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13.ギルベルトの正体②


 夕暮れ時、空の終わりが赤と橙で滲み、刷毛で引いたような雲と薄い青が暗闇のベールをかぶる準備を始めた頃、わたしはローテーブルの中央に青蔓ガラスのランプを置いて、ソファに腰を下ろし、重々しく宣言した。


「それでは、作戦会議を始めましょう」


 正面のソファには、バーナードとチェスターが座っている。人払いをしたため、執務室にいるのはわたしたち三人だけだ。


 チェスターには、公開訓練を終えてからこちらに来てもらった。わたしの公務もひと段落ついたところだったので、ちょうどいいタイミングだった。


 サーシャに三人分の紅茶を入れてもらい、バーナードとチェスターをソファに座らせた。長年の侍女をこの作戦会議に呼ばなかったのは、ギルベルトの素性を教えた途端に眼を輝かせたからだ。あの喜びの表情は明らかにわたしとギルベルトがどうにかなることを期待している。忌々しいといったらない。


 黄昏色の陽射しを、青蔓ガラスのランプが補う中、わたしはふふふと低く笑った。


「これは現在王都で流れている事実無根の誹謗中傷を根絶やしにするための会議です。なにか提案や意見が浮かんだら自由に述べてください」


 はあと、二人とも、困惑混じりの相槌を打つ。


 わたしは重いため息をつきながら続けた。


「ギルベルトの真意は、わたしへの恋情などではなく、もっと他にある───というのが、わたしの譲れない意見です。とはいえ、情報なしに予測を立てることはできませんから、二人にも話しておきましょう」


 これはお兄様が騎士団長のエバンズ卿から報告を受けた話だ。今の時点で知っているのはその二人とわたし、それにサーシャだけだ。


「ギルベルトの本名はランティス・フォワード。先代辺境伯フォワード卿の長子であり、十年近く前に失踪した人物である───と、エバンズ卿は考えています」


 バーナードとチェスターの、こげ茶色の瞳と深緑色の瞳が、それぞれ同時に見開かれた。


「騎士団長の話はそれですか。しかし、考えているというのは……、まだ確認の取れていない話なんですか? 本人はなんと?」


「南の辺境伯三家のうちの一つ、フォワード家ですか。あそこは確か、先代の奥方が亡くなった数日後に、長男が姿を消して、誘拐と家出の両方の線で調べていたはずですが……、先代が存命の内には、結局見つからなかったと聞いています。今では生存は絶望視されて、次男のレイティス・フォワードが後を継いだのでは?」


「ええ……。ギルベルト本人は否定しているそうです。フォワード家など知らない、自分の両親はすでに亡くなったけれど、二人とも平民だったと」



 ※



 けれどエバンズ卿は納得しなかった。


 エバンズ卿は先代辺境伯と親しかった。十代の頃からの付き合いで、親友と呼べる仲だったそうだ。


 しかし、先王の治世下で国内が不安定になるにつれて、それぞれ己の職務が忙しく、連絡を取り合うことも少なくなっていた。先代辺境伯の奥方が亡くなったときにも、長男が行方不明になったときにも、エバンズ卿は騎士団の将官として前線を離れられず、駆けつけることができなかった。


 ようやく再会できたのは、お兄様が実権を握った後のことだ。その頃には、先代辺境伯はすでに死の床についていた。そして、病でやせ細った腕に激しい力を込めて、先代辺境伯はエバンズ卿に縋りついて頼んだ。どうか息子を見つけてくれと。息子が困っていたら、力になってやってくれと。


 死にゆく友の最後の頼みだ。失踪から数年が経っており、おそらく生きてはいないだろうと思いながらも、エバンズ卿は頷いた。


 その後、先代辺境伯は亡くなり、お兄様が即位し、エバンズ卿は騎士団長へ任命された。新たな騎士団長として、エバンズ卿は騎士団の各拠点を巡回し、そこで西の砦の英雄と初めて対面した。


『よく似ているのです。リティアス───ランティスの父の若い頃に』


 エバンズ卿はお兄様にそう話したという。


 しかし、外見が似ているというだけなら、他人の空似という可能性もある。

 第一、ランティスが何者かに囚われているわけでも、動けない身体というわけでもないなら、なぜ実家に帰らずに、西の砦で働いているのか。彼が英雄として名を上げた頃は、まだ先代辺境伯は存命だった。フォワード家に戻ったなら、父親は泣いて喜び、後継者に据えただろう。留守にしていた時期があったといっても、その間に大手柄を立てたのだから、次期辺境伯となることに問題はなかったはずだ。


 エバンズ卿がギルベルトにさりげなく生い立ちを尋ねてみても、子供の頃に両親は亡くなった、その後は傭兵団の雑用係などをして糊口をしのいできた、そこで見よう見まねで剣を習ったのだと笑うだけだった。


 エバンズ卿も、一度は別人だとのみ込もうとした。


 けれど、西の砦を立つ寸前に、ある噂を聞いた。それは、ギルベルトの背中にはまるで蔦のような形をした細長い痣があるという話だった。生まれつきのものらしいが、特徴的な形をしているために、本人は気にしていて、人前ではシャツを脱ぎたがらないのだと。この男所帯の騎士団で、痣の一つや二つ誰も気に留めないというのに、あの清廉の騎士にも小心なところがあるものだと、話した騎士は、若き英雄への妬みを滲ませながら笑っていた。


 それで、エバンズ卿は確信した。


 ランティスが生まれた当時はまだ、先々代の宰相が存命であり、国内は薄氷の安定を保っていた。だからエバンズ卿は親友の祝い事に駆け付けたし、赤子を抱かせてもらったこともあった。そこで、赤子に蔦のような痣があることも、繊細な人柄の奥方がそれをひどく気に病んでいて、豪胆な親友が「成長とともに消えるさ」と慰めていたことも知っていた。


 エバンズ卿はギルベルトを呼び出し、二人きりの室内で、なぜフォワード家に帰らないのかと尋ねた。


 しかしギルベルトの返答は変わらず、自分は平民の両親から生まれた、フォワード家など知らないというものだった。


 そのとき、エバンズ卿は考えた。

 この青年はなにか深い事情を抱えているのだろう。自分は父親の親友とはいえ、ランティス本人との付き合いはなかった。彼からすれば赤の他人だ。心を開いて、事情を打ち明けることは難しいだろう。なら、ランティスが親しかった者、彼の弟を呼び寄せて、会わせてやることができたら───。


 そこまで考えたときに、まるでエバンズ卿の思考を呼んだように、ギルベルトはいった。


「俺は貴族の方々とは縁もゆかりもない身です。もし誤解が広まるようなことがあったら、ひどくいたたまれない気分になって、もはやここにはいられないと考えるかもしれません。所詮、俺のような男は、旅の者たちに混ざって根無し草として生きるのが似合いなのでしょう」


 まごうことなき脅しだった。


 フォワード家に使いを出したなら、即座にギルベルトは姿を消す。たとえ秘密裏に事を運んでも、弟と対面させた時点でギルベルトは消える。


 それでもいいのかと、そんなことで西の砦の英雄を失ってもいいのかと、凍り付いた若葉色の瞳が選択を突きつけてきていた。


 エバンズ卿は、動けなかった。


 ギルベルトの激しい拒絶と、親友の最後の頼み、そして西の砦の英雄という草原国ターインに睨みを利かせられる逸材。


 エバンズ卿は迷いに迷った末に、国王陛下にだけ報告をし、判断を仰いだ。


 若き王はいった。


「フォワード家はすでに次男が継いでいる。お前の気持ちもわかるがな、エバンズ。本人が望まんのだ。()()()()()は放っておいてやれ」


 エバンズ卿は頷き、それでこの話は終わったはずだった。


 ───ギルベルトが、王妹の婚約に妙な関心を見せて、今まで拒んでいた王都行きと御前試合への出場を了承し、挙句の果てに決闘騒ぎを起こすまでは。



 ※



 話を聞き終えたバーナードとチェスターは、なぜか二人そろって微妙な顔をした。


 眼だけで促せば、バーナードが視線をさまよわせ、首に手をやった末にいった。


「殿下、つまるところそれは、訳ありで素性を隠していた男が、惚れた女の婚約を聞いて、居ても立ってもいられなくなったというだけの話ではないですかね?」


「お兄様と同じことをいわないでください、バーナード」


 バーナードが心底不本意そうな顔をした。






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