をよく見て行動しろって俺も散々教えてやったよな!? お前はあの『婚約者』の噂も調べてねえのか!?」
「万が一、お役人がやってきたら、俺の名前を出していい。酒の席とはいえ、俺から聞いたから疑わなかったといえば、信憑性はあるだろう?」
そこまでいえば、若白髪混じりの元上司は、こちらの本気具合を確かめるように眼をすがめて見てくる。
やがて、ひどく嫌そうなため息を吐き出していった。
「わかった。ただし一つだけ聞かせろ。お前、今は誰の下で動いている?」
探る眼だ。
俺はなんと答えようかわずかに迷って、結局は軽く笑ってみせた。
「昔も今も変わらずに、俺の唯一の神の下さ」