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8.賭け腕相撲・勝ち抜きトーナメント戦


─── ワッと、雄叫び混じりの歓声がホールで上がった。


びくっと、反射的に身体が震える。とっさに目を開いてしまい、わたしと同じように固まっているバーナードと視線が合う。二人で、そろりそろりと、仕切り壁の向こう、声が上がったほうを伺った。


予想に反して、わたしたちへ向けられる視線は一つもなかった。

ホール内はわたしたちとは無関係に盛り上がっているらしい。ただ、あまりにもタイミングが悪かっただけで。


わたしは気恥ずかしい思いをしながらも、何食わぬ顔で元の態勢へ戻った。

お互いに、何事もなかったかのように、先ほどの続きをする。それがわたしの思い描いていた当然の未来予想図だった。


しかしバーナードは、わたしの身体を柔らかく押し戻して、そっと目をそらした。


「……そろそろ王宮へ帰りましょうか、殿下」


わたしはまじまじと婚約者を見返した。


けれど彼は、わたしの視線を無視して、タルトの皿を引き寄せた。

敵を見るような厳しい視線をタルトへ向けながらも、大きく切り分けて自分の口へ放り込んでいく。皿を空にし、最後に流し込むように麦酒を呷ると、わたしへ向き直っていった。


「さあ、これで用はすべて済みましたね。帰りましょう」


「なぜ ─── !? なぜそうなるのですか、バーナード!? ここは存分にいちゃいちゃするところではありませんか!?」


バーナードは何かに耐えるように、眉間に深く皺を寄せていった。


「……ここでは駄目です。王宮の外では、いつ何時どんな危険があるかわかりません」


「あなたがいて危険なことなどあるものですか」


わたしは少しばかり拗ねた気分になって、唇を尖らせた。


「続きを、その、し……、したくないのならっ、したくないと、そう、いえば、いいではありませんか……」


声は自然と尻すぼみになってしまう。

うつむいたわたしの前で、バーナードが、大きく息を吐き出した。


「あのな、姫様。あんたは俺の辛抱強さに感謝するべきだぞ」


「ふん。いやです。頼んでいないことに感謝なんてしません」


「拗ねた顔をするなよ、ちくしょう、死ぬほど可愛いな。……あぁくそ、そうじゃなくてですね。これは俺の問題です。ここは王宮じゃない。警備体制も整っていない。殿下をお守りできるのは俺だけで、俺は、常に周囲に気を配っている必要があるんです。今までだって、あなたがお忍びで散策に出かけるときには、そうしてきました。俺には息をするより容易いことでした。できなくなる日が来るなんて想像したこともなかった」


でも、と、彼はひどくいいにくそうな顔をした。


こげ茶色の瞳はうろうろとさまよい、頬は赤く染まっている。


やがてバーナードは、諦めたような息を一つ吐いて、照れの滲む顔でわたしを見つめていった。


「でも……、さっき俺は、あなたに夢中になって、周囲への警戒を怠っていた。あなたのことしか頭になかった。それ以外の全部が、きれいさっぱり抜け落ちていた。……護衛失格です」


わたしの顔は、きっと、真っ赤に染まっていたと思う。


わたしは、あわあわとした気持ちで、ぎくしゃくと頷き、「そうですか、そうですか」と無意味に繰り返した。


「そっ、そういうことでしたら、仕方がありませんね……!」


わたしは、ずるずると後ずさるように後退し、長椅子から降りて立ち上がった。


バーナードもすぐに続いて立ち上がり、わたしたちは並んでホールへ向かった。


その途中で、わたしはフードを被りながら、ごくごくさりげない口調で ─── 、さりげなくなっているといいなという祈りを込めた口調で ─── 、身体中からかき集めた最大限のさりげなさを装っていった。


「では、後宮に戻ったら、その、いちゃいちゃの、つ、続きをしましょうね……!」

「いえ、夜も遅いですから、後宮へ戻ったら休んでください。私室の扉前までお供します」


わたしは思わず足を止め、呆気に取られてバーナードを見上げた。


隣に立つ彼は、同じように止まってくれたくせに、わたしの視線だけは無視して、前方のみを見つめ続けている。


わたしは、愕然として叫んだ。


「騙したのですね……!?」


「ちがいます」


「ひどいです。あんまりです。こんなに期待させておいて、これが釣った魚にはエサをやらないということなのですか。やはりジュリアのいったことは正しかったのですね……!」


「あの侍女は解雇しませんか? これは結構本気でいっています」


そうぼやくようにいってから、バーナードは口調を改めて、真摯な眼差しでわたしを見下ろした。


「殿下を送り届けたら、俺は自分を鍛え直します。あなたに夢中になって我を忘れるなど、殿下の近衛隊隊長としてあるまじき失態です」


「婚約者としては正解だと思うのですけど……!?」


「俺は慢心していたようです。俺に殺せない敵はいないなどと思い上がっていましたが、あの瞬間、大軍に攻め込まれたなら、あなたを無傷でお守りできなかったかもしれません。なんという体たらくだと、自分でも情けなく思っています」


「そもそもの前提がおかしくありませんか? 王都のレストランに突如として大軍が攻めてくる状況とは何なのですか?」


「俺には鍛錬が必要です。このような警備のない場所で警戒を怠るなど、二度とあってはなりません。俺は護衛騎士です。いついかなるときも、殿下をお守りします」


……そういわれてしまったら、これ以上は食い下がれないでしょう。


わたしは、うううと胸の内で唸った。

本当は反論したい。今は仕事中ではないでしょうといいたい。

非番なのだから、わたし(仕事)のことは忘れてわたし(恋人)を見てくださいと。……どうしよう、自分で考えていても混乱しそうだ。これが護衛対象と護衛騎士という関係の壁なのだろうか?


わたし()のライバルがわたし(職務)だなんて、冗談みたいな話だ。


でも、こういうときのバーナードは、何をいっても聞いてくれないだろう。わかっている。彼はわたしの身の安全を最優先するのだ。いついかなるときも。


─── だけど、せっかく、いちゃいちゃできると思ったのです……! 人生で二度目のキスだと思ったのに……! わたしにはいちゃいちゃが足りていませんよ……!


そう、わたしは、心の中だけでしくしくと泣いた。





熱気の溢れるホールへ足を踏み入れると、多くの隊員たちが一角に集まって、何やら盛り上がりを見せていた。


フードをちらりと上げてみても、わたしの背丈では皆の背中しか見えない。その奥に何があるのだろうかと、視線だけでバーナードに尋ねると、彼は怪訝そうにいった。


「オーガスとチェスターが向かい合っています」

「ええっ!?」


それは一触即発の事態なのではないですか!? と慌てたとき、陽気な声がかかった。


「おぉ~、お二人も決勝戦を見に来たんスか? ついでに一口賭けていきません?」


明るい栗色の髪に、端正ではあるものの軽薄さを感じる顔立ちは、チェスターが日々頭を悩ませている部下のものだった。

バーナードとわたしは、上機嫌に近づいてくる彼に、口々に尋ねた。


「ライアン、これは何事だ?」

「決勝戦というのは? 揉め事ではないのですね?」


ライアンは、片手で酒のグラスを握ったまま、もう片方の手を大きく振った。


「喧嘩なんかしてないっスよ~。これはですね、俺が発案した『賭け腕相撲・勝ち抜きトーナメント戦』です! どうっスか、殿下……の遣いの方! 麗しい従者殿も一口賭けませんか!? 今ならまだ決勝戦に間に合いますよ!」


「もしや……、その決勝戦というのは」


「オーガス副隊長とうちの副隊長っス! 因縁の対決! さっきから火花がバチバチっスよ~!!」


わたしは思わず片手で額を押さえた。大丈夫なのだろうか、その組み合わせは。


バーナードが、いたって冷静な声で、わたしに尋ねた。


「心配なら、俺が二人とも潰しましょうか?」


「さすがに、それは……。皆が盛り上がっているところに、水を差すのも悪いですから」


「手順を踏めばいいんでしょう? 俺が飛び入りで参加してもいいよな、ライアン?」


「なにいってんスか、隊長。駄目に決まってるでしょうが。隊長が参加したら賭けにならないでしょ」


それはそうだ。バーナードが圧勝するのが目に見えている。いくら体格ではオーガス家の次男が上回ろうとも、根本的な能力がちがうのだ。


ライアンは真顔で拒否したものの、すぐに表情を崩して、楽しげに笑った。


「でも、賭けへの参加なら大歓迎っスよ~。やっぱり自分の金がかかっていると、応援にも気合が入りますからね! さっきなんて凄かったんスよ、騎士団長対総隊長で大盛り上がりでした! お二人のテーブルにも歓声が届いたんじゃないっスか?」


バーナードとわたしは、そろって沈黙した。






いつも読んでくださってありがとうございます。

書籍版の購入報告や感想も本当にありがとうございます。書き下ろしへの感想もとても嬉しく拝見しています。

書籍版のほうも、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

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