2.恋の季節
恋の季節である。
冬の寒さがようやく底をつき、雪解け草が花を咲かせ、春待ち花がつぼみを膨らませるこの頃、王都にもまた、浮足立った雰囲気が流れていた。もちろん、この王宮も例外ではない。むしろ、発生源といえるだろう。
わたしは、いつものように執務室のソファに座り、紅茶を飲みながら、当番の護衛騎士たちに世間話を振った。今日、扉の前に立っているのは、バーナードとライアンだ。
この時期を誰よりも心待ちにしていたといっても過言ではないだろうライアンは、重々しい表情で断言した。
「副隊長を、近衛隊から追放すべきです」
「まあ……。それほどなのですか?」
「それほどです」
ライアンは悔しそうに拳を握って訴えた。
「年に一度しかないチャンスなんスよ!? それなのに、女の子たちはみーんな副隊長に釘付けで、俺が頑張って気を惹いたって、副隊長がこっち見て一言話しかけてきただけで終わり! 最悪っス! 御前試合まで残り十日間、その十日間だけでいいから副隊長を追放してください! これは近衛隊全体の幸せのためです!」
バーナードが、呆れた顔でいった。
「お前並みの隊員が百人いるより、チェスター一人のほうが役に立つ」
ライアンは、恨みのこもった眼で上司を睨みつけた。
「自分だけ幸せならそれでいーんスか!? みんな彼女が欲しいんスよ!? 今年こそはと、必死に相手を探してる奴だっているんです! 隊長なら部下に素敵な出会いがあるよう応援してくれるべきじゃないんスか!? 副隊長もそうっスよ! あの人の家柄ならいつでも結婚できるでしょ!? 名門中の名門ルーゼン家のくせに、しがない男爵家の俺の邪魔をして! 隊長に至っては論外っスからね! 長年お仕えしていたお姫様と婚約なんていうクソ強ロマンチックルートを進んだ隊長に、俺たちの見合いを邪魔する権利はないっス!」
バーナードが珍しく眼をそらし、そしてそらした先で、うっかりとわたしと視線が合ってしまう。
彼の端正な顔立ちに、うっすらと朱色が滲む。わたしもまた、胸の内側がほわほわと温まるような心地で、さりげなく視線を落とした。
ライアンが、怒れる赤嘴鳥のようにキィっと叫んだ。
「追放を! 追放を求めます! 公開訓練の十日間、副隊長を追放しましょう! そして俺たちにも平等な春の訪れを!」
※
近衛隊と騎士団が国王陛下の前で剣技を競う『御前試合』というものがある。
これは我がディセンティ王国における、春の訪れを祝う祝祭『種子の息吹』の最終日に催される行事だ。
七代も前の国王が造らせたという闘技場で、近衛隊と騎士団それぞれから五人の勇士が選出され、五回の決闘を繰り広げる。三度の勝利を手にした側が勝者となり、国王陛下より名誉と褒美を賜ることができる。
そして、その御前試合前の二週間は、近衛隊も騎士団も、それぞれ公開訓練が行われる。これは、高額かつ人脈と身分が必要な御前試合の鑑賞チケットが手に入らない人々にも、日頃の訓練の成果を示し、近衛隊と騎士団、それぞれに親しみを持ってもらうため───とされているけれど、実際の所は、大規模なお見合いの場ともいえる。
公開訓練は、事前に見学申し込みさえしておけば、費用は無料だ。あくまで訓練の場であるから、隊員や団員は訓練に励み、見学者はそれを見守るだけ。ただし、訓練終了後にはちょっとした交流の場が設けられる。基本的には『訓練への応援』あるいは『見学者への感謝』が基本のやり取りだから、身分や地位による挨拶の序列などもない。
また、男性側はそれぞれの制服ですみ、女性の見学者も、華美に着飾ることはむしろ眉を顰められる。訓練の場にふさわしい、ちょっとしたオシャレこそが最適解である───というのは、まあ、侍女からの受け売りなのだけども。
つまり、夜会やお茶会のように、招待されるための人脈やふさわしいマナー、それに特別に仕立てられた服装も必要としない、ハードルの低い集団お見合いなのだ。
もともとは、騎士団で始まったといわれている。実力主義の騎士団は、組織の土台となる大多数が平民だ。彼らは貴族のように、夜会やお茶会といった出会いの場を持たず、また、騎士団という仕事柄、職場に女性もほとんどいない。親や親せきのツテを辿ろうにも地元を遠く離れてしまっている。そんな平騎士や準騎士、従者たちのために、当時の副団長が考案したのがこの公開訓練だったという。
騎士団に伝わる逸話によれば、“花咲かせのデント”という、武勇を誇る騎士としては一風変わった二つ名で呼ばれたその副団長は、剣の腕は足りず、軍師の才もなく、しかし団員たちから圧倒的支持を得ていたそうだ。
それはデントが、非常に社交的で面倒見の良い人物であり、彼に相談した団員は、一人残らず愛の花を咲かせることができたからである。どれほど口下手で、容姿に自信がなく、引っ込み思案な団員であっても、デントは明るい笑顔で励ましていったという。『君とともに愛の花を育てる人が、今もなお、この世界のどこかで、君と出会う日を待っているぞ!』と……。
花咲かせのデントが考案した公開訓練は、やがて近衛隊にも採用された。代々、仲が良いとはいいがたい二つの組織だけど、騎士団の公開訓練をうらやむ声の多さには、近衛隊の上層部も抗い切れなかったらしい。
もっとも、近衛隊の場合は、王宮の敷地内で行われる公開訓練だ。騎士団のように、事前申し込みさえしたら誰でも見学できるというものではない。身元が確かであることを求められるため、貴族の令嬢か、ツテのある商家の令嬢、あるいは王宮で働く侍女や下級官吏といった限られた範囲になるのだけれど、それでもその参加ハードルの低さから、見学の希望者は多い。
お兄様の即位後初となる、去年の公開訓練では、チェスターも初めて参加したので、申込窓口へ見学希望者が殺到して、整理札が配られるほどだった。
そして今年、先々月にわたしとバーナードの婚約披露パーティーが行われ、名実ともに『チェスターがわたしの婚約者候補である』という噂が払しょくされた今回は、ついに整理札が抽選札になったそうだ。
わたしも最初、意味がわからずに聞き返してしまったのだけど、見学希望者が多すぎて、見学席を増やすなどの対応をしても到底足りず、どうやっても希望者全員に席を用意することはできないとわかったため、事前抽選会を行うことになったらしい。
その話を聞いたとき、チェスターは遠い眼になっていた。社交界で日々、女性たちに取り囲まれては、そつのない対応をしている彼でも、たそがれた気分になることはあるのだろう。その後で「俺は……っ、人生を共にする相手は、じっくりと、落ち着いて、探したいんですよ……っ!」と絞り出すような声でいっていた。
残念ながら、チェスターの容姿と人柄、それに家柄を考えると、なかなか難しいだろう。近衛隊の総隊長などは、容赦なく、公開訓練期間の二週間、全日程に参加するように命じていた。「狩場に置かれた囮用の肉だな、お前」といったのはバーナードだった。
そのバーナードは、期間中は毎日、わたしの護衛についてくれることになっている。公開訓練には、一度も参加せずに。
───いえ、これは決して、公私混同ではないのですよ。わたしのわがままだとか、独占欲の表れではない……はずです!
わたしは、胸の内で、誰にともなく言い訳をした。