1.プロローグ
第二部開始です。よろしくお願いします。
王宮へ足を踏み入れることの危険性は重々承知していた。
だが、自分の眼で確かめなければ納得できなかった。情報屋や、前職のツテを使って集めた噂はどれも、尾ひれはひれがついていて大袈裟すぎた。
いわく、人の皮を被った呪いの魔剣。あるいは、間違えて人間に生まれてしまった男。たった一騎で三千の兵を滅ぼした狂戦士。……かき集めた情報を前に、俺はため息をついたものだ。戦場での話が誇張されて伝わりがちであることはよくわかっているが、作り話に用はない。
もとより、俺が知りたいのは、その男の戦歴でも強さでもなかった。俺が気にかかっているのは、そういった表向きの話ではない。これが国防のための策だとしても、あのおぞましい噂が、どこまで真実を含んでいるのかという一点だけだ。
近衛隊隊長を務めるその男と、真っ当なやり方で会って話ができると思っていたわけではなかった。俺の立場では、偶然を装ってすれ違うだけでも精一杯だろう。それで構わなかった。その偶然さえ手に入れたら、あとはいかにそこから縁をつなぐかだ。人違いをしたというていを装って話しかけてもいい。やり方はいくらでもある。標的と親しくなって情報を得ることは、かつての俺にとっては慣れた仕事だ。今も腕が錆びついているとは思わない。
近衛隊の隊室をまっすぐに目指して進む。背筋を伸ばし、堂々としていたら、見知らぬ顔であろうと怪しまれないものだ。
今日、あの男が、護衛任務についていないことは調べてあった。まずは迷ったふりでもして隊室へ侵入しようと考えていたとき、その声は聞こえてきた。
「いくら副隊長にいわれたからって、隊長が従う必要はないでしょ!? 隊長のほうが立場は上なんスよ!? 無視しましょうよおおお!」
「黙って歩け。お前が居眠りをするようならいっそ鍛えてくれとチェスターにいわれているんだ」
「本心はなんスか!?」
「あの中庭からだと殿下が移動する姿が確認できる」
「ヤダー!! そういう付きまとい系執着男はモテませんよ隊長!」
探す必要もなかった。騒がしい声は、窓の外から聞こえてくる。
俺は辺りに人目がないことを確認してから、縦に細長い窓を上に引き上げて外へ出た。幸い、建物の傍には、等間隔に樹木が植えられている。身を隠しながら尾行するには十分だった。
「ううっ、寒いよう、寒いよう。部屋に戻りましょうよぉ。隊長と違って繊細な俺は、暖炉がないと生きていけないんスよ」
「剣でも振ってりゃ温まるだろ」
「俺の扱いが雑! 知ってましたけど! てか、剣の指導をしたいなら、俺じゃなくて殿下にして差し上げたらいいじゃないっスか。殿下、ときどきいってますよね、隊長に剣を習いたいって」
「ライアン」
「ひっ、殺人鬼の眼で俺を見ないでください!」
「お前、殿下に剣を教えて差し上げようなんて、バカな気を起こすなよ? 剣を振るえない身体にしなけりゃいけなくなる」
「そんな脅さなくたってやりませんよ! それは隊長の役目だっていうんでしょ!?」
「ちがう」
男は、ひどく忌々しそうな声でいった。
「殿下に剣を教えるなんて真似は、誰にもやらせない。俺を含めてだ。殿下は今のままでいいんだ。戦う術を知らないままでいい。俺は殿下に、剣を持って戦うなんて選択肢は与えない。あの人には、無力なままでいてもらう」
全身が、ぞわりと総毛だった。
ライアンと呼ばれた青年が、戸惑ったような声を上げていたが、俺は二人に背を向けて、足早にその場を去った。
目的は達した。見極めはついた。最も気がかりだった点は確認できた。
俺は、近衛隊の隊室がある建物を離れ、詰所の近くまで来てから、深く息を吐き出した。
───ああ、やはり、俺は行動を開始しなくてはならないか。
あやまちは止めなくてはならない。どんな手を使ってでも。今さら方向転換は難しいのだとしても、せめて退路となる道筋を確保しなくては。
そのためなら、俺は死んでも構わない。───いや、ここでこの命を使うために、俺は今まで生きてきたのだろう。
俺の唯一の神、救いの御手。天より人々を照らす導きの光。───守ってみせる。たとえ、汚れた手段を用いたとしても。