14.聖教会
その隣で、チェスターも気まずそうに口を開いた。
「殿下に心当たりがなくとも、ギルベルトはお慕いしていたのかもしれません。一方的に思いを寄せるというのはよくある話ですから」
「あなたがいうと説得力がありますが、チェスター」
膝に矢を受けたような顔をするチェスターを見やりながら、わたしは最後に微妙な表情になっていった。
「わたしから見て───、ギルベルトのあの瞳は、恋や愛で動いているようにはとても見えませんでした。あれはまるで……、殉教者の眼です。己の信じる神のために動いている。命すら捨てる覚悟を持って。……そう見えました」
こげ茶色の瞳と深緑色の瞳は、今度はそろって険しくなった。
「殿下は、ギルベルトの裏に聖教会がいるとお考えなんですね?」
わたしは肯定も否定もできずに、ただ眉間にしわを寄せた。
我が国で聖教会といえば、この国や周辺諸国における最大宗教フェノル教を指す。
彼らは、およそ二年前まで、お兄様とわたしにとっては氷国ハルガンや草原国ターインすら超える脅威だった。なぜなら聖教会は、先王ととても親しかったからだ。
お兄様が即位したときには、我が国に置かれた教会庁上層部の首が丸ごとすげ変わった。その程度には先王との関係は深かった。
現在の教会庁の長官は、お兄様の協力者だ。とはいえ、あちらにしても目障りな先代長官を蹴落としたかっただけで、一時的な共闘にすぎず、信頼が置ける相手ではない。教会庁の混乱を収めたなら、王家へ仕掛けてくることは十分あり得る。
ただ、その一方で、あの現長官がわたしたちと敵対するつもりなら、こんな策を採るだろうか? とも思う。あの執念深い現長官なら、時間も資金もいくらでも費やして、用意周到に我が国全体を揺さぶりに来るだろう。
今回のギルベルトのやり方では、王妹を貶めることはできない。悪評におけるわたしの立場は被害者だ。お可哀想なお姫様になってしまっている。
ギルベルトの目的がどうにも読めない。わたしはため息をついた。
「確信はないのです。初めはお兄様の暗殺が狙いかと思いましたが、それならエバンズ卿を脅す理由がありませんから。長年行方不明だったフォワード家の長男だと名乗り出たほうが、お兄様に近づくのははるかに容易だったでしょう」
この場合、ギルベルトが本物のランティスでなかったとしてもかまわないのだ。騎士団長エバンズ卿というこれ以上ない身元保証人がいるのだから。上手く話を持っていけたなら、人払いされた室内で国王陛下と対峙することだって可能だったろう。暗殺目的なら、大勢が集まる御前試合を狙うよりはるかに成功の可能性が高い。
朝食の席でお兄様から話を聞いて、暗殺目的という推測が間違っていたことは理解した。そして、そこから行き詰った。
ギルベルトのあの瞳は、かつて敵対した聖教会の信心厚い者たちを思い出す。彼にあるのは恋ではなく信仰のように見える。だけど、彼が何を目的として動いているのかがわからない。
わたしはそう説明してから、顔をしかめていった。
「ギルベルト───ランティスが失踪したのが十三歳のときだったそうです。それからおよそ十年間、彼がどこで何をしていたのか。この空白の時間を埋めないことには、彼の真意を掴むことは難しいでしょう」
サーシャにはすでに、女性たちの間で噂を集めてほしいと話してある。お兄様も、王都に住むフォワード家の親類縁者に確認を取るといってくれた。
本来ならフォワード家に使いをやって現当主から話を聞くのが一番いいのだけど、南の国境を守る辺境伯家だ。今からでは早馬を出しても御前試合には到底間に合わない。
そしておそらく、ギルベルトが仕掛けてくるとしたら御前試合の最中になるだろう。
……それでも一ヶ所、使いは出しておいた。わたしのほうから日付を指定し、謁見予定者の名簿に載せるよう指示も出した。
あの騎士団の視察の日、エバンズ卿は出立前にわたしにいった。
───ですが、もしもそうであれば、ギルベルトも、殿下のお言葉にだけは耳を傾けるやもしれない。そう思いましてな。
エバンズ卿にとっては他意のない、言葉通りの意味だったのだろう。
けれどわたしには不思議だった。その先に何があるか、エバンズ卿が気づいていないはずがないからだ。わかっていて動くなら、おそらく……、彼はすでに知っていると見るべきだ。
とはいえこちらは賭けの範疇。今はできることをしていくしかない。
「あなたたち二人にも、ギルベルトの情報を集めてほしいのです。彼の言葉通りなら、ギルベルトは以前傭兵団にいたはずです。彼らは戦争を生業としていますから、今王都にいる傭兵は少ないでしょうけれど、一応の確認を、バーナード」
「了解。付き合いがありそうな裏の奴らも含めて聞いてみますよ。隊の連中にも調べさせましょう」
「チェスター」
「うちの一族に確認を取ります。ルーゼンの分家までたどれば、誰かしらフォワード家と付き合いがあったでしょうから」
わたしは「よろしくお願いしますね」と頷いて、それからパンと両手を叩いた。
「では、ここからが本題です」
わたしは力強く告げた。
すると、なぜかバーナードは嫌な予感がするといいたげに顔を引きつらせ、チェスターはそっと視線をそらした。
「ギルベルトの真意はともかくとして、まずは足元のぼやから消火していきましょう。このままでは悪評がエスカレートする一方、その内バーナードの額には角が生えているなどといい出しかねません」
「ああ、それならもう生えているらしいですよ、三本ほど」
「なんと」
平然というバーナードに、わたしは愕然とした。
貴族の社交界で生贄姫の噂が出たときは、それほど大きく広まりはしなかった。彼らは保身を考える。王の右腕とその婚約者が相手では、噂に盛り上がるにしても、背後を気にしながらになるだろう。
けれど、おそらく庶民層にとってはちがうのだ。王家など彼らにとっては縁遠い存在だ。国内が荒れているときなら王家の話題に耳をそばだてることもあるだろうけれど、安定しているなら別の世界の住人のようなもの。
好き勝手な噂で、いくらでも盛り上がれるということだろう。
「これは早急に動く必要がありますね」
「殿下、俺は気にしませんので、殿下もどうか自分から仕事を増やすことはやめていただきたく」
「わたしなりに悪評に対抗する術を考えたのですけど、ここは国民の前に出て、真実の姿を見せつけるのが良いと思うのです。名付けて『いちゃいちゃ大作戦』です!」
バーナードが、呆気にとられた顔で、まじまじとわたしを見た。
チェスターは、沈痛な面持ちで沈黙を貫いている。
バーナードがいいづらそうに口を開いた。
「殿下……、殿下の独特な名づけのセンスには慣れていますが」
「どこが独特なのですか。率直な作戦名ですよ」
「初対面で血塗れだった俺に“英雄譚の騎士バーナード”の名前を与えるセンスを独特といわずに何というんです。それよりもなんですか、その『いちゃいちゃ大作戦』というのは」
「わたしとあなたが非常に仲睦まじい恋人たちであるということを皆に知らしめる作戦です」
「………………………具体的には?」
「よくぞ聞いてくれました」
わたしは胸を張り、意気揚々と話し出した。