9.兄王との朝食
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ここから起承転結の承が始まります。
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「聞いたぞ、アメリア。ギルベルトに求婚されたそうだな!」
満面の笑みでそういってくるお兄様を、わたしは冷たい眼で見返した。
騎士団の視察の翌朝、朝食の席である。
後宮内の一室であるため近衛騎士は護衛につかない。代わりに衛士たちが後宮全体の警備を固めている。この場に出入りするのも、限られた給仕の者たちだけだ。食事も済んだところなので、彼らが入ってくることもない。朝日が差し込む室内には、お兄様とわたしの二人きりだ。
お兄様は昨日の話がしたくてうずうずしていたのだろう。料理を平らげていくのがいやに早かったし、わたしを見る眼も期待に満ちていた。
わたしは、お兄様の物言いたげな視線を無視し、真っ白に輝くテーブルクロスをぼんやりと眺めて食事を取っていた。昨日からの出来事を反芻し、推測を組み立てながら。
昨日は結局、視察から王宮へ戻った後も公務が立て込んでいて、あの出来事についてはいくつか指示を出しただけで終わった。お兄様も公務が入っていたので報告は今日にしようと思っていた。お兄様の即位以来、わたしたちは可能な限り朝食だけは共に取るようにしているから、今朝なら確実に会えるとわかっていた。
考えなくてはならないことは二つだ。
あの青年の真の目的と、それから、バーナードがいったこと。
ギルベルトについてはいい。そちらは理性で対処できる。
だけど、バーナードのいった「俺の死ごとき」という言葉は、思い出すだけで、今すぐ彼のもとへ走って行って詰め寄りたくなる。あなたの死がわたしに関係ないだなんて、そんなことがあるものですか! と大声で叫びたくなる。
あれが、決闘を避けるための方便だったのならいいだろう。でも、そうではないことを、わたしは知っている。あれは恐らくバーナードの本心だ。
あの人は、桁外れに強いから、周りにそうとは気づかれないけれど、自分の命をどうでもいいと思っている一面があるのだ。わたしのことは絶対に守ってくれるけれど、自分自身のことは死んでもどうでもいい。誰も自分を殺せないから、生きているだけ。生きることも死ぬことも大差はない。……そんな風に考えているところが昔からあって、でも。
───わたしを妻にしてくれるといったじゃありませんかっ!
声を荒げてなじりたくなる。死んでもいいなんてひどい。あなたの命がわたしに無関係だなんてひどい。
そう、想像の中のバーナードに詰め寄ったところで、あら? そういえば妻になってほしいとはいわれていなかったかもしれない……と気づいてしまった。
なんてことだろう。そういえば、バーナードから結婚してほしいとはいわれていなかった。いえ、でも、婚約者になるというのは結婚するということですよね!?
わたしは、目に痛いほどの輝きを放つテーブルクロスを眺めながら、内心で七転八倒した。
───いっ、いいえ、バーナードはわたしを想ってくれているもの。足りないのはそう、対話です! わたしがどれほど彼を愛していて、彼のいない人生なんて考えられないという気持ちを伝えることが不足しているのです。これを改善するには、やはり、いちゃいちゃするしかありませんね! もっとこう、バーナードを骨抜きにしてメロメロにして、わたしと末永く一生を過ごしたいと思わせてやるのです! ふふ、そうです、そうしたら、わたしのこの愚かな独占欲も自然と消えてくれるかもしれません!
わたしは胸の内でこぶしを握りながら、食事を終えて、そして───お兄様の発言である。
わたしのしらじらとした視線に怯む素振りもなく、お兄様は顎をさすりながら、したり顔で頷いた。
「西の砦の英雄ギルベルトといえば、頭脳明晰にして容姿端麗、その人となりは清廉であり謙虚。平民ではあるが、草原国ターインの侵略を退けた功績は、本来は爵位を得るに値するものだった。本人が固辞したことで話は立ち消えになってしまったが、なに、今からでも遅くはなかろう。なにより、あの狂戦士に怯むことなく怯えることなく、お前への愛のために決闘を挑むという心意気よ! 素晴らしいではないか!」
「さすがお兄様、昨日の今日ですのに、お耳が早いことですね。と、申し上げたいところですけれど、内容が事実と異なりますわ」
わたしは、少々じっとりとした眼で、向かいに座るお兄様を見つめて告げた。
「ギルベルトはわたしに求婚などしていませんし、愛などありません。彼は、彼の言を信じるなら、生贄姫の噂を鵜呑みにして、バーナードの横暴を止めようとしたようです」
存在しない横暴ですけどねと付け加えると、お兄様はなぜか、フッと笑い、まるで教え子を諭す教師のような顔になっていった。
「可愛い妹よ、ギルベルトの立場と男心もわかってやれ。いかにお前に恋い焦がれようとも、自分の身分で王家の姫を望むことなど不可能だ。天に手を伸ばしても届きはしない。ならばせめて、その憂いだけでも拭って差し上げたい───というこの涙ぐましい男心だな!」
「恋愛小説でも読みましたの、お兄様?」
「お前こそなぜそれほど冷めているのだ、アメリア」
ときめきを覚えたりせんのか? と、お兄様が真顔でいう。
わたしがときめきを覚えるのはバーナードだけです、と返してから、それはともかく、と続けた。
「噂が出回るのが早すぎると思いませんか、お兄様」
明け方の報告を思い出す。
王都広しといえども、主要な区画は限られている。人々の営みは街道に沿って作られ、賑わいがまた人を呼ぶ。歓楽街や地下街もまたそこに影のように寄り添うものだ。
ライアンは賭け事や色事に眼がない青年だけれど、その分、庶民層にも人脈が広い。歓楽街にも顔が利く。その彼に様子を探ってきてもらい、空が青白む時刻に後宮まで報告を上げてもらった。私室に入れるわけにはいかないので、サーシャを伴って衛士の見張る中庭で話を聞いた。
「知り合いを雇ってデカい通りの人気の酒場は一通り探らせましたけど、どこの店でもお気の毒な生贄姫と高潔な英雄殿の噂で持ち切りだそうっスよ。ついでに隊長は極悪人、倒されるべき悪、最低最悪の暴力男になってますね。人目のないところでは殿下に殴る蹴るの暴行を加えてるそうっス、あの隊長が。まじウケる、ヒェッ」
最後の悲鳴は、わたしを見ながらだった。
夜明け前の青光の下で、皆が未だ穏やかなまどろみにいる頃合いに、わたしは少々穏やかではない表情になっていたのだろう。しかしそれも、仕方のないことだ。
「生贄姫の噂が庶民たちの間で広まったのがおよそ二週間前の話。噂の出所は騎士団で、ギルベルトが王都に来たのもまた二週間近く前。今回はそこに“姫を救わんとする高潔な騎士”の話も加わって、あっという間に広まった。出来過ぎています。まるであらかじめ布に油を沁み込ませておいてから、火をつけたかのよう。───もし、ギルベルトが火の役割を持つなら、彼の影には油の役割を持つ者たちも潜んでいると見るべきでしょう」
「待て、待て、アメリア。お前は、ギルベルトからの求婚が、何らかの悪しき企みであるといいたいのか?」
「ええ。あの場はわたしが収めましたが、わたしが出て行かずとも、《一の剣》で近衛隊隊長を相手に決闘することなど不可能だったはずです」
騎士団の本拠地だ。たとえ本人たちが望もうとも、騎士団の上層部は許さなかっただろう。騎士団内部でのいさかいとは違うのだ。近衛隊隊長であり、今では王妹の婚約者である人物を相手に、私的な決闘など認められない。上層部はそう判断するはずで、実際にあのとき、何人かが慌てて建物内へ走っていくのが見えた。騎士団長は不在でも、留守を預かる者は当然いる。老練な将官で、視察中に挨拶も受けた。彼が出てきたら、ギルベルトは引くしかなかっただろう。
「そして、そのことをギルベルト自身わかっていたはずです。だとしたら、公開訓練の場で決闘を申し込んだのは、ただのパフォーマンス。本当の狙いはべつにある」