16.いちゃいちゃ大作戦~王家の家紋編~
「殿下、この歩く非常識のせいで殿下の御考えにも悪影響が出てしまったかと思いますが、普通は女性を肩に担ぎません! よろしいですか、お姫様抱っこというのはこうです! こうやって抱き上げるんです!」
チェスターが、両腕を軽く前方に出した状態で曲げてみせる。腕を鍛える訓練のような態勢だ。
よくわからず、わたしが首を傾げると、ペンと紙を借りても良いかと聞かれたので頷く。
チェスターは、迷いのない手つきで、さらさらと紙に絵を書いていく。普段は披露する場面もないけれど、彼は絵心もあるのだ。チェスターを慕う会の女性たちが知ったら、この紙も争奪戦になることだろう。
チェスターが簡単な線で描き上げたその絵は、女性も男性も、わたしにもバーナードにも似ていなかった。それでもわたしの頬が熱を帯びてしまったのは、予想外に密着していたからだ。
チェスターが、わたしの前に紙を差し出していった。
「これが、世間一般でいうところの『お姫様抱っこ』です、殿下」
「でっ、ですが、これでは、両手がふさがってしまっているではありませんか。この状態でどうやって剣を振るうのですか? あっ、まさか、女性が剣を持つという戦闘スタイル……!?」
「ちがいます。剣はなくていいんです、戦闘を前提としていませんから。殿下もおっしゃっていたでしょう? いちゃいちゃ行為だと。まあ、実際には、女性が足を怪我したときなどに、このように抱き抱えることのほうが多いでしょうが」
わたしはまじまじと、チェスターが描いた絵を見つめた。
それから頭の中で、この二人を、自分とバーナードに置き換えてみる。
バーナードがわたしの膝の下に手を入れて、もう片方の手でわたしの肩を支えて、抱き上げて、バーナードの顔が近くにあって、深い色をしたこげ茶色の瞳がわたしを優しく見つめて……。
「むっ、無理です! これはわたしには無理です! 心臓が高鳴りすぎてどうにかなってしまいます!」
わたしは頬を熱くしながら必死でいった。
だけど、バーナードときたら、なんだか妙に嬉しそうな顔をしている。一応隠そうとはしているようだけれど、口の端が上がっているし、頬はにやけたように緩んでいる。悔しい。わたしばかり焦っているみたいだ。彼にとってはこのくらい余裕だということなのだろうか。
でも、チェスターが描いたこの絵の二人は、距離が近すぎると思います!
肩に担がれているときなら、わたしに見えるのはバーナードの背中だけなのに、この『お姫様抱っこ』では至近距離に彼の整った顔がある。
こんな態勢になったら、バーナードは絶対楽しそうに、それでいて少し意地悪に、わたしをからかうように見るに決まっているのだ。絶対だめである。わたしの心臓が持たない。
「お姫様抱っこはやめておきましょう……。安心してください、こんなこともあろうかと代案も考えてあります」
わたしは咳ばらいを一つして、話し出した。
───先ほどの案と、途中までは変わりません。ただ、こちらは、わたしが王家の人間であることを、よりさりげなく示す方法です。
わたしたちはお忍びで朝市を訪れます。ええ、二人きりです。人員は増やしません。護衛に囲まれていたら、あなたのことまで恋人ではなく護衛騎士だと誤解されてしまいかねないからです。これはわたしたちが世にいう『バカップル』であることを示すための行いです。
いえ、お姫様抱っこはちょっと……、あれはもう少し心の準備ができてから……。
コホン、話がそれてしまいましたが、わたしたちは朝市を訪れて、露店を見て回り、仲睦まじい恋人たちであることを周囲の人々へ示します。このときのわたしは白地の外套を纏っています。その外套は王家の家紋入りです。
「お待ちください、殿下───!」
チェスターが再び勢いよく挙手をした。まだ話し始めたばかりだというのに、制止が入るのが早い。
「その服装はいささか、目立ちすぎるかと……!」
「安心してください。家紋は小さな刺繍にしてもらいます。全面に出してしまうと、国旗を着ている変な人と見られかねませんからね」
我が国の場合、白百合と交差する二本の剣が示す王家の家紋は、そのまま国旗になっている。国旗は騎士団や教会などでも掲げられているため、朝市を訪れる人々にとっても馴染みのある紋章だろう。
あくまで国旗からの流用であるとわかるように、長方形に縁取って使うなら、一般人でも申請することで使用許可を得ることもできる。大きな商家では、荷箱などに自家の家紋とともに押すことも多い。他国へ売りに出す際に、このディセンティ王国からの品であると示すためだ。
ただし、縁取りがない形で使用することは禁じられているし、まして白地にその刺繍を入れることは、まっとうな商家なら絶対にしない。
白は王家の貴色、さらに縁取りなく使うならそれは王家の家紋。
王家の家紋入りの白を纏うことができるのは、王族のみと決まっている。
「家紋と国旗の違いまでは、庶民層には知られていない可能性もありますから、服に刺繍するほど国旗が好きな変な人と見られてしまうかもしれませんけれど……、どう思いますか?」
「絶対にやめた方が良いと思います。というか、あなたの近衛隊隊長として許可できません」
「殿下、間違いなく大騒ぎになると思います……。あの花通りに店を出せるほど才覚のある者が、白地に王家の家紋を見て何も気づかないということはまずありえないかと」
「それなら狙い通りではありませんか。仲の良さを見せつける好機ですよ。生贄姫などというのは大嘘で、バーナードが素晴らしい人であることを示せます」
わたしは意気揚々とそういったのだけど、バーナードはつれなかった。
「駄目です」
「バーナード」
「最初の案もどうかと思いましたが」
「どうかと思っていたのですか?」
「途中からチェスターたちが駆けつけるなら、まあ、まだマシです。ですが、今回の案は俺しかいないんでしょう? 人混みの中で、王族だとわかる服を着て、護衛は俺しかいない。自分がどれほど馬鹿げたことをいっているかおわかりですか、聡明なる王妹殿下?」
正論である。わたしは胸の内でぐうと呻いた。誰が聞いてもバーナードに理があるというだろう。だけど、でも。
「わたしたちの悪評を払しょくするためです。多少の危険は冒す価値があるでしょう」
「ないですね。殿下ご自身があしざまにいわれているというなら別ですが、今のところその様子は見られません。ギルベルトの思惑を探ることは必要でしょうが、噂については聞き流しておけばいいでしょう」
「いけません」
わたしは静かに、しかし力を込めていった。
「あなたを悪として貶めることを許してはいけません。それはあなたの敵に正義の御旗を与える行為です。あなたに向かって石を投げることを正しい行いであると人々に錯覚させてはいけません。群衆はときに暴走するものですから。───それは真実そうなのですが、その言葉ではあなたの心が動かないというなら、こういいましょう、バーナード。わたしが嫌なのです」
最強の騎士の眉間にしわが寄る。
わたしは、にこにこと笑いながら、声に怒りを込めて続けた。
「あなたがわたしに暴力を振るっているですとか、お兄様を脅して力づくでわたしとの婚約を結んだですとか、そのような噂はとても腹が立ちますし、とても嫌です。ですからどうか、協力してくれませんか、バーナード」
「……俺が気にしないといっても、無駄なんですね?」
「ええ。わたしが気にしますから」
彼の薄い唇から吐き出されたため息には、諦めが含まれていた。
バーナードが、不承不承といった様子でいう。
「わかりましたよ。すべて、殿下の御心のままに」
「では、先ほどのお忍びデート案を」
「それは駄目です」
「バーナード?」
「あなたの護衛としてそこは譲れません」
「わたしの心のままにと、今いいませんでしたか?」
「俺は殿下の御心を尊重しない奴は死ねと思っていますが、殿下の命がかかっている場合は御心を踏みにじることもやむを得ないと思っています」
「そこまで危険な提案ではないでしょう!? 家紋入りの外套を着てデートをするだけではありませんか」
わたしとバーナードがばちばちと火花を散らして睨み合う。
まあまあと割って入ったのはチェスターだった。
「殿下、俺も家紋案はお勧めできません。もしも、万が一にも、かつての聖教会の過激派ですとか、現王家に敵意のある者の目に触れたら、大変なことになります」
「わたしに襲い掛かってくると? バーナードがいるなら問題ない……いえ、それは……」
問題がある。想像してしまったわたしに、チェスターは我が意を得たりといわんばかりに頷いた。
「そうです、殿下。確かに隊長なら殿下に傷一つ負わせずに守り抜きますが、襲ってきた者たちの首が飛びます。人出で賑わう朝市、活気ある花通り、そのような場で生首が飛びますと……、大惨事です」
わたしは思わず額に手を当てた。