8.決闘
まるでいつかの夜会の再現だ。わたしは慌てたけれど、幸い、ギルベルトの首が落ちた様子はなかった。ただ、辺り一帯が静まり返り、皆の視線がこちらへ集中しているのがわかった。
チェスターが、わたしに後ろに下がるように小声で呼びかけてくる。その指示に従って距離を取りながらも、わたしは戸惑いを露わに二人を見た。
バーナードは、振り向くことなくギルベルトへ告げた。
「剣に手をかけたら、お前の首を飛ばすぞ。それが模擬剣だろうとな」
「そちらから出てきてくれて助かったよ。もとより俺は殿下に無礼を働く気はない。俺の目的は君だ、殿下の近衛隊隊長殿」
「なんだ、復讐か? 俺への敵討ちでもしたいのか? そういう話は休日にしてくれると助かるんだが」
「ようやく得た平和な世だ。戦場の遺恨を持ち込むような愚かな真似はしないさ。……だが、そうだな。確かに俺は愚かな男だろう」
ギルベルトが模擬剣を抜く。
警告を無視されたにもかかわらず、バーナードは動かなかった。それはつまり、ギルベルトの標的がわたしではないと判断したということだ。
わたしは思わず彼の名前を呼んだけれど、バーナードは大丈夫だといわんばかりに軽く片手を振るだけだった。
ギルベルトは、バーナードへ剣を突きつけて、朗々とした声で宣言した。
「君に決闘を申し込む。君が力づくでアメリア殿下と婚約を結んだというなら、俺が力づくでそれを解消するのは筋が通っているだろう。俺のような人間が殿下を望む気はないが、しかし、俺が唯一と仰いだ姫だ。貴様の横暴を許すわけにはいかない。───俺が勝ったら、殿下との婚約は解消してもらおう」
どよめきが、訓練場に響き渡った。
皆の驚愕が、草木を揺らすほどに渦巻いていく。
見学者の女性たちからは、悲鳴のような叫びが上がった。
訓練後の騎士たちからも、興奮しきった声が飛び交う。
「いやーっ! どうして!?」
「ギルベルト様の本命はアメリア姫だったの!? 嘘でしょ!?」
「マジかよあいつ! 姫殿下狙い!?」
「すげえ、超大物いったな!!」
「あいつ死ぬほどモテるのに彼女作らないと思ったら、そういう!? そういうこと!?」
「誤解よ! これはあくまで生贄姫を助けようっていう高潔なお考えなのよ!」
「そうよ! アメリア姫の婚約者ってすごい暴力男なんでしょ!? ギルベルト様は暴力男を倒そうとしているだけよ!」
「あいつが姫殿下とくっついてくれたら、今度こそ俺たちに春が来るのか……!?」
「頑張れ! 頑張れギルベルト! 騎士団はお前を応援しています!」
「バカ、お前ら、そんなこと言ってる場合か、まずいだろこれ、大スキャンダルだろこれ!!」
わたしは、戸惑いを通り越して、虚無に満ちた心地になっていた。
何なのだろう、これは。皆して勝手なことばかりいって。その筆頭はギルベルトだ。なにが決闘だ。なにが『婚約を解消してもらおう』だ。絶対にお断りだ。バーナードが勝とうと負けようと、岩にしがみついたって譲らない。譲りたくない。
───わたしは、なにがあっても、絶対に、婚約解消なんてしてあげませんからね!
何なのだ、この男は。突然現れて、わたしからバーナードを奪おうとするなんて!
わたしが怒りに燃えて、口を開こうとしたときだ。
バーナードが、わらった。
くつくつと、低く重く、愉快そうに。
肩を震わせて、わらっている。
わたしは、パキリと凍り付いて、それから恐る恐るチェスターを見た。
チェスターもまた、青ざめた顔でわたしを見つめていた。
『これは、相当、怒っていますね……?』
『ええ、完全に激怒しているかと。無理もありませんが、このままでは流血騎士団視察事件になりかねません。いざとなったら俺が、身を挺しても隊長を止めます……!』
チェスターと、眼と眼で会話する。彼はすでに胃が痛そうな顔をしていた。
バーナードは、不意に笑いを収めると、低く、怒気をはらんだ声でいった。
「殿下との婚約を賭けて、決闘だと? 西の砦の英雄殿は、ずいぶんと驕ったことをいうものだ」
「身分をわきまえろとでも? しかし君も、もとをただせばただの流れ者だろう。野良犬同士が殺し合ったとしても、さして問題にはならないだろうよ」
ギルベルトは「それとも」と嘲るような声で続けた。
「アメリア殿下にふさわしいのは自分だと主張したいのか? たかが剣の腕が立つというだけで? それならせめて、俺を殺すくらいは簡単にしてみせてくれないとな」
あからさまな挑発だ。
わたしはバーナードの前に出ようとした。
わたしに害意のない相手に対しては、彼は剣を振るわない。だからわたしが、バーナードの分まで、この失礼な男に対して反論を突きつけるつもりだった。
けれど彼は、軽く片腕を上げて、それを制した。自分でいい返すということだろうか。それなら任せようと、わたしは足を止める。
皆の視線が、バーナードへ集中した。
わたしもまた、内心で『さあ、ガツンといってやってください! わたしの婚約者はあなただけだと! 「彼女は俺のものだ」ですとか「誰にも渡さない」ですとか、そういう言葉も大いにありだと思います!』と応援の旗を振っていた。
夜色の髪をした、世界で一番格好良い人は、低く響く声で告げた。
「お前の死に何の価値がある?」
ギルベルトが怪訝な顔をした。
わたしもまた、ぱちりと瞬いた。
バーナードは、底知れないほどの深い怒りを込めて続けた。
「殿下の行く道を決められるのは、殿下の御心のみだ。たかがお前の死や、俺の死ごときで、殿下の結婚相手が左右されると思うのか? おこがましい。お前が死のうと俺が死のうと、殿下の道行きには何も影響しない。殿下の未来を決められるのは殿下のみだ。野良犬が二匹殺し合ったところで殿下に何の関係がある。お前の死も俺の死も無価値。───それを、決闘の結果次第で殿下の婚約を解消するだと? たかがお前か俺の死ごときで?」
訓練場が、しんと静まり返った。
皆の顔に浮かんでいるのは困惑と戸惑いだろう。
誰かが「えっ、そういう怒りなのか?」と囁くのが聞こえてくる。気持ちはわかる。わたしも内心で応援の旗を握ったまま固まっている。
ギルベルトだけは、表情を消してバーナードを見ていた。
わたしの婚約者は、なおも憤懣やるかたないという様子で続けた。
「お前のその傲慢さにはらわたが煮えくり返る思いだよ、英雄殿。今すぐその思い上がった脳天に剣を突き立ててやりたいが、それを決闘だと思い違いをされても困るんでな。まったく、やりづらい」
「……なるほど、思ったより君は、弁の立つ男だったようだ」
では、と、ギルベルトは静かに微笑んだ。
「君がやりやすいようにしてやろう。殿下の婚約を賭けてとはいわない。俺はただ一人の男として、君に戦いを挑む。さあ、これなら受けてくれるんだろう?」
わたしは、今度こそ前に出た。
バーナードに口を開かせずに、二人の間に割って入る。
「そこまでです。我が国の騎士に、馬鹿げた争いをさせるわけにはいきません。二人とも引きなさい」
バーナードは軽く頭を下げると、わたしを守るように隣へ来た。
ギルベルトは苦々しい表情で剣を収めて、片膝をつく。
わたしは、この騒ぎに好奇の目を注いでいる者たちにも聞こえるように、はっきりといった。
「騎士ギルベルト。あなたが王都へ来たばかりであることは知っています。長旅の疲れもあるでしょう。あなたの功績も踏まえて、今回は不問にします。ですが、誤解のないようにいっておきますよ。バーナードを婚約者に望んだのは、わたしの意志です」
「殿下……」
「わたしが彼を望んだのです。それを理解して、くだらない噂に振り回されずに、鍛錬に励んでください。わたしがあなたに望むのは、その一点だけです。わかりましたね?」
ギルベルトは、しばしの沈黙の後に、頭を下げた。
衆人環視の中だ、この話は広まってしまうだろう───というわたしの懸念は、その日の晩には現実のものとなってしまった。
それも『呪いの魔剣に捧げられた生贄姫と、姫を救おうとする清廉の騎士の悲劇的な愛の物語』という偽りで固められた噂が、まるで誰かが付けた火のような速さで王都を席巻した。
ここまでで起承転結の起の部分が終了です。
いつも読んでくださってありがとうございます。いいねや感想もとても嬉しいです。すごく励まされています。ありがとうございます。
次話から起承転結の承の部分が始まります。今後ともお付き合いいただけたら嬉しいです。