4.流血夜会事件(中)
華やかな夜会は、阿鼻叫喚の宴と化していた。
悲鳴を上げて逃げまどう人々、出口へと殺到する紳士とご婦人たち。大ホールに反響する怒号と叫び声。
侯爵は、腰を抜かしたまま、四つん這いになって、必死に逃げ出そうとしている。そして、侯爵が絶叫と共に放り投げた頭部は、もの寂し気に転がっていた。夜会のために磨き上げられていた床は、今や赤く濡れている。
わたしは、あまりのことに、思考が追い付かず、声も出ないまま、ただ、瞬きを繰り返して、わたしの前に立つ、バーナードの背中を見つめていた。
呆然としていたわたしの耳を打ったのは、お兄様の叫び声だった。
「きっ、貴様っ、何を考えている!? ついに気でも触れたか!?」
お兄様がこちらへ来ようとするのを、国王付きの近衛隊が、半ば無理やり押し留めた。
「危険です、陛下! お下がりください!」
「陛下、こちらへ! 我らが誘導します、どうか避難なさってください!」
式典用の礼服を着た近衛隊が、お兄様の前に集まって、人の壁を作る。
そしてほかの騎士たちが、お兄様を逃がそうとするけれど、お兄様は、彼らの手を振り払って、怒りの声を上げた。
「馬鹿をいうな、お前たち、妹を置いていけるものか! アメリア、こちらへ来なさい、アメリア!」
「なりません、陛下! ここはお引きください!」
「陛下、アメリア殿下は我らが命に代えてもお助けいたします! ですからどうか、この場はお逃げください!!」
お兄様付きの近衛隊が、こちらへ剣を向けながらも、大騒ぎになっている。
一方、わたし付きの近衛隊は、一応は応戦の構えを見せながらも、涙目になってバーナードに訴えていた。
「あんた何考えてるんですかあ!!」
「このクソボケ狂犬隊長のせいで俺まで死にたくねー!!」
「なんで首飛ばしたんスか!? ねえなんで!? 夜会で首飛ばすバカがどこにいるんスか隊長!?」
「殿下、ご無事ですか、殿下! 殿下だけでもお逃げください!」
「そうですよ、殿下は陛下の傍へ行ってください! 俺たちもなんでこんな状況になってるのかよくわからないです!」
「この間違えて人間に生まれたクソ狂犬隊長のせいだってことだけはわかります!!」
わたしが、おそるおそる、「バーナード……?」と呼びかけると、彼は、ちらとこちらを振り向いていった。
「俺の後ろにいてください、殿下。あれは殺し屋です。本物の貴族なのか、それとも偽者なのかは知りませんが、訓練を受けたプロですよ。ほかにも仲間が潜んでいるかもしれない」
彼が、そういったときだ。
それまで、呆然自失といった様子で立ち尽くしていたセズニック伯爵が、弾かれたように身体を震わせると、信じられないといわんばかりに、バーナードを見つめて ─── 、それから、わたしへと向き直った。
伯爵は、いきなりその場に膝をつくと、床に頭をこすりつけて叫んだ。
「申し訳ございません! 申し訳ございませんっ! 何もかも私の責任です、私の罪です! いかなる処分でも受けます、今ここで首を落とされても構いません! ですから、どうか……っ、どうか!」
伯爵は、顔を上げて、わたしを見つめると、必死の形相でいった。
「孫をお助けいただけないでしょうか、殿下……! どうか、どうか、何でも致します、命もいりません、ですからどうか、孫をお助けください、殿下……! あの子はまだたった二歳なのです、あの子には何の罪もありません!」
伯爵の眼から、涙があふれだす。
病弱で、長く臥せっていると噂だった、伯爵の長男。突然、剣を抜いたバーナード。彼のいった『殺し屋』『訓練を受けたプロ』との言葉。
それらが脳裏をよぎって、わたしはおおよそを察した。
わたしは、バーナードの背後から出た。
バーナードは止めようとしたけれど、わたしはそれを、片手を上げることで制して、伯爵の傍へ行った。そして尋ねた。
「お孫さんは、今どちらに?」
「わかりません……! 奴らが、孫を、さらって……! あっ、あの男を、私の息子として、夜会へ連れて行けば、孫は無事に返すといったのです。それで……っ、申し訳ございません、殿下……!」
「その者たちと、連絡を取る方法はありますか?」
「……夜会から、戻ったら、来るようにと、いわれた場所はあります……! そこに、孫を、連れてくると……っ」
「わかりました。では、参りましょう。伯爵、案内してくださいますね?」
「殿下……?」
ほうけた顔で、伯爵がわたしを見上げる。
制止の声は、背後から二つかかった。
「やめておいた方がいいですよ、殿下。今から行っても無駄です。こういう場合、人質を生かしておく理由はない。どうせもう」
「口を慎みなさい、バーナード」
わたしが強く叱ると、バーナードは、仕方なさそうな顔をして、わたしから目をそらした。
お兄様は、慌てたように、近衛隊の隙間から顔を出していった。
「待ちなさい、アメリア。そういう事情なら、すぐに騎士団を向かわせよう。お前が行くことはない」
「お兄様、ことは一刻を争います。偽者の男が死んだことが、誘拐犯たちに知られる前に、セズニック家の領地へ到着しなくてはなりません。騎士団から人員を選んでいる時間はありませんわ。それに、人目を避けるためにも、少人数で行動するべきです」
わたしは、もう一度、セズニック伯爵へ声をかけた。
「案内してくださいますね、伯爵。わたしとわたしの近衛隊が参ります。朝も夜もなく馬を駆けさせたなら、暗殺者たちの知らせよりも先に、たどり着くことができるでしょう」
「 ─── っ、かしこまりました! この御恩は、一生忘れません、殿下……!」
彼の恩を受け取ることができるとしたら、それは彼の孫を無事に助けられたときだけだろう。
バーナードのいうことは正しい。わかっていたけれど、わたしは、止まる気はなかった。
「参りましょう。そして知らしめるのです。我が国は、卑劣な誘拐犯など、断じて許さないと!」
わたしの近衛隊が、おおっと声を上げた。
※
そして、それから ─── ……結果からいうと、非常に幸いなことに、わたしたちは、伯爵のお孫さんを救出することができた。
誘拐犯たちは、まだ『使い道がある』と考えて、あの子を生かしておいたらしい。
まだ二歳の、とても愛らしい女の子だった。誘拐犯たちがどんな『使い道』とやらを考えていたのかは、想像したくもなかった。
幼い彼女は、泣き声も上げられないように、拘束され、監禁されていたために、衰弱はしていた。けれど、命に別状はなく、休息と栄養を取れば大丈夫だろうとの医師の判断だったので、わたしたちはホッと胸をなでおろした。
わたしたちが救出した後は、母親にしがみついて、弱々しい声で泣きじゃくっていた。次期当主である彼女も、ぼろぼろと涙をこぼして「怖い思いをさせてごめんなさいね」と我が子に謝っていた。
伯爵家の人たちは、総出で、わたしたちへ感謝を述べた。
本物の長男も、召使いに身体を支えられながら出てきて、わたしの前で、身体を投げうつように平伏した。何もかも自分が悪いのだと、彼は何度も謝った。
「私のせいです。あの子がさらわれたのも、我が家が目をつけられたのも、私が、こんな弱い身体のくせに、おめおめと生き延びているからなのです。どうか、どうか、すべての罰は私に与えてください。理由があるとはいえ、我が家は殿下の暗殺に加担しました。これが許されない大罪であることは重々承知しております。ですが、どうか、妹たちにはご温情を……! どうか……!」
今にも倒れそうな顔色をして、それでも長男は必死に言いつのる。
伯爵もまた、どんな処分でも受け入れる、爵位も返上する、だからどうか子供たちの命だけは助けてほしいと懇願した。
わたしは、この件は預かりにするとしか答えられなかった。
狙われたのはわたしだけど、王族への暗殺未遂となると、わたしの裁量で処分は下せない。お兄様に判断を仰ぐしかない。
伯爵が、せめて礼をさせてほしいというのを断り、わたしとわたしの近衛隊は、そのまま王都へ引き返す ─── こともできたのだけど、わたしはいった。
「このまま、彼らの本拠地へ攻め込みましょう」
バーナードは、嫌そうな顔をした。