6.勝敗の予測
わたしの席の周りを固めるのは、近衛隊の面々だ。騎士団の担当者と、騎士団側がつけた護衛騎士たちは、やや離れた場所に立っている。
それをいいことに、わたしはそっと右隣に立つ彼に尋ねた。
「バーナード、ギルベルトらしき人物がどこにいるかわかりますか? なんでも、月光のような銀の髪に、凍り付いた若葉のような瞳で、たいへんな美貌との評判ですが」
訓練場からこれほど距離があると、顔を見分けるのは難しい。でも、それはわたしの場合であって、バーナードの眼なら見通すだろう。
「そうですね……、髪色と眼の色、それに見学者たちの視線が集中していることからして、東から四列目、北から五番目で打ち合いをしている男で間違いないでしょう。見えますか、殿下。今、膝をついた男がいるでしょう? あれの対戦相手です」
示された人物はわかったけれど、やはり、その容姿までは識別できない。だから続けて尋ねた。
「あなたは彼に見覚えがありますか?」
「ないですね。……騎士団長の話は、あの男絡みですか?」
「ええ……、ですがおそらく、問題ないでしょう。エバンズ卿の勘違いだったのかもしれません」
わたしはホッと肩の力を抜きながら答えた。
バーナードは、初めて出会った日から今日まで、ずっとわたしの護衛をしてくれている。その彼が見覚えがないというなら、ギルベルトという名前を知らなかっただけで実は面識がある……ということもないだろう。
恋だなんだというのは、エバンズ卿の誤解の可能性が高いし、仮にあったとしても、それは姫という偶像への憧れのようなものだろう。だいたい、王女時代のわたしは、世間知らずでわがまま放題だと、評判の悪い姫君だったのだ。本気の恋愛感情など向けられるはずがない。
もちろん、バーナードはべつだけれども。
バーナードは、わたしを好きだといってくれる。あのこげ茶色の瞳が、蜜のように甘く優しくなって、わたしを見つめてくれる。
思い出すだけで胸がきゅうとなって、落ち着かない気持ちになってしまう。
一回だけだけれど、キスだってしたのだ。まだ一回だけだけれど。おかしい。もうそろそろ二回目や三回目があってもいいはずだ。やっぱりあの膝枕のときに好機を逃した気がする。
わたしは内心でむむと唸りつつも、改めて訓練場を見つめた。
「聞いてはいましたが、本当に見学者が多いですね」
しみじみといってしまう。
今度は、左隣から声がした。
「ギルベルト殿もお気の毒に。彼の苦しみは、俺にも手に取るように分かりますよ」
「なんでちょっと嬉しそうなんスか、副隊長」
「ライアン。ボウフラなお前には理解できないだろうが、人は自分と同じ境遇の相手を見つけると、孤独を分かち合えた喜びを感じるんだ。ギルベルト殿もきっと、『一目で視線を奪われ、二目で心を奪われ、三度見たら魂を奪われる顔』などという風評被害に悩んでいるにちがいないさ、ハハハ、俺は死神か? ハハハハハ」
「なんかやべーテンションになってますけど、あっちは副隊長とちがってモテモテな状況を満喫してるかもしれないじゃないっスか。女の子たちに手を出しまくってるかもしれないっスよ」
「ボウフラ先輩と違って、西の砦の英雄は、清廉の騎士殿ですよ。そんな真似するはずがないでしょ」
「お子様なコリンくんにはわからねえ世界があるんだよなあ」
ライアンとコリンが睨み合い、新人のサイモンが青ざめている。
いつもの光景に笑いをこぼしながらも、わたしはふと気づいてしまった。この公開訓練が終了したら、わたしは訓練場へ降りて、皆へねぎらいの言葉をかけることになっている。そこまでが今日の視察の予定だ。
つまり、この大勢の女性たちの前に、バーナードを連れていくことになるのだ。
───皆、一目で恋に落ちてしまうんじゃないかしら……!?
あわあわと胸の内で激しくうろたえる。
うかつだった。貴族の令嬢のように、流血夜会事件に居合わせたわけでもない女性たちだ。バーナードを恐れることもないだろうし、当然、彼のこの圧倒的な存在感に目を奪われることだろう。ああ、バーナードにあがる黄色い悲鳴が、今から聞こえてくるようだ。
わたしが顔には出さずに動揺していると、バーナードがそっと身を屈めて、わたしの耳に囁いた。
「何か気にかかることがありますか、殿下?」
心臓が縮みあがる。彼の察しの良さが、今日ばかりは恨めしい。
わたしは慌てて、取り繕うようにいった。
「いえ、英雄の実力はどのようなものかと思いましてね。バーナード、あなたなら、今年の勝者はどちらか予想がつきますか?」
途端にライアンのうめき声が上がり、チェスターが涼しい顔で鞘ごと剣を腰へ戻した。大方、興味津々の顔でも見せたのだろうか。賭け事は禁止されているので諦めてもらいたい。
バーナードは「そうですねえ」と右手で顎をさすりながら訓練場を眺めた。
「チェスター、近衛隊の第四の騎士は去年と同じか?」
「ええ、エンリケのままですよ。今年入れ替わるのは第二と第三だけです。まだ内定段階ですが、今年の第二は総隊のエリック、第三はローディスだそうです」
「それじゃ、今年はうちの負けですね」
バーナードがあっさりという。
チェスターたちは、ぎょっとして彼を見た。わたしもまた、瞬いて彼を見上げる。
バーナードはわたしに向かって軽く肩をすくめていった。
「あの英雄殿が出るなら、九対一の確率で英雄殿の勝ちです。チェスターとオーガスが勝っても、三勝目は騎士団が獲るでしょう」
「それほどに強いのですか?」
「あれは……、そうですね、オーガスで互角でしょう」
バーナード以外の四人の近衛騎士たちから、密かなどよめきが上がる。
五大公爵家のうち、金萼のルーゼン家が利の一族と呼ばれるのに対し、黒脈のオーガス家は武の一族と呼ばれる。
このディセンティ王国の北方の護り、北の盾、五大公爵家最大の軍事力、それがオーガス家だ。
お兄様付きの近衛隊副隊長オーガスは、黒脈家の直系次男であり、あの一族の者らしく岩のように荒々しい外見と、その見かけを上回る実力を持っていることで有名だ。
「まあ、チェスターなら、七対三でチェスターの勝ちですよ」
バーナードがフォローするようにいう。
そのチェスターは、ぼやくように呟いた。
「光栄ですといっていいのか……。騎士団側は、英雄殿を俺の対戦相手にはしないでしょうからね」
「確実に勝ちを狙うなら、お前とオーガス戦は捨てるだろうな。三勝すればいいんだ。お前たちに勝つ必要はない」
バーナードが低く笑いを含んだ声でいう。
それから彼は、わたしと視線を合わせるように、再び身を屈めた。
「ですが、殿下。俺ならば十対零の確率で、あの英雄殿に勝利できます。あの男だけではありません。俺一人で、この《一の剣》にいるすべての戦力を壊滅させられます。なにか心配事がおありだとしても、そのことは御心に留めておいてください。俺はこの場の全員の首を落とせますから」
最強の騎士が、わたしを励ますように力強くいう。