10.ギルベルトの正体
「───ふむ。そうだな、たとえば、近衛隊隊長を御前試合に引きずり出すことか?」
お兄様はわずかに目を細めると、テーブルに両肘をついて手を組み合わせ、含みのある笑みを浮かべた。
「あの狂戦士は御前試合には出ない。それは調べたらすぐにわかることだ。だが、男としての名誉を著しく傷つける噂が流れた後での、この決闘騒ぎ。放置したなら悪評が増すだけとわかっている状況で、ギルベルトの挑発を無視することは難しい。今からでも総隊長に掛け合い、王妹の婚約者として身分を振りかざしてでも、自分を対戦相手にねじ込むだろう。それが当然の行動だ───あの狂戦士を普通の人間と想定した場合はだがな」
「さすがはお兄様です」
わたしは今度は、心からの敬意をこめていった。
「わたしが申し上げるまでもありませんでしたね。ギルベルトの危険性を、お兄様はすでに察しておられたのですね」
「ああ、素晴らしいではないか! 実に優秀だ!」
優秀? と、困惑を覚えたわたしの前で、お兄様は楽しげに続けた。
「あの狂戦士を『普通の人間』として計画を立てたのだろう点だけは惜しいが、いや、これは仕方のないことだぞ、アメリア。常軌を逸した所業というのは自分の眼で見なくてはなかなか信じがたいものだからな。奴に慣れてしまっているお前や私のほうが普通ではない。───しかし、その点を除いたなら、実に優秀だ。名声はあっても身分も地位も持たないギルベルトの立場で、近衛隊隊長を決闘の場に引きずり出そうとしたならこれが最善手だ」
お兄様は、喜びすら滲ませていった。
「これは策だけあって成り立つものではない。庶民層の情報戦を制することのできる人脈が必要だ。ギルベルトはそれを持っている、あるいは動かせる立場にいるのだろう。揺らがぬ望みを抱き、智謀を巡らせ、事を成すために能力を振るう。素晴らしい。清廉な騎士というのは、人としては得難いものだろうが、やはり王妹の夫を目指すならば、清濁併せ吞む度量が欲しいところだからな」
わたしは、そこでようやく、お兄様と決定的に話がずれていることに気づいた。
しかしお兄様は、拳すら握りしめて意気揚々と続けた。
「愛するお前のために、己の持てる手段をすべて使い、泥に塗れてでも戦おうとする清廉の騎士! 私の未来の義弟として、これほどふさわしい男がいるか!? 唯一惜しむらくは、もう半年も早く名乗りを上げてくれたらよかったのにという点だが、しかし安心しなさい、アメリア」
お兄様は、光り輝く微笑みでいった。
「私は、お前の婚約破棄の慰謝料なら、いくらでも払う準備ができている───ヒッ」
お兄様が、わたしを見て、まるでライアンのようなかすれた悲鳴を上げた。
わたしは、お兄様を冷ややかに見つめて告げた。
「先代の隠し子でも現れない限り、お兄様の未来の義弟はバーナードだけです。それともお兄様は、わたしたちの命の恩人に対して、不誠実な振る舞いをしたいと仰るのですか? 国王陛下ともあろう方が?」
「冗談だ、アメリア。これはちょっとした朝の軽い会話だ。だからそう兄に向って威圧感を出すのはやめなさい。いやすまない。朝からする話ではなかったな、ははは」
お兄様が眼をそらしながら、わざとらしく笑う。
わたしはため息を一つついて、話を本題へ戻した。
「お兄様はまず、ギルベルトがわたしを愛しているという前提を捨ててくださいな。この際、仮定でも構いませんから、考えてみてください。愛など存在しなかったなら、あの男の目的はなんです? バーナードを御前試合に引きずり出すこと、それは間違いないでしょう。では、何のために?」
騎士団の勝利のために動いているわけではないことは明らかだ。
バーナードが出てしまったら、騎士団は三敗する。ギルベルトがどれほど強くとも関係ない。万が一チェスターやオーガスが負けることがあったとしても、バーナードの勝利だけは揺らがない。バーナードの強さは、そういった次元に位置している。
それほどの強敵を、決闘の場に引きずり出す目的は何か?
「御前試合に出ないなら、バーナードは貴賓席にいるわたしたちの護衛についてしまう。おそらく、ギルベルトの真の目的はそこでしょう。最強の護衛を、わたしたちの傍から引き離すこと。つまり───暗殺です。わたしか、お兄様の」
ギルベルトがバーナードの注意を引いている隙に、共犯者が貴賓席を襲撃する。そういう手はずになっているのだろう。
彼のあの瞳を思い出す。あの既視感のある眼差し。どこで見たのかと記憶を探り、そしてたどり着いた。あれは恐らく聖教会だ。
「ですが、標的がわたしなら、バーナードはとうにギルベルトの首を落としています。どれほど殺気を隠そうと、彼の前では無駄なことです。わたしへの害意がある者を、バーナードは見逃しません。ただ……、標的がお兄様でしたら、彼はその、感知しないといいますか、あまり過敏にならないらしいので……。ギルベルト一派の標的は、間違いなくお兄様だと思われます」
途中でもごもごと言葉を濁すわたしに、お兄様が生温い眼をした。
しまった。未来の義兄弟関係にひびを入れてしまっただろうか。
お兄様は、テーブルに肘をついたまま、右手の人差し指でとんとんと左の手の甲を叩いた。
「アメリア。もしやエバンズは、お前に何も告げずに出立したのか?」
「あぁ……、そのことについても伺おうと思っていたのです。エバンズ卿は、ギルベルトの事情について何か知っているようでしたが、詳しいことを聞く前に出立の時間が来てしまったので」
「それでか。なるほど、どうしてお前が、美貌の騎士に求婚されたというのに、心揺れるそぶりも見せんのか不思議だったのだが……。いや『あの事』を知らなくとも、男二人に愛を告げられ寵を競われる状況というのは、女性にとってそれなりに心躍るものではないのか……? まあ片方は人の皮を被った“なにか”だが」
「お兄様、わたしは妄想よりも先に事情を聞きたいですわ」
国王陛下の冷静沈着な薄青色の瞳が、しおしおと枯れた。
お兄様は、悲しげな息を一つ吐き出すと、すっと眼差しを切り替えていった。
「エバンズのいう通りなら、ギルベルトの真の名はランティス。ランティス・フォワード。先代辺境伯フォワード卿の長子だ。十年近く前に行方不明になったはずのな」