11.裏切りの侍女たちと(妄想上の)シークレットベビー
朝食後、わたしは侍女たちを下がらせて、広く奥行きのある私室でひとり扉の前に立ち、近衛騎士たちの迎えを待っていた。
普段なら、サーシャの淹れてくれた紅茶を飲みながら、侍女たちと朝の会話を楽しんでいるところだ。彼女たちが入手した様々な噂や情報について耳を傾けることが日課だけれど、今日はちがう。
彼女たちは皆、わたしを裏切ったのだ。
まず、その話題を切り出したのは、ドレスの流行や選定については並ぶ者がなく、夜会を一望しただけですべての令嬢のドレスのクチュールについて言い当てられるという目利きのニコレットだった。
「殿下、わたくしが微力ながらも調べたところによりますと、ギルベルト様は確かに人柄に人望、美貌に功績と、身分以外のものは持ち合わせているようですわ。親類縁者がいないことは、この場合は好ましいと考えましょう。万が一のときにも類が及ぶ心配がありません。美しき王妹殿下の真の婚約者として推薦できる男性かと思いますわ」
「いつから婚約者に真と偽ができたのです」
わたしは憮然としていった。
すると今度は、髪の艶やかさを保つ技術と、一分の隙もなく美しい髪型に整えてくれる手腕については右に出る者のいないグレンナが口を開いた。
「わたしは推しませんねえ。美貌と功績だけなら狂犬隊長にもありますよ。ですけどね、我らの若葉のような瑞々しい姫殿下の夫に必要なのは、お立場を盤石に固めることのできる強さです。狂犬にもギルベルトにもそれがない。持っているのはルーゼンの三男だ。狂犬は愛人にして、ルーゼンを獲りましょう」
「バーナードはわたしの愛する人であって愛人にはなり得ませんね」
わたしが低い声でそう答えると、ニコレットもたしなめるようにいった。
「馬鹿ね、グレンナ。わたくしたちの姫殿下に、愛人を持つなどという器用な真似ができると思うの? わたくしは現実的な選択肢を提案しているのよ」
「現実的な話でいうなら、狂犬隊長を完全に切り捨てるのは損失が大きすぎるねえ。あれほど確実に暗殺を防げる男がほかにいるとでも?」
言い争いを始めた二人に、ほかの侍女たちも加わって、その後はひどいものだった。
「わたしは狂戦士でいいと思いますよ~、あの強さには、身分や権力では補えない価値があるでしょう。人の皮を被った呪いの魔剣ですよ? 貴公子や英雄ならほかにもいますけどぉ、あ~んな凶悪な戦力はほかにいませんって」
「下手をしたら一国が滅ぶ強さだがね。私はあの男に結婚生活など送れるのか心配でならないよ。なのでニコ姉と同じくギルベルト殿を推す」
「皆様、落ち着いてくださいませ。殿下のお気持ちがすべてですわ。殿下が御心を向ける男性と結ばれてこそ、この国に幸福がもたらされるのですわ。あらゆる恋愛小説にそう書かれています。それは確かに殿方の肩書きが『西の砦の英雄』や『五大公爵家』という華やかさがあるのに対して『呪いの魔剣』というのはどうかと思わなくはないですけども。あら、わたくしが推すならチェスター様かしら」
「殿下の判断に従うのみです。殿下はすでにバーナード・フォスターと婚約を結ばれました。我が国において重婚は認められておりません。その一点においてのみフォスター卿を支持します」
わたしは冷ややかに笑って、全員の退出を命じた。
許せないのは、筆頭侍女であり、いつもなら彼女たちのお喋りを諫めるサーシャが、今回に限って沈黙していたことだ。わたしの母親代わりでもある上品な貴婦人は、わたしが目を向けると、そっと視線をそらしていた。あれは恐らくサーシャも『ギルベルトのほうが』だとか『ルーゼン家のほうが』だとか思っていたのだろう。
大変に遺憾である。
わたしの婚約者はバーナードただ一人だというのに!
そういうことで、わたしは定位置であるソファを離れて、扉の前に陣取り、迎えの訪れを一人待っていたのだ。
やがて、見張りの衛士から声がかかり、近衛騎士たちの到着が告げられる。わたしは扉を開くように告げた。衛士の手で開かれた扉の向こうには、予定通りにバーナードとサイモンが立っていた。
サイモンは、取次の侍女ではなくわたしがいることに、呆気にとられた顔をしているけれど、バーナードはわたしの存在に気づいていたのだろう。
怪訝そうに見下ろすこげ茶色の瞳に、わたしはいった。
「おはようございます。二人とも、今日もよろしくお願いしますね。ところでバーナード、棚の上の荷物を取ってほしいので、中に入ってください。高い所にあるのです。あなたでないと届かないのです」
自分でもあからさますぎる言い訳だと思ったけれど、昨日の今日だ。
話があることは、バーナードも察していたのだろう。抵抗もなく、すんなりと部屋に入ってくれた。
扉が閉まると、二人きりだ。
「それで、どうなさったんですか、殿下」
護衛としての距離を保っているけれど、彼の瞳にはわたしへの気遣いが滲んでいる。わたしは改めてバーナードを見つめた。
近衛隊の隊服が、いつ見てもこの上なくよく似合っている。わたしは密かに、バーナード以上に隊服を格好良く着こなせる男性はいないだろうと確信している。いえ、もちろん、隊服以外の服装も格好良いのですけど。
バーナードは整った顔立ちに均整の取れた身体をしているので、なにを着ても素晴らしく似合ってしまうのだ。こうして二人きりになって、じっくりと見つめると、その威風堂々とした姿に改めて感嘆のため息が出てしまう。自信に満ちたこげ茶色の瞳には、わたしの呼吸まで奪うほどの魅力がある。もしも、古神話の中に出てくる空の暴王たるドラゴンや、深淵たるグリフィンが、人の姿を取ったなら、バーナードのような圧倒的な存在感を放つにちがいない。
わたしは瞬き一つほどの時間にそううっとりと見惚れて、それからハッと我に返った。いけない。この状況下においては、わたしより彼のほうが不快な思いをしているはずだ。
「バーナード、あなたの耳にも忌々しい噂が届いてしまっていることでしょう。わたしが王家の人間であるばかりに、あなたにはいつも嫌な思いをさせてしまって、本当に申し訳ないと思っています。ですが、どうか信じてください。誰が何といおうと、わたしが愛しているのはあなただけです。わたしの婚約者はあなただけ。それが揺らぐことはありません」
「わかっていますよ。そんな思い詰めた顔をしなくても大丈夫です、殿下。俺は何も気にしていません」
バーナードは、軽く肩をすくめてみせた。
「だいたい、悪評を気に病む男に見えますか、俺が?」
「それは、まあ……。あなたは気にしないでしょうけれど」
「ええ、どうでもいいですね。俺が何を気にして、何を気にしない男なのかは、殿下だってよくご存じでしょう? 俺は、殿下がそんなことで思い悩むほうが嫌ですよ」
だって、と、わたしは少しばかり拗ねた声でいった。
「今回の噂はひときわ最低なのですよ。あなたが力づくでわたしと婚約を結んだとか、あなたが陰ではわたしに暴力を振るっているだとか! 許せません! 挙句の果てにはギルベルトをわたしの真の婚約者にどうかなどと……! わたしたちがこんなにも釣り合いの取れたお似合いの婚約者同士であることが、皆どうしてわからないのでしょうか」
わたしが怒りのこぶしを握り締める。
しかしバーナードは、気まずそうに首に手をやっていった。
「まあ、その点は俺も、自分が殿下にふさわしいと思ったことがないので、皆の反応に納得がいくところですがね」
あまりの言葉に、わたしは目が点になった。
まじまじと婚約者を見返し、彼が前言を撤回するつもりがないのを見て取って、わたしはふらりとよろめいた。バーナードが慌てて抱きとめてくれたのをいいことに、彼の顔を覗き込んで尋ねる。
「実はあなたは、密かに身分の違いを気に病んでいたのですか……?」
「身分は特に気にしていませんが」
「思い悩むあまり、手紙を残して突然の失踪をするつもりで……!?」
「今度は侍女に何を吹き込まれたんですか、殿下」
美形の婚約者は渋い顔をしても美形である。わたしは見惚れつつも説明した。
「ジュリアが勧めてくれた小説にそのような展開があったのです。さてはあなたも、あの小説の女性のように『俺のことは忘れてください』と置手紙を残して健気にも自ら身を引こうとするつもりですね……? だっ、駄目ですよ、バーナード! そのような手紙、わたしは受理しませんからね!」
わたしは真剣に訴えたのに、バーナードは乾いた笑みを浮かべた。
「俺は今あの侍女を解雇する方法について真剣に考えています」
「安心して下さい。わたしもあの小説の男性のように、たとえあなたが姿を消しても必ずや見つけ出します。そして、感動の再会を果たしたときには、わたしの腕にはあなたとの隠し子が……!」
「最低の屑でしょうがそれは! なんで身を引く前に手を出しているんですか、殿下の想像の中の俺は!?」