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6.二人きりの乾杯(中)

書籍版、本日発売です。

書き下ろしは68ページで、王女時代編のギャグ&シリアスと、そこにリンクする形での本編後のラブコメです。詳細については活動報告をご覧ください。

書籍版のほうも楽しんでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。



無骨さを感じる麦酒のグラスとはまたちがう、優美な曲線を描いた薄青色のグラスが、すぐに運ばれてくる。


わたしがそれを手に取って軽く突き出すようにすると、バーナードもまた、わたしの意図を察して、麦酒のグラスを掴んだ。


カチンと軽やかな音を立てて、グラスが触れ合う。


「乾杯です。わたしたちの婚約と、あなたの格好良さに」

「最後に変なものを付け足さないでください」

「あなたがそこに立っているだけで人々の目を奪わずにはいられないほど魅力的な男性であることに……?」

「増やすんじゃない。いいですか、殿下。そういうのは欲目というんですよ、……そう、欲目と……」


そこで彼は、なにかに気づいたかのように、わずかに動揺した気配を漂わせた。


わたしが首を傾げると、バーナードは、誤魔化すように顔を横へ向けて、片手で口元を覆ったまま、ぼそりと呟いた。


「……そういうのは“婚約者の欲目”というんですよ」

「それがなにか問題が? ……バーナード。もしかしてあなたは、照れているのですか?」

「ちがいます」

「ふふっ ─── 、照れた顔も可愛いですね、大型犬ちゃん」


わたしは、あまり上手くいかなかったウィンクとともに囁いたけれど、バーナードは怪訝な顔になってしまった。


「は? 突然なにをいい出したんですか、殿下は。それとなぜ片目を無理に閉じたんですか? 目が痛むんですか?」

「これはウィンクです。格好良い仕草なのです。……しかし、大型犬ちゃんは通じませんでしたか……。残念です。やはり子猫ちゃん、いえ大きな猫ちゃんといったほうがよかったでしょうか」

「まさか酒の匂いだけで酔ったんですか?」


腰を浮かしかけたバーナードに、酔っていませんと、そこだけはきっぱりと否定する。

とはいえ、この奥の席まで伝わってくる、店内の活気と熱気に当てられた部分はあるかもしれない。


わたしはどこか浮ついた気分で、わくわくとメニューを見つめた。


「デザートもあるのですね。バーナードは、なにか酒の肴になるものを頼みますか?」

「俺は結構ですが ─── 、殿下は夕食を取ってきたんですか?」

「ええ。ですが、甘いデザートでしたら、まだ食べられると思います」


わたしが真剣な口調でいうと、バーナードは楽しげに笑った。


「では、この雪蜜絡めのタルトは? 殿下はお好きでしょう」


バーナードの長い指がメニューを指す。雪蜜というのはアレアの実から作られる甘味料で、菓子などに加えると、ほんのり冷たい舌触りと、すっきりとした甘味が出せることで知られている。アレアの木がさほど土地を選ばず根付くこともあって、我が国ではよく使用されている甘味料だ。タルトとの相性も抜群である。


だけど、わたしは悩ましくメニューの注意書きを見つめた。


「提供は1ホールからとありますから……、小ぶりのサイズのようですが、完食できなかったら申し訳ないですし……」

「別に残してもいいと思いますが、気になるなら残りは俺が食べますよ」

「それはいわゆる“恋人との半分こ”というものですね?」

「そういう意味でいったんじゃありません!」


まったく殿下は、どうせまた侍女のろくでもない噂話でしょう。

バーナードがそうぶつぶつというのを聞き流して、雪蜜絡めのタルトを注文する。半分に切り分けてもらえるかどうか尋ねると、店員の男性は快く了承してくれた。


爽やかな香りの花蜜水を一口飲み、それから、改めてこげ茶色の瞳に向き直る。彼が引っかかっているだろうことを口にした。


「今夜の会食は、急遽中止になったのですよ。昼前に早馬が来ましてね。先方が腰を痛めて、寝台から起き上がれなくなってしまったとの知らせでした」

「あぁ……」


バーナードが、深く納得の相槌を打った。


会食予定だった相手は、御歳80歳のリッジ公爵だ。

今でも現役で公爵家当主を務めていらっしゃる方だけれど、年齢を考えたら、腰を痛めたというのもさもありなんといったところだ。


これが会食ではなく謁見の予定だったなら、一件中止になったとしても、次の謁見相手を繰り上げるだけだった。

王の補佐官(わたし)に訴えを聞いてほしいという謁見希望者は山のようにおり、皆、指定された時間よりも大幅に早くやってきて、待機の間で待っている。何なら、予定が繰り上がることを期待して、あるいは好印象を得ようとして、数日前から待機している者さえいる。


しかし、会食となると、そう簡単には相手を変更できない。王妹(わたし)と食事を共にするとなると、相手にも相応の身分が求められる。会食相手に合わせた食材の準備も必要だ。


そういった事情があるので、わたしは新たな予定を入れることはしなかった。

そして、この空き時間を最大限に有効活用しようと、「せっかくですから、今夜はゆっくりと読書を楽しみたいのです」と偽って早めに夕食を用意してもらい、チェスターとサーシャに頼み込んで王宮を抜け出したのだった。


「有効活用の方向性がおかしいでしょう」


バーナードが憮然とした顔でいう。


わたしはそ知らぬふりで続けた。


「実はわたしは以前から、あなたの職場の皆さんにご挨拶に伺いたいと思っていたのです」


「 ─── は? 俺の職場? 俺の職場の皆さんとやらは、全員あなたの護衛騎士ですが?」


「ええ、ですので、この祝う会は絶好の機会だと思っていたのですが、すでに会食の予定が入っていたため、一度は泣く泣く諦めたのですよ。わたしの私情で、公務を後回しにするわけにはいきませんからね」


「どういう類の私情なんですか、それは……」


こげ茶色の瞳は、呆れと戸惑いがないまぜになっている。


わたしは、どう説明したものかと一瞬迷ったけれど、結局は素直に伝えることにした。


「先日の婚約披露パーティーで、あなたは、わたしの関係者たちに ─── この国の貴族や騎士、聖職者といった大勢の人々に、辛抱強く、適切に対応してくれたでしょう? 彼らがあなたへ向ける視線は、とても適切とはいいがたかったのに」


わたしの声には自然と暗いものが混じる。


けれどバーナードは、まじまじとわたしを見ていった。


「そんなことを気にしていたんですか、殿下?」


彼は思いがけないことをいわれたという顔で、軽く頭を振った。


「俺はあんなもの気にしていませんよ。どうでもいいことです。だいたい、連中が俺に怯えるのも、好奇の目を向けるのも、理由のない話じゃない。夜会で首を飛ばした男が、どんなものなのか気になったんでしょうよ。その男が殿下の婚約者に収まった理由も含めてね」


「ええ……、あなたが気にしないことは知っています」


バーナードは真実、気に留めないだろう。

怯えの目を向けられようと、興味本位で盗み見されようとも。あからさまに値踏みされようと、所詮は騎士ごときだと見下されようとも。

彼にとってはどうでもいいことだろう。わかっている。


だけど、わたしは嫌だった。腹立たしく、そして申し訳なかった。

バーナードを社交界という舞台に引きずり込んだのはわたしだった。彼が護衛騎士のままだったなら、今さらあれほどに注目を集めることはなかったはずだ。

けれど今、彼の肩書きには『王妹の婚約者』という重い名がついている。


……いつか政略結婚をするのだと思っていた頃は、未来の夫に重荷を背負わせることになると考えたことはなかった。なぜなら相手はその重荷目当てにわたしを妻に望むのだから。重荷と、そこに付属する権力を目当てに。


でも、バーナードはちがう。ちがうとわかっているから、どうしようもなく心苦しかった。


「もしも……、あなたが婚約した相手が、もっと普通の家の者だったら、あなたをこんな目には合わせなかっただろうと思ったのです。普通の家で……、家族や親しい人々だけが祝福してくれる、そんなささやかなお披露目だったら。わたしの家は……、厄介事が多すぎますから。付き合いが大変な親戚だけでも山のようにいますしね。利害関係者を含めたら、もう数えきれないほどです」


最後のほうは冗談めかしていったのだけれど、バーナードは笑わなかった。


ただ、静かな瞳で、わたしの話にじっと耳を傾けていた。


だからわたしは、情けない顔になりながらも、なんとか微笑むことができた。


「あなたに申し訳ないと思います。心から。 ─── けれど」


わたしは、胸のよどみを吐き出すように息を吐いて、それから新たな息を吸い込んだ。


まっすぐにバーナードを見つめて、震えそうになる声を、愛しさで支えていう。


「けれど、申し訳なく思うのと同じほどに、あなたが謝罪を求めていないことを知っています。こういうときに、あなたが何を望むのかを知っています。ふふ、長い付き合いですからね。……あなたは、きっと今も、わたしに傷つかないでほしいと願っているのでしょう。そんなこと、どうでもいいから、気にしないでほしいと。わたしが傷つかないことだけを望んでくれているのでしょう」


バーナードは、静かに笑った。


「完璧な正解ですよ。名推理ですね、殿下」


「ふふふ。王妹をやめる日が来たら、調査官でも目指しましょうか」


戯れのような言葉を口にして、お互いに眼差しだけで笑い合う。


わたしは、花蜜水を一口飲んで、一息ついた。それからまたバーナードを見つめた。


「ですから、わたしは、あなたに謝るのではなく、もっと別の選択肢を探しました。謝って気がすむのがわたしだけであるなら、何も利することはできません。ですが ─── 、あなたの御身内の方に挨拶することができたら、これはなかなかに、将来的には良い結果を生むのではないかと思ったのです!」


バーナードが沈痛な面持ちで「そう来たか」と呟いた。




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― 新着の感想 ―
[一言] いつも楽しく拝読してます! このお話が大好きです! 書籍も素晴らしかったです! 有能な政治家だけど根の部分がどこまでも真っ直ぐなアメリア殿下と殿下の最強にして最高で最恐なバーナードの関係性が…
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